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脳出血入院記(3)2022年6月下旬 リハビリ開始

 足に装具を付けた状態でその場に立つ練習を何日も繰り返し、スムーズに出来るようになったら、次は、足に装具を付けないでその場に立つ練習。

 ベッドの脇に座った状態から立ちあがり、腰を下ろしてベッドの脇に座る。スクワットのような運動をくり返す。
 麻痺している左足には力が入りづらいので、思わず右足のほうに体重を掛けてしまいがちなんだけど、そうすると身体が少し右側に傾くので先生にバレて、左足の太もものを触られて力が入っていないと「楽するな!」と怒られる。
 麻痺してる左足にしっかり体重を乗せ立ち上がろうとした時は、少しフラついたりスムーズに立てなかったりするけど、「いいねぇ!」と褒められる。そう、これは左足で立つ為のリハビリなのだ。

 リハビリの先生から嬉しいことを言ってもらった。
 僕の足の筋肉はとても良いらしい。足が麻痺すると、大抵の場合、全く力が入らなくてダルダルになるか、もしくは異常に力が入り過ぎてガチガチになるか、極端などちらかになってしまうらしい。
 でも、僕の麻痺している左足はそのどちらでもなくて、適度に柔らかい状態を保ったまま力が入る。普通の状態に近い。だから、リハビリを続ければ動くようになって歩けるようになれる可能性が高い、とのことだった。
 ものすごく嬉しかった。ものすごく自信になって、これからリハビリを頑張ろうという気持ちが強くなった。

 自分の足でその場に立てるようになったら、車椅子に乗り移る練習が始まった。
 ベッドの脇に座ってから、立ち上がり、その場で体の向きを回して、車椅子に座る。
 車椅子をベッドからどれくらいの位置にどれくらいの角度の向きで置けば、自分が乗り移りやすいか。何度も練習を繰り返しながら試行錯誤して、自分がやりやすいポジションを見つける。

 車椅子にスムーズに乗り移れるようになったら、次は、とにかく座る。最初はただ車椅子に座っているだけ。
 車椅子はその名前の通り椅子に車が付いているから、けっこうグラグラ動く。動かないようにブレーキを掛けられるけど、それでもちょっと動く。
 車椅子に座ったままテレビを見たり、車椅子に座ったまま喋るリハビリをしたり、車椅子に座ったままご飯を食べたり、ただそれだけ。ただそれだけなんだけど、けっこう疲れる。ずっと座っているってけっこう疲れる。疲れるんだけど、ベッドから離れられて嬉しい。ベッドの上にいるのとは気持ちが全然違う。

 車椅子に長い時間ずっと座っていられるようになったら、リハビリの先生に後ろから押して貰って病院の中をあちこち散歩して周った。
 たまに先生は「内緒だよ」と言いながら、病院の外にも出してくれた。久しぶりに外の空気を吸った。気持ち良かった。

 動く車椅子にも安定して乗っていられるようになったら、自分で車椅子を漕いで動く練習が始まった。
 車椅子に安定して乗っているだけでも大変だし、自分で漕いで動くのは物凄く大変。なのに、激しく動き周って華麗な技を決めるパラスポーツの人って本当に凄い。これからはパラスポーツを見る目が変わる。

 車椅子で病院の中を散歩していると、看護師さんや先生が「元気になったね」とか「頑張ってね」と声を掛けてくれて手を振ってくれる。こういうの病院で本当にあるんだ。ドラマみたい。とか思いながら、車椅子の練習を続けた。
 僕は身体が大きいので、車椅子に乗るとスポッとハマって一体化してるようなフォルムになる。仲良くなった顔見知りの看護師さんや先生がそれを見て笑ってくれるのが、ものすごく嬉しかった。

 車椅子でトイレに行く練習もした。今後もしばらくは排泄行為はベッドで尿瓶を使うのだが、日常生活の練習としてリハビリの時間にトイレに行ってみる。トイレの便座に座るまではリハビリの先生が付き添うのだが、座れたら先生は一旦外に出て、一人で用を足す。入院中、唯一、個室で一人になれる瞬間。落ち着く。トイレ好きな人の気持ちが分かる。

 車椅子はあくまでも一時的なもの。自分の足で歩けるようになるのが最終目標だけど、すぐにそうなれるわけではないので、日常生活を送る為の移動手段として必要。だから車椅子の練習をする。
 車椅子はあくまでも一時的なもの、と理解はしているつもりなのだが、車椅子を買う方法、レンタルする方法、自分に合った車椅子を作る方法、車椅子に合わせた自宅のリフォームの必要性、そういう質問をリハビリの先生に聞いた。心の奥には、自分の足で立って歩けるようになれないかもしれない、という気持ちもあったのだろう。

 脳出血で入院してから2週間ほど経ち、この頃になると、「人と会いたい!人と話したい!」という欲求がふつふつと湧いてきた。自分がそんな風に思うなんて自分でビックリした。
 新型コロナの感染予防で面会禁止なので、親や親戚にすら会えない。
 看護師さんとは一日中何回も会うが、用事がある時だけで、ゆっくりと世間話をするような時間はない。30分くらい会って喋れるのリハビリの先生だけ。リハビリの先生に早く会いたい。リハビリの時間が待ち遠しい。僕は毎日、リハビリの時間が楽しみになった。ベッドに寝ているだけで何もすることがない毎日の中で、リハビリだけが唯一の楽しみの時間。
 4人部屋なので、僕以外の人のリハビリの先生も部屋に来る。その度に、「僕の先生じゃなかった・・・」とガッカリする。そんなに僕が楽しみにしているリハビリの時間なのに、リハビリを受ける人が「今は眠いからやらなくていい」なんて断ることがある。ふざけんなよ!せっかく来てくれてるのに断ってんじゃねーよ!そのリハビリの時間、俺にくれよ。

 人とのつながりが恋しくなって、何人かの友達や知り合いにメールやLINEなどで連絡して現在の状況を報告した。
 でも、だんだんと分かってくることなんだけど、こちらの状況を何度も事細かに探ってくる人が結構いた。僕を心配しているようには思えなかった。目的は何なんだろう?ただの野次馬なのか?人の不幸が好きなのか?話のネタが欲しいのか?
 そういう人達の共通点として、こちらから聞いていないのに「あの人がこの前こんなことあって……」などと勝手に教えてくる。きっと僕のこともそうやって大勢に言いふらすんだろうな。
 そういう人達には、状況に大きな変化があった時に事務的な報告だけするようにして、詳しい話や日常の雑談的な連絡は一切やめた。これからもう二度と連絡することはないだろうな。会うこともないだろう。

 車椅子で移動できるようになったら、リハビリを病室ではなく専用のリハビリトレーニング室に移動して行うようになった。
 リハビリトレーニング室には様々な機器が並んでいる。こういう光景を見ているだけでテンションが上がってくる。
 学生時代の部活で筋トレするような気持ち。そうだ。これは部活だ。楽しい部活。種目は変わったけど、自己最高記録を目指してトレーニングする、という根本は変わらない。部活頑張ろう。
 病室を出てリハビリトレーニング室に来れるようになってリハビリへの気持ちが少し変わった。

 体幹や足腰が強くなってきて、遂に、歩く練習が始まった。

 というか、まだ歩く練習のための練習、という程度のものだけど。
 左足に装具を付けて立ち、手すりに右手を掛けて、歩く。いや、歩きたいのだが、左足が前に出ない。左足に力を入れて立ち上がれるようにはなったけど、前に出すことができない。どういうふうに考えてどういうふうに左足に力を入れて動かせば前に出るのか分からない。
 そう。分からないのだ。
 以前はどうやって左足を動かしていたんだろう。右足は動いてるけどこれはどうやって動かしているんだろう。足の動かし方が分からない。
 そして、左足を動かすと転んでしまいそうな気がして怖い。

 僕が棒立ちのまま動けずにいると、先生が僕を後ろからしっかり抱きかかえてホールドして支えてくれて、左足をぴったり付けて後ろから押して動きを誘導してサポートくれた。「身体を預けて同じように動いて」と言う先生を信じて、転ぶ恐怖心を捨てて、先生の「1・2、1・2」という掛け声と左足のサポートに合わせて自分でも左足を動かすように意識してみる。なんとか頑張って5メートル進んだ。先生のお陰で、自分の力ではないけど、5メートル歩くことができた。
 5メートル。僕が脳出血で倒れてから初めて歩けた距離。5メートル。学生時代なら走り幅跳びで跳べた距離。砲丸投げならこの倍以上の距離を投げてた。5メートルってそんな距離。たった5メートル。されど5メートル。
 ふと気づくと、後ろから荒い息づかいを聞こえてくる。振り返って見ると、先生は汗だくで、僕よりも疲れていた。ありがとう先生。ありがとう。

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