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㉑年配者からの障害児へのネガティブイメージを考察

はじめに

この日記は聴覚障害と発達障害を併せ持つ息子の超・・・濃かった子育て振り返り日記です。
赤ちゃんの頃たくさんの障害が次々見つかり、もう本当にどうなるのーーと思いましたが、ひとつひとつ進んでいったことで、今があります。
(今はもう成人して自立しています。)
すべてがかけがえのない経験に変わり、本当に多くを学びました。

非常に多くの人に助けていただきながら子育てをしていく中で、やはり人々からの偏見、ネガティブな意識というものに出会うことが多かったです。

その瞬間は親としてやりきれない気持ちになったり、時には腹が立ったりしたものですが、後々考えると、そのネガティブを発した人自体が悪いのではなく、時代の意識のようなものからそういった意識が生まれていることに気が付きました。

今回の話は、あくまでも私の周りのことを中心に考えを書いていますので、すべての年配者へのこちらからの偏見の思いで書いたのではありません。

前回のお話は

私の父に兄がいた。
「おっちゃん」と私達は呼んでいた。

おっちゃんは昭和一桁年代生まれ。
子供時代はとても優等生で親(私の祖父祖母)からは将来を楽しみにされていた。

ところがおっちゃんが高校生の時、
教室でキャッチボールをしていた友達のボールが教室のガラスにあたって割れてしまい、その破片が近くで本を呼んでいたおっちゃんの頭を直撃してしまったそうだ。

結果、
頭の傷は完治したけれど、その際(どの程度なのかまでは聞いていないが)頭に障害を負ってしまったようだった。

ちょっとボーッとしてしまった長い期間があったようだ。

親である(私の)祖父祖母は
「障害を負ってしまって社会にでられない(現代の認識では違ったものになるとは思うが)息子」がいるという事実を世間から隠したくて、おっちゃんを何年も家屋の隅っこの部屋に閉じ込めてしまった。


おっちゃんの部屋は家屋の北側の6畳の畳の部屋で、あまり日が当たらなくいつもかび臭くて薄暗かった。

私が幼少期祖父母の家へ行くと、父そっくりのおっちゃんが奥の部屋にいて、私はお父さんと間違えたこともあったそうだ。

おっちゃんの毎日は、朝、新聞を門まで取りに行き、新聞を隅から隅まで読み、庭を掃除し、風呂の薪を割る。

作業のない時間は、おっちゃんの部屋はいつも押し入れが半分空いてるのだが、おっちゃんは肘を折って手の平を枕に上半身を押入れに突っ込んだままじいっと寝そべるのが習慣だった。

おっちゃんはパズルやルービックキューブが好きで、また共通一次の問題が新聞に発表された時は一問一問じっくり解いていたようだった。

話しかけると答えるけど、おっちゃんからは何も話さない。
でもすべてわかっていたのかもしれない。
表現できなかっただけで。

何年か経って、脳の検査を受けた事があった。特に異常は見られなかったそうだ。

何十年も家屋の塀から出ていない生活をしていたおっちゃんは社会復帰することが出来ないまま50代後半に病気で亡くなった。


そんな話を現代の私達が聞くと、やはり事故で障害を持ってしまった息子(おっちゃん)に対する両親の意識に違和感をどうしても抱いてしまう。

でもその当時は
戦争などの有事がある際、障害者は「生産能力がない」「穀潰し」などと差別の対象になった事実があったのだ。

そういった意識を持つ社会のもとでは「障害をもったと思われた息子(現代ならば社会復帰できただろうが)」を隠しておこうとしたこともやむを得なかった状況だったのかもしれない。

それは日本だけでなく、戦時中は世界中でそういった意識がはびこっていたのだ。

祖父祖母の時代の話だ。さほど太古の話ではない。

戦前・戦中生きるか死ぬかの渦中、祖父祖母は大変な思いをして子育てをしたのだ。

祖父祖母が別に悪いわけではない。

時代そのものがそういった意識・風潮だった。
その子供である父からすると娘である私が障害のある子を生んだという事実はネガティブなものになるのも否めない。

年配の人からのネガティブイメージと最初書いたが、「年配」と書くと語弊があるかもしれない。

中でも仕事やボランティアなどで障害を持った人に多く接している人や多くの子供達を常に相手にしている学校の先生はやはり少し違っていた。

「障害児は大変」とかそういった意識だけではなく、「ひとりひとり違うんだよねー」といった感じだった。

目の前の人に対して「障害児」と言う意識で見ているのではなく
「個性をもった一人の人間」という意識で見てくれた感じだった。

私の両親は離れてくらしているせいか、ずっとやはり息子の障害に対してネガティブなイメージしか持っていなかった。

両親の周りには障害を持った人がいなかったということも関係している。

「こんなことができるようになったよ」
とか前向きなことを伝えても、なかなか伝わらなかった。

現代は障害を持っている人もどんどん世の中へでて、様々な活動をする人が増えてくるようになった。素晴らしい時代へと変わっていっている。

「目の前にいる人間を思い込みなしで日々、新しい意識で見る」ということはなかなかできそうで難しいけどとても大切なことなんだと思う。

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