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先日ヴィットリオ・デ・シーカの「ひまわり」を見て、またソフィア・ローレンxマルチェロ・マストロヤンニの黄金コンビの映画がみたくなり、「ああ結婚(Matrimonio all'italiana)」(1964年)を再見しました。 ↓↓ヴィットリオ・デ・シーカ監督の「ひまわり」のレビューはこちら この映画は「ひまわり」よりも以前の映画ですが、やはりデ・シーカらしく、コメディタッチでテンポよく進みながらも最後感動で涙してしまう、そんな映画です。当時はデ・シーカの新境地と言われ
ヴィットリオ・デ・シーカ監督の『ひまわり』(1970年)、今映画館でもHDレストア版が上映されているよう。大きいスクリーンでみると、このポスターにも登場する広大なひまわり畑とか、モスクワの巨大な街の感じがより一層感じられていいかもしれない。この映画をおすすめしたいのは、夏らしさというよりかは、戦争を考える映画として。(戦時中の実際の映像もところどころ挿入されている) ポスターしか見たことのない人は、この広大なひまわり畑を見て、夏らしさを感じたり、あるいはマストロヤンニと
「魅せられて」(1996年 ベルトルッチ 監督作品)を再見した。朝5時前に起きた息子が、このDVDを何気なく持ってきたから、まだ朝は曇っていてそんなに日差しも入ってなかったし、スクリーンで見てみた。トスカーナの田舎の風景が目に優しく、なかなか外に出られないこんな日々でも夏休みの気分に浸らせてくれた。 先日もここで紹介した映画なんだけれども、この映画は見れば見るほど興味深い映画だったと気づく。たぶん最初に見たときは高校生の時とかなんだけれども、その時にはただのティーンの恋
ヴィスコンティ作品は見ていて泣いてしまうような映画はほとんど無いと思っているのだけれども、私にとって、この映画は唯一涙してしまう作品だ。 『白夜』1957年 ドストエフスキーの同名の小説を原作とし、舞台をサンペテルブルグからリヴォルノというトスカーナ州の港町に移植して脚本が書かれている。(『郵便配達は2度ベルを鳴らす(Ossessione)』もアメリカからイタリアのポー川流域の村に移植している。ヴィスコンティが”イタリア映画の監督だ”と思わせるところは、まさにこういうと
自転車を盗まれることは今のローマでもきっと珍しいことではない。しかし今なんかと比べ物にならない、戦後すぐの市民にとっては大事だった。 イタリア敗戦後すぐの、まだまだ荒廃しているローマを描いている。Casa publica(公共団地)が郊外の何も無い更地に建てられていて、失業者がたくさん職業安定所の周りでわらわらし、自分の名前が呼ばれるのを待っている。奇跡的にも仕事を紹介されたリッチだが、「自転車が無ければ仕事は他の奴に譲る」と職員から言われてしまう。しかしリッチは自転車
この前も子供を育てることについて少し書いたけれども、夫とはたまに子供をどこで育てようという話になる。私は鼻息を荒くして日本の学校に通わせたくないの一点張りで、たぶん私のことをちょっとイタリアかぶれだと思っている夫は、「けど、イタリアの学校も別によくないよ」となだめる。 >>過去の参考記事 イタリアの学校は、もちろん地域によって全く異なると思うのだけれども、日本の学校のように全体主義、不自然な平等主義ではないし、子供たちがわりと楽観的なような気がする。(日本のうちの近所
もう5月も末だが、今日はAprileについて語りたい。4月、エイプリルはNanni Moretti(ナン二・モレッティ)監督の映画である。私はナン二・モレッティのわりと初期の映画が大好きで、DVDで何回も見る。彼の映画は「息子の部屋」や「ローマ法王の休日」などが有名かもしれないけれども、昔の方がなんとなくしがらみがなく自由に素直に作っている感じがする。映画にはどれも彼自身が出ていることが多く、それもヒッチコック的なカメオ出演ではなく、ウッディアレンのように主役を自ら演じるこ