一般病棟から転院。
本日2020.2.24はお母さんのお誕生日です。
この1年本当によく貫き耐え抜いた母はたくましく、
園長先生をの役目を去年3月末に終えて、退職し今はパートをしています。ゆっくりすることもできたけど家にいると考えてしまうので、外でいろんな人と会うことが気が紛れていいのかもしれません。
あ、本題に戻ります。。
一般病棟の滞在日数は限られている
ので、2017.8月に県リハに転院先が決まりました。
当時、爺ちゃんも入院をしており
ダブルで入院生活を同時進行していました。
家族は自分たちが行ける方へお見舞いに行き体調を見に行きました。爺ちゃんは脳に血栓ができて、会話ができなくなりました。
8月、夏であまり水分やお茶を口にしてなく、老人ホームで脱水症状から血栓で緊急搬送されました。
済生会と県リハは比較的に近い立地で、両方に顔を見に行く日もあれば、心が辛い時は片方だけ行っていました。
今はなんともないけど、当時は時間の経過がすごく遅く感じていた。夏ということもあり、父の教え子たちも病室に来たいと言っていたが、余りにも痩せて心配させたくないらしく、面会を断っていた。
後に、彼らは凄い奇跡を起こします。それはまた別に書きます。
ここからみた景色、一生忘れない。荷物を部屋に運び、頑張ろうってすごく思えた場所です。
眩しすぎる世界に、私たち家族は別の次元にいるとその時私は感じていました。
当時私は30才で9月に31になるけど、色んなケースを考えて頭の中は家をバリアフリーにリフォーム?とか、自分の働き方など真剣に考えて、そして同級生には全く相談できなかった。自分のことを可哀想とか言われたくなくて聞く耳も持たなかった。
唯一話せたのは、バスケ仲間である親友2人だけだった。本人達はきっといつも通りだが、2人の支えが無かったら今の私はいないと思う。
それくらい、ガス抜きに付き合ってくれて、ある程度放っておいてくれた。本当にありがとう。いつかこのことも書きたいと思う。