アセンションしたのに統合失調症って無理ゲー! 〜第10話〜
精神病院に入っている間にして欲しくなかったこと。
もうとっくに許してますし、今とても助けられているので感謝しかない。関係性こそ修復したけど、許すって感覚までには10年以上時間かかったなぁ、、、
なので、経験者からアドバイス2つ書いておきます。
①物を捨てて欲しくなかった。
DJをしていたから、大量のレコードやCDをコレクションしていた。レコードのジャケットは全て捨てられ、CDもケースはプラごみとして無くなっていた。
帰った時は、かろうじてゴミ袋にレコードとCDが剥き出しで突っ込まれていたので、ショックだった。
アートブックや友人からのプレゼント、寄せ書きなど、他人から見たらなんの価値もないかもしれないが、大学時代に喜んで集めていたものが全て否定された。
モノは思い出という言葉もあるが、うつろな精神状態で戻った時だったから、特に辛かった。
きっと帰ってきた時に、物から思い出したりするだろうってゼロにしたかったんだろうけど、勝手に人の思い出を捨てるのなんて、なんて理不尽なんだ。と全く信用できなくなった。不信感しか残らなかった。
モノを大事にできなくなったと同時に、お金も大事に考えられなくなった。
だから体験や心に価値を見い出したといえばそこまでだが、やはりお金のない暮らしを肯定し続けるのは辛い。
②幸せ基準を決めてほしくなかった。
何せ同じ空間にいるのはお互い辛い。触れたくないから距離をとるのは当然だが
両親の思い通りにすると僕。を求められるのは範囲が狭すぎて無理だった。それは時代も育った環境も違うから当然かもしれない。しかし、生きる目標を探さずに、私たちの思う幸せに合わせなさいというのはキツかった。
仕事をして稼いで生きる。の視点と、幸福になりたいからあるべき姿を目標に生きる。は別物だ。目標があって、手段がある。ただ働け。より目標を一緒に探せたらよかったな。
不信感しかなかったから、僕は逃げられるだけ逃げた。そうしていなかったら生きていられなかった。
「幸福度」をこれからの人生の基準にする考え方を教えてくれてたらな。と思った。
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あと外出は基本できず、リハビリかなんかでみんなして外出たりしてたから、
くつ下を履けることが、とにかく嬉しかったな。
今でも、朝くつ下見て『外に出られる幸せ』感じたりするし
何が好きとか、本音とか絶対言わないから言葉から対応考えるより
様子を見守ってて欲しいかな。
時間が解決することがほとんどだけど、喧嘩は少ないほうがいい。お互いに。。