脳出血入院記(12)2022年10月 人生は喜劇
10月末の退院を目指して、もうひと頑張り。
ポジティブに「よし!頑張ろう!」と頭では思っているのだが、その一方で、「まだ1ヶ月も頑張らなきゃならないのか……」というネガティブな気持ちも湧いてきてしまう。
入院生活も最初の病院から通算で3ヶ月以上経った。10月半ばで4ヶ月になり、5か月目に突入する。入院が長くなると、自分の内側だけじゃなく外側からもモチベーションを支えるものが欲しくなる。
同じような境遇の他の人はどうしていたのだろう?と思い、ネットで入院記を検索するといくつも出てくる。多いのは、恋人やパートナーに支えてもらった。子供の存在が支えになった。苦しい時を乗り越えられたのは家族のお陰。そんな話ばかり。
新型コロナで自粛期間が長引いていたときにも同じような書き込みをネットでたくさん見た。仕事が減り、気分転換に外出もできない。自宅にこもる時間が長くなって悩みが増えたが、恋人やパートナーと苦労を分かち合った。子供の笑顔に癒された。家族で協力して乗り越えた。この何年もずっと同じような話を見ている気がする。
でも、僕は恋人はいないし、結婚もしてないし、子供もいない。じゃあ、僕を支えてくれるものは何もないのだろうか。僕は誰の為にリハビリをやっているのか。僕は何の為にリハビリをやっているのか。そう思えて悲しくなってしまった。モチベーションを上げる為に他の人の入院記を見たら、逆にモチベーションが下がってしまった。
家族が支えてくてた、というエピソードはとても良い話だと思う。全く反論ない。何も否定しない。
でも、誰もがそういう家族の話に感動するのが当然であり、感動できない人は「人間の心がない」などと批判される、という世の中の主流の考え方には全く同意しない。僕は全く感動できない。感動できない人間がいてもいいだろ。
僕は毎日いつも、日本全国を旅行する想像をしていた。それが僕のモチベーションになっていた。
日本全国の動物園や水族館に行く。日本全国のひまわり畑に行く。もちろん行くのは僕1人だ。一緒に行ってくれる人など誰もいない。1人で日本全国に行く。それを毎日いつも想像していた。1人だからこそ、リハビリを頑張ってもっと動けるようにならないといけない。僕は1人。それでも頑張る。頑張るしかない。
もしかしたら僕の頑張りには何の意味も無いのかもしれない。誰の役にも立たないのかもしれない。だけどそれでも、僕は生きてる。生きているのなら、つらいより楽しい方がいい。
突然に倒れたあの日、いくつもの偶然の幸運が重なって、僕は生かされた。「運命」というものが存在するのなら、あの日で終わらないことが僕の「運命」なのだろうか。
僕はなぜ生かされたのか。僕の運命はどこに続いているのか。それを知りたい。知ることには何の意味も無いのかもしれない。だけどそれでも、僕は知りたい。
連絡をくれて励ましてくれる友人はそれなりにいて、有難いとは思ったんだけど、僕が落ち込んで無気力に寝込んでいる、と決めつけて過剰に励ましてくる人が多かった。悪気はないのだろうけど、正直に言って邪魔だった。
何度も何度も「頑張ってヤル気を出して」みたいなことを言われると、僕は最初からヤル気満々でリハビリを頑張ってるのにそれを否定されているみたいで腹が立った。
どこがで聞いたことあるような名言・格言をしきりに送ってくる人もいた。でも、僕を感動させてやろう、みたいな気持ちが透けて見えて全く何も心に響かなかった。「明けない夜は無い」「やまない雨は無い」そんな類の言葉を何度も見た。
僕は前向きにリハビリを頑張ってる。大変な状況ではあるけど今の状況が「明けない」なんて微塵も思っちゃいない。
舐めんなよ。
自分で色んな名言をネット検索してみて、心に一番響いたのは、チャップリンの言葉。
Life is a tragedy when seen in close-up , but a comedy in long-shot .
人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ。
とても素晴らしい言葉。僕のこれからの人生の座右の銘にしよう。
友人の中には「お見舞いに行く」と言ってくれる人もいた。ダメ元で病院に確認してみたら、やっぱりダメだった。コロナ禍なので面会は禁止、例外は絶対にないとのこと。
病院で出来る代替案として「直接に会わないオンライン面会なら出来ます」と言われた。詳しく聞いてみたら、要するにビデオ通話のことだった。上手いこと言うなぁ。オンライン面会だってさ。スマホ持ってない年輩の人にとっては新しい画期的な方法なんだろうけど、僕はスマホ持ってるからなぁ。ビデオ通話したけりゃいつでも自分で出来る。
一度、病室に一人でいる時に外から窓をノックされたことがあった。
何だろう?と思って窓を開けて外を見ると、女性が立っていて「○○さんの部屋はここですか?」と聞いてきた。「違う」と答えると、「じゃあ、○○さんの部屋がどこか教えて欲しい」と聞いてきて、「分からない」と答えると、そそくさと離れていった。
勝手に病院の敷地内に侵入してまでもどうしても会いたい人がいるんだろうけど、これはダメだよねぇ。申し訳ないけど、不審者として看護師さんに報告しました。
ある日、リハビリ室に行くのに車椅子で病棟の廊下を移動していた時。
廊下のド真ん中で止まっている車椅子のジジイがいる。ハッキリ言って邪魔だ。この辺の病室にいる人の顔はだいだい分かるけど、この人は見たことないなぁ。どこか遠いところの病室から来ちゃったのかなぁ。徘徊して迷子になるおじいちゃんがたまにいるんだよね。
声を掛けてみるけど、全く反応してくれない。聞こえてないのか。無視してるのか。どうしよう。困ったな。リハビリに行きたいのに。
よく見ると、ジジイと右側の壁の間のほうが少し広くてギリギリ通れそうだ。そこを通り過ぎようと思ってジジイに近づいたら、急にジジイがキレて怒鳴ってきた。何を言ってるかは分からない。
何だか分からないけどとりあえず謝っておこうと思って「すいません」と頭を下げたが、ジジイは顔を真っ赤にして聞き取れない言葉を叫んで怒鳴り続けている。僕が何度も頭を下げて謝っても怒鳴り続ける。
はぁ。ジジイうるせえ。
馬鹿らしくなって、頭を下げるのをやめた。
早くそこをどいてくれないかなぁ。僕はリハビリに行きたいんだよ。ジジイ邪魔。体当たりしてジジイ吹っ飛ばそうかなぁ。このままジジイ怒りすぎて血圧が急上昇して死なないかなぁ。でもここでジジイ死んだら僕のせいになるのかなぁ。それは嫌だなぁ。いっそのことジジイのほうから僕を殴ってくれないかなぁ。そしたらこっちも正当防衛で手を出せるのに。いつまでも怒鳴ってんじゃねーよ。面倒なジジイに絡んじゃったなぁ。
あー面倒臭い。ジジイ死ねばいいのに。
なんて思ってたら、看護師さんが来てくれた。一連の出来事を説明したら、後は任せて行っていいよ、とのこと。看護師さんがジジイの車椅子を押してどかして廊下を通れるようにしてくれて、僕はその場を通り過ぎてリハビリ室に向かった。
後ろからはまだ怒鳴ってる声が聞こえるが、もう知らん。看護師さん余計な仕事を増やしちゃってごめんね。
いつからかリハビリ室で見掛けるようになったおばあちゃんがいた。
自分が入院していることを理解できていなくて、毎日のように「いつまでこれをやらなきゃならないの?」「これをやったら家に帰れるの?」とリハビリの先生に聞いていた。先生がはぐらかすように曖昧に答えてると、泣きながら「家に帰りたい」「迎えに来てもらいたい」と訴えかける。
こういう時に、ハッキリと「ここは病院です。入院してください」って言ったらダメなのだろうか。言った上でこうなってしまってるのだろうか。
おばあちゃんが泣き出すと看護師さんもリハビリ室に呼ばれて来て、「今日はもう遅い時間になったから泊まっていきましょう」「ご飯も用意してありますよ」「ご家族には連絡してあります」「旦那さんが着替えを持ってきてくれてます」などと言って引き留める。
僕がリハビリ室でおばあちゃんを見かける時は、いつもこんな感じでほとんどリハビリにならずに話しているだけだった。
ある日、不意に聞こえてきた話の内容で、そのおばあちゃんは僕が通っていた中学校の近くにある商店のおばあちゃんだったことに気付いた。おばあちゃんの顔や名前は覚えてないけど、その商店のことはハッキリ覚えてる。頻繁に行っていて、ものすごくお世話になったお店だ。
僕が話し掛けてかけて地元の思い出話なんかをしたら少しは元気になるかな?なんてことも考えたのだが、僕はあと少しで退院するつもりなので、すぐにこの病院からいなくなって会えなくなる。そうなったらむしろショックを与えるかもしれないと思って、話し掛けるのをやめた。
後日、退院してから、その商店に行ってみた。建物は当時のまま残ってたけど、もう営業はしてなくて、中を覗くと何も置かれておらずコンクリートの床が剥き出しになっていた。
おばあちゃんあれから元気になったかな。生きてるかな。
病院内で会う度に雑談を交わす人がいた。
隣の病室の人で、使うトイレや洗面所が一緒なので顔を合わせることが多くて、軽い雑談を交わすようになった。普通にちゃんと話が通じる、この病院の中では貴重な普通の人。
ある日、その人が病棟の廊下の隅で泣いていた。声を掛けづらい雰囲気だったのと、また変なトラブルに巻き込まれたくないという気持ちもあり、看護師さんを呼んだ。
看護師さんが来てその人に話を聞くと、その人は退院が決まったそうだ。「つらかった...…」と言いながら泣いている。看護師さんが「退院できて良かったね」と声を掛けると、その人は叫ぶように号泣した。
でも、その人はその後もずっと入院していた。僕の知る限りずっと退院しないで入院していた。そして、トイレや洗面所で顔を合わせる回数が減り、会釈程度の挨拶だけで雑談はしなくなった。
退院が決まったというのはその人の勘違いだったのか。それとも何かあって退院が取り消しになったのか。何があったのだろう。ものすごく気になるけど、怖くて聞けなかった。
病院には色んな人がいた。
退院できなかった人。入院が分からないおばあちゃん。急にキレて怒鳴るジジイ。ふりかけの量を異常に気にする人。時間が分からない同年代くらいの人。一般病棟で同室だった寝たきりのおじいちゃん達。
そして、ある日突然にいなくなったおじいちゃん。最後に何を思ったのだろう。
みんなが人生は喜劇だと思えるようになる日は来るのだろうか。悲劇のまま終わってしまわないことを願う。
僕は、喜劇を生きる。
今は、喜劇の中の悲劇パート。メリハリを付ける為に悲劇パートはものすごく辛く悲しいほうがいい。ここで起きたことが伏線になって、この後の展開が盛り上がって面白くなっていく。
泣いて笑って感動できる楽しい喜劇にしよう。