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⑥ できちゃった婚許しをもらう

実家の両親に妊娠報告後から1か月経った頃

「あなたの人生なのだから好きにしなさい」
と許しをもらうこととなった。

結婚を許してもらった、ということは調査の結果が両親にとって受け入れるに値したということなのだろうか。

夏、身体が少し安定した頃、二人で神戸の実家へ改めて挨拶へ行くことになった。

実家と言えどきちんとした話をする日なので、私は少し改まったワイン色のワンピースを着ていった。

いつもはTシャツやアロハを着ている彼も、この日はちゃんとしたシャツを着ていた。



駅の近くのカフェで一息入れてから両親の待つ実家へと向かった。


「えーなんて言えばいいん?なんて言えばいいん??」

ヨシがめちゃくちゃ緊張していた。
そりゃ緊張するだろう。

戦後すぐに建てられた実家には玄関の横に洋風の応接間があった。

台所以外の部屋は全て畳の間だったが、
応接間は板間に古い絨毯、壁には大きな古時計がかかっていてソファーが置かれていた。
いかにも昭和の応接間といった感じだ。


私達はその応接間に通された。
いつも実家へ帰った時はダラダラとリラックスする場所だが今日は違う。

奥のソファーに父と母が並んで座り、ガラステーブルを挟んで手前のソファーに私達が並んで座った。

緊張したヨシだったが、ちゃんと結婚して、子供を二人で育てていきます。と両親にちゃんと伝えることができた。

両親はじっくりとヨシの話を聞いてくれた。


少しの間があった。

父が
「そうか。わかった。」

その後母がスイカを切って持ってきてくれた。

「まあ東京に息子が出来たようなもんじゃわ。何か困ったことがあったらいつでも相談しなさい」
と父。

ピンと張り詰めた空気がスイカを囲んで徐々にほぐれていった。

長男長女の結婚、両親ともに戦時中生まれで初めての子供の結婚。

ふたりともお見合いで結婚している。

かたや娘は出来ちゃった婚。

親にとって特に父にとって「結婚」とは本人同士の結婚というよりも家と家の結婚という意識があった。

両親の気持ちになれば混乱するのも仕方ないのかもしれない。

前回の話です↓


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