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脳出血入院記(6)2022年7月 一般病棟の生活

 病室でノートパソコンを使いたくて、良いかどうか看護師さんに質問した。

 脳出血で倒れて入院してからほぼ一ヶ月。僕は自営業でデザイン関係の仕事をしているのだが、普段から頻繁に連絡を取り合っている人や会社にはスマホから連絡済み。仕事のメールはスマホにも転送して見れるようにしているので、この一ヶ月の間に仕事関係の急ぎの連絡が来ていないことは分かっている。だから仕事の為にノートパソコンが今すぐ絶対に必要、というわけではない。
 ただ、パソコンを使うことが僕にとっての日常だったので、ほんの少しでも日常を取り戻したいと思った。
 僕はこの寝たきりのおじいちゃんの病室に慣れてしまうことを断固として拒否する。僕は寝たきりにはならない。今の僕にはノートパソコンが必要だった。

 ノートパソコンについて質問した看護師さんは即答せずに、入れ替わりで看護師長さんが来て、「回答はちょっと待って欲しい。院内で会議するので数日待って」とのこと。
 え?そんな大変なこと聞いた?脳出血したらパソコン使えなくなるの?脳を使い過ぎるから危険とかそういうこと?それとも、病院のネットワークに入り込むとか思われてる?
 とか悶々と考えてたら、数日後に正式な回答が来て、ノートパソコンはOKだった。
 特に重大な問題があったのではなくて、この病院で入院患者のノートパソコンの持ち込みは今まで前例が無かったので、念の為に会議に出したのだそうだ。年輩の人が多い病院なので、携帯電話さえ持ってる人は少ないし、ノートパソコンを使う人なんて全くいなかったのだろう。

 親に連絡をして、自宅からノートパソコンを持ってきて貰った。
 ほぼ一ヶ月ぶりにノートパソコンの電源を入れる。いつも見慣れた起動画面。前は「遅っ!」と思っていたけど、今はこの遅さすら愛おしい。
 ログインパスワードの入力画面が表示される。パスワードを入力しようとしたのだが、思い出せない。以前なら何も考えなくても指が憶えていて指が自動的に動いて入力できるくらいだったのだが、それも出来ない。毎日毎日入力していたログインパスワードを頭も指も忘れてしまっている。悲しい。悔しい。涙が出そうになった。

 こんな感じの意味の文字の並びのはず、というのは何となく覚えてたので、文字をちょっとずつ変えながら入力してみて、何回も試して遂にログイン成功!
 いつも見慣れたデスクトップ画面。毎日見ていた画面。
 僕の日常。おかえり。ただいま。
 寝たきりのおじいちゃんに囲まれて大便の臭いが漂い奇声が聞こえる中で、1人で号泣しながら笑った。

 病室にいる時は、出来るだけ身体を起こしてベッドの上に座ってノートパソコンに集中するようにして毎日を過ごした。(この入院記も大半は病室でノートパソコンに打ち込んで書いていたものをベースにしてる)
 そして、リハビリの時間を出来るだけたくさん入れて貰って出来るだけ病室を出るようにした。
 ここは一般病棟なので、リハビリは1回30分を週に数回だけで、それも病室のベッドで行うというのが基本。だけど、僕はリハビリをメインでやっている病棟の人達と同じように最大限の時間を取って貰って、専用のリハビリ室に連れて行って貰えるようにお願いした。
 毎日、1回1時間ずつ1日3回、合計3時間。時間になるとリハビリの先生が迎えに来てくれて、車椅子に乗って、リハビリ室に行く。

 身体を動かす理学療法(主に足で歩くリハビリ)。
 日常の動作をする作業療法(主に腕を動かすリハビリ)。
 喋る言語療法。
 この3つのリハビリを毎日1時間ずつやる。日曜日も祝日も関係なく毎日。学校の時間割のようなスケジュールを決められて、何曜日の何時から何のリハビリをするか決まっている。
 前の病院ではリハビリの時間は特に決まっていなくて、リハビリの先生が来てくれるのをただただ待っていた。でも、ここの病院では自分で時間を確認しながら考えてスケジュール通り行動しなければならず、そうやって時間を気にすることも社会生活のリハビリの一環になっているらしい。

 理学療法は厳しかった。
 のんびりと雑談しながら遊びの延長のような感じで軽く身体を動かしているおじいちゃんおばあちゃん達の中で、僕だけ汗だくになってハァハァ言いながらトレーニングしていて、僕のところだけ雰囲気が違った。
 椅子から立ち上がるスクワットをしたり、仰向けで寝た転がった状態で腰を上げたり足を上げたり、上体を上げて腹筋をしたり、地味な筋トレがメイン。
 理学療法の先生はこの病院は一番若い人で、ヤル気が溢れていて、体育会系で厳しかった。少しでも手を抜いて楽をしようとするとすぐに見破られて怒られた。でも、僕には合っていた。厳しい先生で本当に良かった。

 作業療法は難しかった。
 麻痺してる左腕の肩が脱臼しかかっていた(亜脱臼)。左腕に力が入らなくてブラブラさせていたからだろう。
 亜脱臼が悪化しないように気を付けて、その上で動かせるようになるリハビリをしなければならない。
 動かし過ぎると痛い。でも動かさないとリハビリにならない。だからほんの少しずつ、角度で言うとほんの数度ずつ動かしながら大丈夫な範囲を探る。少しずつ動かしながら先生が「大丈夫?」と聞いてくれる。でも、結局どの程度まで動かすかを最終的に決めるのは自分自身だ。痛いか痛くないかはハッキリ分かるが、微妙に何となく違和感があるような気がする時はどうすればいいんだろう。加減がとても難しかった。

 言語療法は楽しかった。
 理学療法と作業療法は男性の先生が厳しく指導して、言語療法は女性の先生が優しく指導するというアメとムチらしい。 
 基本的にはリハビリ用の教材を読んで発音の練習をするのだか、雑談だけで時間がほとんど終わることもあった。雑談で喋ることもリハビリの一環だからそれで別に構わないそうだ。後から考えると、言語のリハビリの時間に雑談するのが、入院中のとても良い気分転換やストレス発散になっていたのだと思う。

 地味な筋トレのお陰で足腰に力が入って身体がよく動くようになってきて、ベッドと車椅子への乗り移りが介助なしで一人でスムーズに出来るようになった。
 看護師長さんに見て貰って、「問題なし」というお墨付きが出る。

 寝たきりを卒業!

 どこかに移動する時は、自分で車椅子に乗り込んでから、看護師さんを呼んで押して貰って移動する。まだ自分1人だけで自由に動く許可は出ないが、いつでも自分の好きな時に車椅子に乗って移動できるようになったのはものすごい進歩だ。

 ご飯は食堂に行って食べることになった。
 おしっこはトイレに行ってすることになった。
 そして今までは紙オムツだったのだけど、普通の自分のパンツに変わった。この時に、パンツだけじゃなくてTシャツやジャージなどの私服も着るようになった。
 トイレに行くようになると、ウンコが自力でほぼ毎日しっかり出るようになった。筋トレの成果と気分的なものだろう。トイレでするウンコ、気持ちいい!
 お風呂は相変わらず専用のベッドに寝たまま洗われる方法だが、この病棟ではこの方法しかないらしい。このソープランド方式は楽だし気持ち良いからまぁいいか。ただ、服を脱ぐのと着るのは自分で行うようになった。

 日常的な動作を看護師さんに手伝って貰うことはほとんどなくなり、移動の為に車椅子を押してもらうだけのような用事が増えたので、僕の対応は看護師さんではなくて介護士さんが来てくれることが多くなった。
 用事があってナースコールを押すと何人もの介護士さんが一斉に来てくれて「私がやる」「いや私がやる」と取り合いになるくらい僕は人気でモテモテだった。
 ……と思っていたのだが、実際にはそういうことではなかったらしい。僕はこの病棟では断トツに若くて話が通じるし変なことをしないので、僕の対応は簡単だから楽をする為に取り合いになっていたらしい。

 そんな中でも特に仲良くなった女性の介護士さんがいた。
 いつもテキパキと走り回って働いていて、ニコニコしていて愛想良くて、だけど患者が危ないことや迷惑なことをした時には厳しくビシッと注意する。僕よりも一回り年下なのだが、尊敬できる働きっぷり。
 時間が空いている時には僕のベットの所に来て「どう?元気?」なんて話しかけてくれた。そんな時はとても可愛く見えた。手をギュッと握って「ガンバレ!」と励ましてくれたこともあった。小さな温かい手。
 ちょっと好きになりかけた。なりかけて現実に戻った。介護士さんが仕事としてやってくれてるんだ。仕事。優秀な介護士さんの仕事。いやぁ、危ない危ない。

 ある日、僕がリハビリをして病室に帰ってくると、隣のベッドに何人もの看護師さんが集まって慌ただしくしていた。
 隣のおじいちゃんの体調が急変したらしい。あの陽気だったおじいちゃんが苦しそうに咳をしている。咳が止まらない。

 ごほっ、ごほっ、ごほっ、ごほっ、ごほっ……、
 げぇっ、げぼっ、う、う、う……、

 激しく咳をして、喉が詰まり、息が止まる。
 その度に看護師さんがおじいちゃんの口の中に機械の管を入れて処置をして、おじいちゃんの態勢を動かす。
「それ取って!」
「先生の指示は!」
「次はこっちを向かせて!」
「早く!」
 看護師さんの怒号が飛び交う。
 でもおじいちゃんの苦しそうな咳は止まらない。
 おじいちゃんのはベッドごと運ばれていった。

 おじいちゃんはそのまま帰ってこず、数日後にはそこに残っていたおじいちゃんの私物が全て無くなった。そして、まっさらなベッドが置かれていた。
 直接は聞かなかったが、廊下で看護師さんが話しているのが聞こえた。おじいちゃん、さようなら。

 人は、ある日突然、いなくなる。
 昨日まで元気に顔を合わせて挨拶していた人だって、ある日突然、いなくなる。
 次にいなくなるのは、僕かもしれない。

 いや、僕はいなくならない。絶対にいなくならない。いなくなってたまるかよ。冗談じゃない。
 僕がこの病院からいなくなるのは、動けるようになった時だ。自分で歩いてこの病院を出て行く時だ。

 一生懸命にリハビリをして体幹が鍛えられて、座ってる時に身体がグラつくことは全くなくなった。自分で椅子から立ったり座ったり、その場に立っているだけなら何にも捕まらずに自分の足だけで立っていられるようにもなった。歩くことはできないけど、それ以外の動作なら介助が必要なく自分1人でも安全に動けることを看護師長さんに確認してもらった。
 車椅子でなら、誰かに押してもらわずに、自分1人で自由に移動してもいい許可が出た。
 そして念願のリハビリ棟への移動が決定した。

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