The Image
わたしはただ「居心地のよい場所」が欲しかった
写真を撮ることは呼吸をすることと同じだ。写真展をするからとか発表を前提として撮るわけではない。それは、ごく個人的な「たからもの」の収集なのかもしれない。子供の頃、貝殻やビー玉や石ころが「たからもの」だった、その延長線。わたしが撮るのは、どこにでもあるなにげない光景で、誰にでも撮れるような写真ばかりだ。そう、そこで「シャッターを押しさえすれば」。けれど誰もそんなもの撮らないから自分で撮って集めるのだ。だってほらうつくしいでしょ。理由は、それだけ。
フィルムで撮っているので、一本撮りきるとは現像に出す。シートベタにしてもらって、そこからプリントしてもらうコマを選ぶ。L版で焼き増しして、アルバムに収納する。ついでにスキャナーで取り込んでweb上にアップロードする。ここまでは「インプット」。インターネットで「公開」はされているけれど、それらはまだ「石ころ」の状態。
そうやって生きていくと、だんだんと「空気の塊」のようなものが自分の中に形成されていく。そしてそれがある一定の密度を超えると、わたしは空地を探して集めた石ころたちを持ち込みそこに「それ」を立ち上げようとする。つまりは、ギャラリーを探し、レンタルラボで紙焼きし、写真展をする。
これが「石ころ」が「作品」になる瞬間。
鬼のようにテストピースを消費しながら色調整を繰り返し、プリントする。ただ、これは、わたしが立ち上げたい「それ」の部品であり、部品としての強度を求める結果として、一枚一枚が「作品」に足るものでなくてはならないのであって、「商品」ではない。わたしにとっては。
だからべつに写真じゃなくてもよかったし、過去いろんなものに手を出してきた果てに自分が生み出せる部品として一番強度の高いものとして行き着いたのが写真だった。と、いうだけの話なのかもしれない。なんにせよ、今やわたしには写真しかない。そうやって、いろんな空間で写真を「組み立て」ていくうちに理解あるギャラリーにたどり着き定期的に個展をするようになる。
毎回「それ」は、少しずつ変化していく。生きてっからね。ただ、核にあるものは変わっていないのかもしれない。今までの場所に合わなくなってきたら、また新しい「空地」を探すところから始める。まだまだ旅の途中だからね。
ここまでは、フィルムで撮っている方の写真の話。ライブを撮る理由は、また別にある。それはまたいつか。
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