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エールを贈りたい

こんばんは。祇園ビールです。

秋にさしかかり、涼しくなってきて、夏の終わりに少し切なさを感じ、『秋うつ』なんていうものがあるようにもやもやとした気持ちもありつつも、冬の楽しみにも期待を膨らましています。

人はどんな時にエールが力となるのか。
どういう風に人にエールをおくれるのか。
どんな時に励まされたいのか。

人それぞれ。
考え方も感じ方も日々の生活も本当に人それぞれで、家族やパートナー、きょうだいや大親友、生活を共にしていても、自分は自分で他人は他人。

苦しみや辛さも本人にしかわからなくて、
それぞれどんな人でも何かを抱えて生きている。

それは多くの人と関わってきて感じてきたことでもあります。

さきほど、大切な方のnoteを読み思い出したことがあります。
私は元々、保育士をしていて、とても辛い家庭環境のお子さまの担任をしていた時、
頑張れという言葉は言わず『〇〇ちゃん、えいえいおー』といつも励ましていました。

本人は毎日すごく頑張っているのに、頑張れなんていう言葉でプレッシャーを与えたくありませんでした。どうしようもない環境をどうすることもできなくて、どうしてあげることもできない自分でもあって、できる限り笑顔で接し、笑顔になってもらえるように『えいえいおー』を繰り返していました。

この言葉は、魔法の言葉で、元気になるんです。だから魔法の言葉なのです。


自分はというと、辛いことも大きな困難もこれまでにあって、他人からしてみたら、そんなこと、、と思われるようなことでも、やっぱり色々辛かったし、でも諦めたら終わり、諦めないこと!と自分に言い聞かせてなんとかここまでやってきました。

でも、実際には強がって言い聞かせてきたつもりですが、たくさん諦めてきました。
だから、諦めたことで新たな発見もあるし、諦めきれないこともたまには諦めてもいっかーと思ったり、聞く耳を持たなかったことに耳を傾けてみたり、突然気が変わったり、その時でいろいろです。

それでも、感情のある人間だから、その時の感情でいいのかもと最近は思っています。
自分のやりたいことがわからなかったり、どうしたら良いのかわからなかったり、どうしようもなくても、わからないものはわからないんです。わからないことがわからなくてもいいんです。私は私だから。あなたはあなただから。

というのも、
最近可愛くて可愛くて大切な姪っ子も小さいながらも何かと闘っているようなのです。叔母ながらにとても切ないです。

数年前の保育園の敬老の日のイベントで、父母(姪の祖父母)と共に同行した時に、おじいちゃんかおばあちゃんとのふれあい遊びも、私とがいいと!言ってくれた嬉しかったあの日のことや旅行したことやたくさんの思い出を思い出すと、なんとか元気になってほしいとすぐさま、励ましのお手紙を書きました。

すぐに嬉しそうに読んでくれていたらしいのですが、さらっと最後の方に、最近顔がむくんで(飲み過ぎ?食べ過ぎ?笑)写真に写った自分がアンパンマンみたいだった(悲)という文章がツボだったようで、何度も読み返しては、爆笑してくれているようです。私にとっては、顔のむくみを気にしているのに、そのおかげで笑顔になってくれたのならそれでよかったです(笑)

何かで笑ってくれるなら、どんなことであれ、それだけてまわりは一番嬉しいことなのです。



お店の営業についても、もっとこうしてほしい、というご意見があったり、逆にこちらはこうしてほしいなんて気持ちになることもありますが、
それも私は私、あなたはあなただから、考えすぎず人それぞれなのだということを考えるようにしています。

それもまた、その時々で色々考え方を変えていこうと思っていて、自然の流れに身を任せているところです。

でもやっぱり、今言いたいことは、
エールを贈りたい。
これまでたくさん色んな方々に贈られてきたから。今度は私が力になりたい。笑顔になってほしい。

エールを贈る。
みんなに贈れる場所になるように、自分自身にも『えいえいおー!』


それでは、
よく食べて、よく寝て、身体に気をつけてくださいね!


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