表紙クワトロ

クワトロを語っていく上で

まずはこれからどのような前提、およびどのような方針で進めていくかについて話しておこうと思います。

(1)クワトロの定義

申し訳ないですが私は非常に「定義する」ということが苦手です。
また、不勉強のため既存の定義についてあまり知りません。
したがって以下の言及について少し不満を持たれる方もいるかもしれませんがご了承ください。

まず、私はクワトロを「4-0」というシステムと捉えます。
それ以上でもそれ以下でもありません。
あくまでシステムであり、それは一つのサインプレーであったり動きのパターンを指しているということは考えていません。

また、実際の試合では状況に応じて一時的に4-0というシステムではなくなってしまうのが当たり前です。
したがって「4-0というフラットの状態を作り出し、その状態から空いているスペースを利用することを常に志す」という方針のシステムをクワトロと考えたいと思います。

したがって今後は裏のスペースを活用した選手が一時的にピヴォとして留まるということについても考えながら進めていきたいなと思います。
しかし、あくまでそのピヴォとしての役割が不可能であると分かればすぐに4-0のシステムを再構築できることを目指しているという状況を想定します。

(2)選手を駒として単純化して捉える

色々と戦術について語っていると、選手ありきの戦術でありボード上で駒を動かすだけでは無意味であるという言論があります。
もちろんその主張の意図も非常に理解できます。
メッシやリカルジーニョをただの駒として捉えるのは少し無理があるかもしれません。

しかし、ここでは一般化を目指すために敢えてそのような選手の個性を排除します。
つまり完全に駒として捉えることで、4人のFP(フィールドプレーヤー)について同等の能力があると考えます。
そのため、得意や苦手というものは一切考慮せず、あらゆる戦術アクションについて同等のスキルを発揮できるということを前提におきます。

つまり、駒の配置と動きについてのみ集中した議論を行います。
「数的優位・位置的優位・質的優位」という3つの優位については非常に有名ですが、そのうちの質的優位は半分削ぎ落とすわけです。
しかし、逆に言えば4人の選手全員に同等の能力があるという前提を置いているため、「質的優位が既に存在している」という前提で進めていっているとも考えられます。

(3)言語の共通認識

これは最近たまに話題になっていることですが、フットサル界では特に言語の統一化が進んでいないことが多いです。
代表的なものが「ボランチ、コリンチャンス、ジサーゼ、ラインカット」といった部分です。
議論を進めていく上でこうした言語についての認識は本来統一されているべきです。

したがって、まずは言語について私がある程度定義し、このnote内では私の定義に従ってもらおうと思います。
もちろんコメント欄やTwitterの引用などで反論・批判等はしていただいて構いませんが、まずは言語についての共通認識のご協力をよろしくお願いします。

また、言語の定義と堅苦しく言っておりますが、何度も言ってますとおり知識不足のためにそこまでフォーマルな定義はできていないことも多いと思いますが、その辺も大きな目で見ていただければと思います。

(4)技術・判断・決断について

ただの戦術論は形骸化したものであり、本来戦術には技術・判断・決断といった複雑な要素が絡んでいるという主張もたまに見受けられます。
フットサルというゲームの戦術を語る上ではもちろんその主張は真っ当だと思っています。

しかし、先ほども申し上げたとおり今回のnoteでは一般化・体系化を目指しているため、そのような要素を省いて話していこうと思っています。
それは戦術論ではなく配置論と呼ぶべきだ、なんて声が聞こえてくる気もしますが、そこは世間の認識に合わせた形を取っています。

ご了承のほどよろしくお願いします。

以上がこれからクワトロについて語っていく上での注意点及び確認しておきたいことになります。
不満等がある方もいらっしゃるかもしれませんが、是非そこはぐっとこらえていただければと思います。
どうぞ応援の程よろしくお願いします。($・・)/~~~

グロッケン


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