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最近なんだか取り憑かれているように疲れる 仕事が再開したからかもしれない ずっと人に会わず外出せず、テレワークだからかもしれない けどこれは仕事の疲れでは、なんとなく無い気がする なにより全体的に、情報過多な何かに頭からダイブしている気分 それは何か気持ち悪い何か、涙腺が広がるぐらい、 もしかしたら油でギトギトの食器用スポンジとかに突っ込んでいる、 もしくは顕微鏡でそれをみたかんじに、脳みそがもうなっちゃっているみたいな Twitterなんて、いまだに使い方わ
いつも私が使っているイチョウの小さいまな板がある。これは私の実家の銀杏の木を切らなければならなくなった時に、父が切って、やすって、きれいにしたものだ。あの木はいつも2階の私の部屋から見える、本当に黄金に輝く、何か大きい浮遊体のようだった。父が幼い頃、昔はとても深く見えた、あの森で苗を見つけて、家の庭に植え替えたものらしい。(しかしその話は父本人が覚えておらず、誰が言ったのか、我が家に伝わっている話なだけで、真相は藪の中なのである。) 母は、父の思い出の木なんぞを感傷的に
ベランダのプランターで房なりに育ったトマトが、赤く色づいてきた。友人は自分の子供にそれを指差し「しゅうかく」という言葉を教えようとしていた。1歳10ヶ月なのに助詞も正しく使うほどよく喋れる子で、小学生の頃に読んだ「天才えりちゃん、金魚を食べた」という本を彷彿させる。お母さんが、地味ながらも丹念に子供に話しかけをしているのをよく見ていたし、ご両親共々才能のある人たちだから、他人の私まで期待を寄せてしまうような女の子である。いつも綺麗な色のふわっとしたスカートを着て、あのウィス
縁の下がいっぱいになっていたので整理していたら、最近久しく見ていなかったボトルのガラス容器が見つかった。中にはやや緑がかった黄色の液体が入っている。なんだっけ、これ。梅酒は別の容器に入ってるしな。梅酒が変色しちゃったのかしら。それともずいぶん前に作ったリモンチェッロ?? これは果たして飲めるものなのだろうか、夫とおそるおそる飲んでみる。夫はそんな忘れ去られているものは腐っているものに違いないと、かなり試飲に抵抗していたが、無理やり付き合わせる。最初はリモンチェッロだと思
イタリアの人って、レストランに行って注文のセンスがやっぱり抜群にいいと思う。私なんかは食べたいもの、食べたい食材だけで選んでしまったりするけれど、AntipastoがこれならPrimoはこれ、PrimoがこれならSecondoはこれ、なんというかバランスがいいということもあるが、素材、野菜や畜産などの土地のことまで考えている、あと季節感とか、なんか自然がつながっているなあとハッとさせられることがある。挙げ句の果てにはこの料理食べた後なら、Dolceはこれだよねとまでいう。
息子が毎日欠かさず見ているアニメ、それは「おさるのジョージ」である。子供が生まれる前は映画を毎日見て年間200本以上、独身時代は年間300本以上見ていたが、今やおさるのジョージにその時間を侵されてしまっている。私はあまり子供に子供番組を見せないようにしていて、というよりテレビがないので、自動的に何かのチャンネルを流すということができず、そういう週間がなかった。しかしイタリアの実家でイタリア語の勉強にいいかもと、アニメチャンネルを見せていたら、おさるのジョージが彼にどハマりし
昨日は子供の一歳半記念だったので、レモンのケーキを焼いた。最近What'sappを始めた母にその写真を送ったら 「いつもそういうもの作ってるけど旦那さん太らない?」 というメールが返ってきた。孫への祝福の言葉も無かったことに加え、私のケーキの出来栄えに関する反応がそれのみでやはりちょっと嫌な気持ちになった。 やはり、というのはこれは彼女のお決まりの反応パターンなのである。安直な言葉で言ってしまえば、彼女は少し変なのである。私は表現の使い方が違うことを重々承知で、これ
マスクをする生活になって残念なことがある。子供に対して私の表情がわかりにくくなったことだ。それにせっかく話しかけても、多分聞き取りづらい、それに話している時の口の動きを見せてあげることができない。これは子供の言葉の発達に酷く悪影響なのではと、気になっている。 しかし、外でもマスクを致し方なく外す瞬間が最近2つある。子供にたんぽぽの種を吹いて見せる時と、シャボン玉を吹く時だ。今子供と遊ぶ手段が限られている中、毎日の日課になっている。 この家に住んで3−4年になるが、最