おさるのジョージ論(カンノーロ)
息子が毎日欠かさず見ているアニメ、それは「おさるのジョージ」である。子供が生まれる前は映画を毎日見て年間200本以上、独身時代は年間300本以上見ていたが、今やおさるのジョージにその時間を侵されてしまっている。私はあまり子供に子供番組を見せないようにしていて、というよりテレビがないので、自動的に何かのチャンネルを流すということができず、そういう週間がなかった。しかしイタリアの実家でイタリア語の勉強にいいかもと、アニメチャンネルを見せていたら、おさるのジョージが彼にどハマりしたのである。
最初は子供番組だからと一線を引いていた私も、そう侮れないなと思い始め一緒に見始めた。よくできているアニメである。元々は黄色い帽子のおじさんと小さなおさるのお話、1947年発行の絵本である。私も子供の頃によく読んでいたが、H .Aレイの絵は大人になった今でもデザイン的に可愛いと思ってしまう。アニメ自体はアメリカで2006年から始まったそうだ。
絵本から派生して教育テレビとして始まったものなので、子供に染み付いて欲しい要素がたくさん詰まっている。まず舞台がコスモポリタン的都市(マンハッタンのよう)とアメリカのどこかの田舎町が舞台。(農業や畜産業を営んでいる人が集まっている村。)黄色い帽子のおじさんがセカンドハウスをここに持っていて都市と田舎を行き来しているのである。都市にばかり人が集中するのではなく、こういう生き方もありだよということを教えてくれているようだ。そして都会っ子の子にも田舎町の暮らし向きを知るきっかけになるし、都市でもこのような多様な人種が共存しているのだということを意識させてくれる。よく出てくるのはイタリア系移民のシェフやアジア系移民のスーパーの店主、あとはUnico!(唯一の)が口癖の金持ち実業家のSignor Grasseである。他にも街の通行人などを見ても多様な人種が普通にいることを意識づけてくれる。何よりもおさるのジョージがその象徴のような存在で、言葉が話せないが、しかし伝えることに長けているので人間たちは彼の言っていることをわかってしまうのである。他にも犬語や猫語も出てくる。動物同士でも違う種類なのでそれぞれの言語は分かち合えない。しかしだんだんと言っていることがわかってくる、そのコミュニケーションの極みみたいなことを描いているシーンがよく散見される。これは人間と動物の交流の話だけではなく、人間同士の異文化交流のことでもあるのだと思う。そしてそれに言葉は必ずしも必要ではないのである。
また、ジョージは猿であり、また人間の子供のメタファーでもある。(ちなみにジョージの寝方はうちの子供とそっくりである)彼はいつも好奇心いっぱいでいろんなことに挑戦する。これが人間にとってはただの”いたずら”に見えるようなことなのだが、本人としては決してそんなつもりはなく、面白いことを追求して、不思議なことを追究して、あくまで真面目に集中して一つのことをやってのけている状態なのである。しかしそれが結果的には惨事になり、人間はそれの処理にものすごい時間と労力をかけなければならないことになる。なので普通ならば親は「これはやっちゃだめ!」と言ってしまうだろう。しかしここに出てくる登場人物は彼を叱らない。(時には我慢ならず怒鳴る黄色い帽子のおじさんも出てくるが)さらに物語上、ジョージが行ったことが何か物事を全体的に見て好転しているという顛末になっていることが多い。私も親として、子供がしたことを見つめる時に、(まず見つめる時間がないので、それを作ろうとする努力をしなければならない)親の都合だけを考えないようにして、もう少し平たい目で判断する力をつけたい。
私は普段イタリア語で”Curioso come George(おさるのジョージのイタリア語名)"を見ているのだが、先ほども述べたイタリア系アメリカ人のシェフが面白い。私が見ているものはもちろん皆イタリア語で話しているので、彼の移民としてのキャラクターが目立ちにくいが、それでも彼だけがシチリアなまりのイタリア語を話すことで区別がされている。ふと、これは元々のアメリカ版だとどのように描かれているのだろうと、英語版を見てみた。するともっともっとイタリア系移民として極端に描かれており、すごいイタリア語なまりの英語(例えばイタリア語は母音で終わることが多いので、語尾が強い、Rの強調度合いがすごい、ネイティブに比べ比較的ゆっくり喋る)その上イタリア語の単語が堂々混じっている。これでは英語しかわからない人は何言っているかわからないのだろう。2世以上の移民はそんなことはないと思うが、海外に住むイタリア人は結構平気でイタリア語が混じった英語を話す人がいることを私も知っている。それでいてまくし立てるように、堂々と話し続けるので、それで通じるのだ。日本人ならば日本語まじりの英語を話したら、恥ずかしくなって話さなくなってしまうかもしれない。
話は少し脱線するが、バレンタインデーにまつわるエピソードの回があって、その時に黄色い帽子のおじさんが朝ごはんを作りながら(あの人は料理をしながらも黄色い長い帽子をかぶっている)バレンタインの歌をこう歌っているシーンがある。
”Tu sei il mio Valentino! San Valentino! Non è uno scherzo!" (君は僕のバレンタインさ!ジョークではないよ!)
これも英語版で聞いてみたところ、
"You're my valentine ! My Valentine! It's not monkey shine!"
ん?モンキーシャイン?これは私が恥ずかしながら知らなかった。「冗談」という意味に使われているが、元々はあのホラー映画でかの有名なジョージ・A・ロメロの映画のタイトルのようだ。(以下、映画「モンキーシャイン」のあらすじ)
法科大学の学生で陸上選手のアランはある朝ジョギング中、交通事故に遭い負傷、首から下が完全に麻痺し、車椅子の生活となる。
絶望していたアランに親友の生物学者ジェフリーは、身の周りの世話をさせるため、ヘルパー猿のエラを贈る。
だが、実はエラはヘルパーとして訓練されただけでなく、ジェフリーによって人間の脳細胞のエキスを注入され、知能を高められていた。
やがてアランの意識を察知するようになったエラは、アランが怒りを感じた相手や、自分とアランの関係を邪魔する者たちを次々に殺し、ついにはアランとの関係を逆転させようとする。
(Wikipidia参照)
めちゃくちゃ怖そうだが、面白そう。これが転じて、アメリカ英語では「冗談」という意味に使われているらしい。
話は戻るが黄色いおじさんの生き方というのも現代ぽいと思う。性的嗜好は不明だが、フィアンセなども居ず、パートナーは猿である。こういう生き方もリアルに肯定してくれているようで、総じて多様性を受け入れるアニメとして優れていると私は考える。
※おさるのジョージ バレンタインのエピソードはこちら↓
さて、おさるのジョージの中で「カンノーロ」というデザートが出てくるエピソードがある。またこれも例によって移民系イタリアンシェフのレストランで出されるのだが、甘いリコッタチーズが溢れる揚げ菓子である。ジョージにとっては夢のようなお菓子で、これまた私にとっても夢のようなお菓子なのだ。シチリアのお菓子なのだが、いつもローマに行くと、シチリア系の人が営むPastecceriaで買って食べている。日本にもカンノーロのお店があるにはあるのだが、どうもイタリアで食べるのと味が違うので(甘さが控えめだったりする)、今はイタリアに行けないと思うと、おあずけ状態で、ジョージのように頭の中はカンノーロでいっぱいである。
※カンノーロが出てくるおさるのジョージ イタリア語版はこちら↓
そこで本日初めて作ってみた。カンノーロを作るには特別なステンレス製の型が必要なのだが、日本ではパンのコロネを作るために売っているもので代用できる。何度か手こずったが、結構美味しくできた。皮もリコッタチーズもオレンジピールも自家製、不格好だが、まさしくSignor Grasseが”Unico!”と声高々に言ってくれそうな、唯一無二の美味しさである。
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レシピ Ricetta
I Cannoli Siciliani (シチリア風カンノーロ)
<必要器具>
・コルネ型
<材料>
①クリーム
・リコッタ 450g
・チョコレート 20g
・砂糖 100g
②揚げ菓子部分
・ココアパウダー 10g
・薄力粉 260g
・オリーブオイル 大さじ2杯
・卵1つ
・砂糖 20g
・マルサラ 大さじ4杯
1. ①は全部混ぜて冷蔵庫に
2. ②は全部混ぜてこねて一つにまとまったら1時間冷蔵庫に
3. 2を綿棒でのして、3つ折りにしてのす、というのを3−4回繰り返す
4. 3を1mm厚さにのして、10cmx10cmの正方形に切り、コロネ型に巻く。その時、両端は出るようにして後で取り外ししやすくするのがポイント
5. 4を揚げる。少し冷めて触れるぐらいになったら型を押して縮めて取り外す。
6. 冷えてるリコッタクリームを中に詰めて、オレンジピールをつけて砂糖をまぶしたら出来上がり!
Buon appetito!