日本人で初めてケンブリッジ大学を卒業…西洋数学を日本に広めた数学者、菊池大麓
(現代ビジネスより引用)
11歳で英国留学生に選ばれた天才
1855年の今日(3月17日)、日本への西洋数学
の導入に尽力した数学者・菊池大麓(きくち
・だいろく、1855-1917)が誕生しました。
幕末の著名な洋学者・箕作秋坪(みつくり
・しゅうへい、1826-1886)の二男として生ま
れた大麓(菊池姓は父の実家・菊池家を継ぐ
ため養嗣子となったため)は、11歳で幕府の
英国留学生に選ばれるなど、早くからその
才気を発揮しました。
留学先のケンブリッジ大学では日本人として
初めて成績優秀者の称号「ラングラー」を
獲得し、1877年の帰国後にはわずか22歳で、
誕生間もない東京大学の理学部教授となり
ました。
当初、東京大学の授業はお雇い外国人の教
授が担当していましたが、菊池の登場によ
って数学の授業は日本語で行われることに
なりました。
また、彼は数学の初等教育のシステムの整
備に尽力し、彼の執筆した著書『初等幾何
学教科書』は長く教科書として使われました。
菊池は多くの公職に就いて学術界の重鎮と
なり、東京帝国大学(現・東京大学)の総長
のほか、第1次桂太郎内閣の文部大臣(現・
文部科学大臣)や理化学研究所の初代所長
を務めています。
また、彼は多くの娘を当代随一の学者
に嫁がせ、箕作家より続く学者一族の血
を後世に残しました。
法学者の美濃部達吉、鳩山秀夫、末広厳
太郎はいずれも菊池の娘婿にあたり、四
男の菊池正士は日本における原子物理学
の先駆者とされています。
11歳で英国留学生に選ばれるなんて
天才的な秀才だったのですね!?
(これ以上の言葉がみつかりません。)
22歳で東大の教授って驚きです。
そして、学者一族の血を後世に残した
こともさすがとしか言いようがありません。
菊池大麓のことを東大生は知っているのでしょうか。
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