ギリケンノート5 普段出来ていることなのに、状況が違うとミスが出る理由

書こうと思った動機



 私が今しているアルバイトや日常の行動において、一人で気楽にやってるときは一番効率の良いルートを選んだり、順序を間違えずに物事を進めることが出来るのに、お客さんに早くサービスを提供しなければいけなくて焦ったりとか、いつも一人で使えてる場所に他の人もいて狭かったり緊張したりしていると、普段やれていることが抜け落ちたり、何故か効率よく出来ていることが選べず、目先の利益を取るようなものを選んでしまったりしたので、どうしてなのか考えてみたいと思い書いてみました。


具体的に今回起きたことを振り返ってみる。


 例えば、私が最近バイトでやってる配達員で考えてみます。普段日常的に割と通る道(毎日というわけではないが、数十とか百幾つという単位で通ってる)で、普段生活用品の買い物をするときに判断をする場合と、配達中にお客さんになるべく早く届けなければいけないと急いでいるときの判断をする場合の2つの比較をしてみます。
 道の条件としては
・何度も分岐が訪れる道
・信号機もいくつかある
・スタート地点とゴール地点はどちらも同じで、100メートルくらいの範囲での数回の判断とする。
道は変動することはないけれど、人の流れや信号機の点灯するライトの色は変わるので、その度に最善の判断をするのが目的。
 日常的に何十回も、あるいは百数回も通っている道なので、信号がここで赤なら一回横断歩道を渡って分岐している1つ目の小道に入ったほうが早く着くとか、目の前の信号は青だけど2つ目の信号は赤だからやっぱり1つ目の小道に入ったほうがいいとか、全部信号が青なら小道には入らず大通りを進んだ方が早く着くというようにある程度のパターン化が感覚的に出来ているのですが、配達で焦っていたりすると、いつもは感覚的に選んでいたものを、「本当にこの道で行っていいのだろうか、自分の行動を監視するお客さん側のアプリを見て”この道の方が早くない?”と思われたらどうしよう、ちゃんとやらなきゃ」と、改めて考えさせられてしまうのです。
 この、プレッシャーから来る本来なら考えなくても良い思考が巡ってしまい、判断するという大事な思考を押し出してしまうのだと思います。普段自転車でこの道を走る際は考えなくてもこの時はこう走るということを感覚になるまで落とし込んでいます。しかし、これが自分的にはベストだろうと思って動いているだけなので、アルバイトで配達をしているときには最短距離で動かなければいけないという気持ちになり、「本当にこの道でいっていいのだろうか」と普段は感覚だけで動いているものをアルバイトのような責任を伴うことをしている際に自分の選択に自信が持てるような道順の精査が出来ていないのです。

感覚的にやっていることが間違っているかもしれないことに気づかされる


 何度も何度も日頃走っている道なので、感覚的な判断をしてるとはいえ、かなり良いルート選択は出来ているとは思います。しかし、最善かどうかと言われると自信が無いのです。
責任を伴ったり、プレッシャーを掛けられたりして感覚やそれを受けて判断するという思考が押し出される状態を避けるためには、確固たる根拠が必要になりますし、責任やプレッシャーで判断が出来なくなってしまう細かい部分や複雑な部分をより鮮明にすることで、まだあまり感じられてないけれど、次に責任やプレッシャーに弱い部分を明らかにする可能性もあるのではないでしょうか。

どのような根拠が感覚的なルート選びを修正するために必要か



・実際に使う道の長さを分岐ごとに測ってみる→何となくではなく、実際に数字として可視化することで納得できる。
・数値化したうえで、迷いが生じて選んだルートを基に、感覚的に最善のルートと、数値ではどうだったかを比較してルートの答え合わせをする

普段は信じられる自分の行動も、責任やプレッシャーの上では脆い


 なので、まずは色々失敗して感覚的にこの方がいいんじゃないかとしていく方針で良いと思うが、どこかでそれを自信を持って共有しても良いという形に持って行けるような努力をしていくのも大事なのではと思った。

23/8/27
普段感覚的に出来るようになってると思っていたことが、本当は数値化したら勘違いだったという可能性もあるし、逆に数値化した計算の過程で実は抜けがあって感覚の方が正しいという事もあると思う。
それらを踏まえて微調整をしていく。

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