このnoteが遺書になればいい

私が死にたい気持ちに悩まされて5年以上経つ。
初めて死にたいと思った時のことはよく覚えている。その頃はまだ親と一緒の部屋で寝ていて、布団に入っても全然眠れなくて、親の寝息がだんだん大きくなってきて、ふと「死のう」と思った。でも、自殺の知識なんてその時はあるはずもなく、親と一緒に見てた刑事ドラマで人は首を絞めると死ぬというのだけ知ってたので自分の手で自分の首を絞めた。死ねるはずもなく、苦しくなって途中でやめた。ただ「死のう」と思ってたときに痛かった手のひらが痛くなくなって、何か軽くなった気がした。

私の人生はそんなに不幸なものではないはずなのだ。両親との関係はきっと一般的だろうし、友人のおかげでいわゆる陽キャという部類に属されている。友人や先生からの印象は「ほんわか明るいℕちゃん」なのだ。だから余計に誰にも「死にたい」などと自分の闇を明かせないのである。

友人はいるのに、仲良しの両親がいるのに、私は相談できる相手が一人もいない。
だからこうやって死にたい気持ちを日々募らせて、耐えきれなくなったら自傷して、それすらも隠して生きている。

私の死の感覚は割りと近くにあって、一般的な人が「コンビニ行こ」と思う感覚で「あ、死のう」ってなる。死が身近すぎるのだ。この思考はとことん生きることには向いていない。だから、私自身もいつ死ぬのか案外ヒヤヒヤしているのだ。

私が自殺する理由はいじめでも、虐待でも、疲れでもない。私はうっかり死んでしまう体質だったんだと思う。心療内科も精神科も受診してないので、自分がうつ病なのかもよく分からないし…(なぜ心療内科も精神科も受診しないのかはまた後日noteで話せたらいいな)

こんな私が自殺するときには遺書なんてないだろう。
だからこのnoteがいつか遺書になればいい。
そう思ってこれからも書き溜めていこうと思う。

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