脳出血入院記(14)2022年10月 歯車が回りだす
そういえば、入院前は坐骨神経痛とか肋間神経痛とか身体中のあちこちが痛かったのだが、それがいつの間にか全く何も無くなっていた。
と言うか、坐骨神経痛や肋間神経痛のことをすっかり忘れていた。忘れてしばらく思い出さないくらい全く痛くなくなっていた。
何年間もずっと身体中に痛いところがあって、色んな病院へ行って色んな検査をしてもらったのだが、根本的な原因はずっと不明で、いつも神経痛だと言われて痛み止めの薬を貰うだけだった。
3ヶ月くらい机に座らずに仕事をせずにいたら、神経痛が無くなった。何となく察してたけど、やっぱり原因はストレスだったのかなぁ。入院のお陰で思わぬところにも影響があって、元気になった。
入院中は毎日必ず血圧を測って、定期的に血液検査もして、他にも色んな検査があったけど、検査結果の数値で悪いものは何もなくなり、全て正常の範囲。重大な病気とかも何も見つからなかった。入院中に具合が悪くなるようなことも一度もなかった。
脳出血の後遺症で身体が動きづらくなっちゃったけど、その他の不調は何もない。ただ動きづらいだけ。ただそれだけだ。この数年で、もしかしたらこの数十年でも、今が一番健康かも知れない。
ある日の夜、晩御飯を食べて、ノートパソコンをちょこちょこといじって、あぁ、今日も終わったなぁ、あとはダラダラとテレビ見て寝るだけだなぁ、なんて思いながら、ノートパソコンの電源を切る前に習慣でメールを確認したら、仕事のお付き合いのある知人からメールが来ていた。
トラブルが発生したらしい。会社の公式ホームページにエラーが表示されてしまい、自分で直せないので助けて欲しい、とのこと。
この人には僕が入院していることを報告してある。それでも僕に連絡してくれた。こんな状態の僕でも頼ってくれるのが有難い。
ノートパソコンの電源を切らずに、その人と何度か連絡をやり取りしながらホームページの現在の状況を確認して、エラーの原因と修正方法を考えた。
なんだかんだで時間が掛かって、もうすぐ消灯時間になってしまう。全ての修正を完了させるまでの作業はできないので、とりあえずホームページが必要最低限の見れる体裁に整える作業だけして、明日やる作業をメモして残した。
消灯時間になったので、パソコンの電源を切って、ベッドに入る。でもすぐに眠りはせずに頭の中では明日の作業内容を考えて、思いついたことを布団の中でスマホにメモる。いつの間にかそのまま寝落ちして、次の日の朝、起床時間よりちょっと早く起きてパソコンの電源を入れて、静かに作業を再開する。
入院前の仕事をしていた時のようだ。ずっとこんな毎日だった。こんな慌ただしい毎日を過ごしてたから血圧が上がって脳出血になったんだろうな。きっとそうだ。またこんなことをしていたらストレスが増えそう。
でも、正直に言うと、僕はこの状況を嬉しいと思った。入院前に戻ったようで、この慌ただしい状況が嬉しかった。これが僕の日常だった。僕は僕の日常に戻ってきた。
嬉しいけど、こういう状況が良くないことも今は分かる。僕は僕の日常をこれからも長く続ける為に、今までのやり方を変えなければならない。これからは自分の健康を最優先にしよう。仕事の作業は無理なくやれる範囲を考えながらやるようにしよう。
この日もリハビリはしっかり行って、それ以外の時間はずっとノートパソコンの作業をした。そして、トラブルはしっかり解決できた。良かった。久々の達成感。
脳に雷が走った。イメージが立体的になって色が付いてカラフルになった。その中に、光り輝く歯車が見えた。
ずっと消えていた歯車がまた頭の中に出てきた。
頭の中の歯車が動き出した。錆びついてるみたいでスムーズには動いておらず、ギシギシと重たげだけど、確実にちょっとずつ動いている。
もっと動け。もっと回れ。グルグル回れ。ギュンギュン回れ。
色んなことが良い方向へ動いて、あらためて進みだした気がした。僕の日常が動き始めた。
リハビリにはまた新しい内容が増えた。
室内で歩く練習をする時は病棟の廊下を歩くのだけど、この時に杖を使わずに、壁に手を掛けて歩いていく練習をするようになった。
杖を持つより壁に手を掛けた方が安定はする。でも、安全に手を掛けられるところが必ずあるとは限らない。壁がずっと続いてるわけでもない。病室のドアは手を掛けると開いてしまうかもしれない。壁のように見えるけど壁じゃなくて目隠しの為に立てられているだけの移動式パーテーションやカーテンのところもある。ベッドを運んで動かせるように広く余裕のあるスペースを空けている場所もある。僕だけではなく他にも壁を頼って壁伝いで歩いている人もいるし、僕のほうが元気で動けるなら僕が避けてあげなければならない。
常に周りの状況を見て、安全に進めるルートを常に考えながら歩く。
同じところを何度も歩くと安全なルート取りの順番を覚えてしまうので、頻繁に場所を変えて、病院の中の色んなところを歩いた。ものすごく大変だったけど、コースが毎回違う障害物レースのゲームをやっているみたいで面白かった。
この頃に、近くの病室に新しく入って来たおじいちゃんがいた。
そのおじいちゃんは、病棟内の色んなところで見掛けて、結構な頻度でおばあちゃんをナンパしていた。
おばあちゃんに「困ったことがあったら俺に言いな。助けてあげるよ」とか言ってる。だけどアンタも病気で入院してるんだから助けることなんて無理でしょ。こんなところでカッコ付けて何やってんの?
ちなみに、声を掛けられてるおばあちゃんはみんな綺麗な人だった。化粧は分からないけど髪はちゃんとブラッシングされていて、服も清潔感があってオシャレなものを着ていて、身なりに気を付けてる人ばかり。おじいちゃんはビジュアルを見て選んで声を掛けているようだ。まさにナンパ。
声を掛けられたおばあちゃんはみんな笑顔で愛想良く対応してる。それが本当に喜んでるのか、迷惑してるのを隠してるのか、若造の僕には分からない。
僕はもうすぐ退院するつもりだけど、唯一の心残りは、このおじいちゃんのナンパがいつか成功してカップル成立するのか、失敗が続いていつか諦めるのか、それとも病院から注意されて強制的に辞めさせられるのか、このナンパの行く末を見届けられないことだ。
病院で何やってんの?馬鹿じゃないの?と思ったけど、病気になって入院してもやりたいことをやるアグレッシブさは見習いたいとも思った。
毎日の薬の飲み方が変わった。
今まではご飯が配膳される時に一緒に薬を貰って飲んでいたが、それが変わり、数日分の薬をまとめて受け取って部屋に置いておく方式になった。ご飯を食べ終わったら自分で薬を確認して飲む。退院してから自宅で薬を飲むのと同じ状態。
この方式に変わった時に、僕は本当に退院が近づいてるんだ、と初めて実感した。
薬の小袋を空けるためのハサミを病院から借りて、自分の病室に置いて使うようになった。看護師さんから「他の人にはハサミなどの刃物を許可してないから、他の人にはハサミを絶対に貸さないように」と注意があった。僕はハサミを借りれたってことは、大丈夫な人として病院から信用されてるのね。あぁ、良かった。
そして遂に、10月末での退院が正式に決まった。5ヶ月くらい続いた長い入院生活がやっと終わる。あと少し。
ちなみに、病院の主治医の先生から正式な通告があったりしたわけではない。ちょっとした用事で看護師さんと話していた時に、「退院するんだってね。良かったね」みたいな感じで軽く言われた。つい口を滑らせちゃった、みたいな慌てる感じもなく、僕が退院することは病院内で周知の事実になっているようだった。その後、リハビリの先生に聞いて、退院が決まったことをあらためて確認した。
色んな人から聞いた話を総合すると、看護師長さんは「まだ早い。まだ入院してリハビリを継続すべき」と言っていたらしい。でも退院できることになった。リハビリの先生がまた何らかの力添えをしてくれたのだろうか。ありがとう。