脳出血入院記(10)2022年9月 日常生活に向けたリハビリ
自宅のアパートで今現在の動作を確認した上で、リハビリの先生としっかり話し合った。そして、現時点の目標として9月末の退院を目指して頑張ろう、ということになった。
色々あったけど、今後のことについてリハビリの先生と具体的に話すことが増えて多くなった。看護師長さんと話すことは相変わらず増えないけどね。
自分の病室にあるメモ用紙に9月のカレンダーを手書きして、9月末の退院予定日に花丸を付けた。
そして毎日、日付を塗り潰した。
リハビリの内容は、退院後の日常生活に向けた具体的な練習になった。
歩く練習は、具体的なことをイメージしながらするようになった。
例えば、リハビリ室の中を歩いて周る時には、ここは買物に来たスーパーだとイメージして歩く。
スーパーでは、ぐるっと一周しただけで欲しいものを全てカゴに入れられることは滅多になく、大抵は忘れていたものあったり後から欲しくなったものが出てきて、行ったり来たりしながらグルグル歩く。だから、リハビリ室の中を歩く時も、細かくジグザグに曲がって行ったり来たりしながら歩いてみる。
それに加えて、今まではとにかく安全第一で絶対に転ばずに確実に歩くことだけを考えていたが、転ばない範囲で出来るだけスピードを上げて早く歩く練習もするようになった。
また、日常生活では正面に歩いていくだけではなくて色んな歩き方をするので、その練習もする。
横歩き、後ろ歩き、その場で回る、狭い所を通る、床に落ちている物を踏まないようにまたいで超える、等々。
歩きながら日常生活の中で頻繁にやりそうな動作の練習もするようになった。
高い所にある物を取る、床の物を取る、重い荷物を持ち上げる、荷物の入ったカバンを肩に掛けて歩く、杖を持ったまま袋も持って歩く、杖を使わずにその辺の物や壁に手を掛けて歩く、等々。
長い距離を歩く練習は、リハビリ室の中を周るだけではなくて、病棟の廊下を歩くようになった。
病棟の廊下は常に大勢の人がいる。普通に歩いている人、ヨロヨロとゆっくり歩いてる人、車椅子の人、そういう人に付き添っている介護士、急いでいる看護婦、荷物を運んでいる職員、何人かで集まって立ち話してる人達、等々、色んな人がいる。その間を縫って歩いて行くのはとても難しかった。
また、リハビリの先生がこっそり教えてくれたのだが、「病棟の廊下を歩けば看護師さん達が必ず見る。看護師長の目にも入る。“僕はこんなに歩けます”という良いアピールになる」という裏の目的もあるそうだ。
ただし、病棟の廊下でつまずいて転べば逆の悪いイメージになってしまう。病棟の廊下での歩く練習はものすごい緊張感があった。
病棟の中の階段で昇り降りの練習もした。
今までも筋トレの一環として数段の階段状のリハビリ器具を上がったり下がってする練習はしていたので、階段はその段数が増えただけだろうと思っていたが、実際にやってみると、そんなに簡単ではなかった。
上り階段が果てしなく続きそうな圧迫感。下り階段から落下するかもしれない恐怖感。階段ってこんなに怖いのか。身体は動くようになってるからやれば出来るはずなのだが、気持ちは怖い。階段は正直、苦手だ。
外に出て歩く練習も始まった。病院の周りをグルっと歩く。およそ500メートル。最初は500メートル歩くのに何度もつまずいて転びそうになりながら30分くらいかかった。
いや、言い訳させて貰うとさ、この病院の周りは道路が悪くて歩きずらいのよ。舗装が割れてボッコボコになってるところが何ヶ所もあるし、舗装が途切れて中途半端な砂利道になってるところもあるし、むちゃくちゃ歩きづらい。リハビリで歩く練習をするコースとしておかしい。どうなってるのよ?
なんて言い訳してみたけど、外を歩く練習をしてるのは僕1人じゃないし、この道路を苦も無く歩いてる人もいるし、僕も以前は全く何の苦も無く歩いてたと思う。結局、僕の練習がまだ足りないってことか。
これから退院して外を歩いたら、こんな道路もあるだろう。文句言わずに頑張るしかない。
病棟の廊下を歩いたり外を歩いたりしていると、確かに看護師さんの目に入ることが多くなったようで、「頑張ってるね」「歩けるようになったんだね」などと看護師さんから声を掛けられることが増えた。
看護師さんにも色んなタイプの人がいた。
看護婦長さんは特殊な立場だからちょっと置いとくとして、それ以外で嫌な人はいなかった。愛想の悪い看護師さんとか仕事のできない看護師さんとかそういう極端な人は誰もいなかった。みんな良い人。ただ、人によって性格は違うから、説明の表現方法とか作業のやり方とか得意なことが違った。
僕はお気に入りの看護師さんが1人いた。
その看護師さんは、僕が自分で出来ないことがあっても、看護師さんはやってくれずに、僕が自分でやれる方法を一緒に試行錯誤しながら考えてくれた。何らかの道具が必要な時は道具を用意してくれて、その使い方の練習をする。僕が使いやすい丁度よい道具がない時は既製品をカスタマイズして手作りしてくれる。だから、最初はものすごく時間が掛かるけど、練習して自分で出来るようになってしまえばあとは楽。
この看護師さんには本当にお世話になった。心から感謝している。ナースコールを押した時にこの看護師さんが来てくれると嬉しかった。出来るなら指名料を払ってこの看護師さんを常に指名して呼びたかったくらい。ぶっちゃけ可愛かった。お気に入りだから可愛く見えただけかもしれないけど。
看護師さんと雑談することも増えた。
仕事の話とか休日の話とか趣味の話とかから始まって、好きな食べ物とかご飯の話にもなる。僕は男の1人暮らしなので、非常に高い確率で「ご飯はいつも外食とか弁当ばかりでしょう」と決めつけて言われる。
脳出血で倒れて入院しているから、血圧が高くなった理由としても外食や弁当ばかりだったと思われるのだろう。仕方ない。でも僕はほとんど外食しないし弁当も買ってこない。毎日いつも自分で作っていた。なのでそれと言うと、今度は「何を作るの?」「得意なメニューは何?」と必ず聞かれる。
だけど自分1人が食べるものにメニュー名のある立派な料理なんて作らない。野菜とか肉とか魚とかを切って焼いたり煮たり火を通して適当に調味料で味付けするだけ。強いてメニュー名を付けるなら、焼いたら野菜炒めで煮たら鍋。毎日、野菜炒めか鍋。
いつもこれを言うとガッカリされて微妙な空気になってしまう。話を盛り上げる為には「得意料理は肉じゃが」とか「カレーのスパイスにはこだわってる」とか言ったほうがいいのだろうか?
リハビリの先生と雑談している時に、「退院してから毎日のご飯どうするの?」と聞かれた。僕は自分で作るつもりだということを話すと、いつものお約束の流れがあり、そして実際に料理を作って練習してみよう、ということになった。
リハビリ室の一角にはキッチンがある。それはキッチンでの動作を疑似的に練習するためのセットかと思ってたのだが、実は本当に使えるキッチンで、リハビリの一環として料理を作ってもいいらしい。
およそ3ヶ月ぶりの料理。
作るものは、カレーライス。