脳出血入院記(18)2023年2月~3月 ここは僕の居場所じゃない
実家では色んなことがあった。色んな問題が起きた。ハッキリ言って、僕が過ごしやすい場所ではなく、これかもずっといたいと思える場所ではなかった。まぁ、でも、実家は僕の家ではなく両親の家なのだから、それも仕方ない。
色んな問題の中でも特に大問題で、仕方ないの一言で済ませられられなかったのは、ご飯の問題。
僕が退院してきてすぐの最初の頃は、色々と気を使ってくれているみたいで、味が薄くて塩分が低い御飯を出してくれていた。
でも、御飯の味がだんだん濃くなっていった。僕は何ヶ月も病院の御飯を食べていて味覚が完全に薄味に慣れていたので、味が濃くなるとその変化がすぐ分かる。実家の御飯は明らかに味が濃くなっていった。つまり、料理の塩分が高くなっていった。僕がお正月に血圧が上がって病院に行ってからも、その傾向は変わらなかった。
うちは僕だけではなくて父さんも母さんも病院に定期的に通っている。
ある日、父さんが病院で検査をしたら身体で悪いところが見つかったらしく、食べてはいけないものの指定が病院からあって食事制限が付いた。
母さんはすぐに料理の本を買ってきて、父さんでも食べられる料理を調べて作るようになった。父さんの食事制限に塩分は関係ないようで、料理の塩分を抑えることは完全に忘れ去られた。実家の御飯は父さんの為の御飯で、僕の為の御飯ではないのだ。
ある日、父さんがジンギスカンを食べたいと言い、晩御飯がジンギスカンになった。僕も食べたかったのでそれは嬉しかった。
うちはずっと昔からジンギスカンの肉をタレに漬け込んでしっかり味付して、鍋に乗せて焼いている野菜にもタレをジャバジャバを掛けて味付して食べていた。焼くというよりもはやタレで煮込むような感じ。物凄く濃い味になり、それが美味しい。でも味が濃いということはつまり塩分が高いということなので、今の僕は食べれない。なので今回はタレに漬け込んだりタレを掛けたりしないで、そのまま焼いてから自分の小皿でタレを付けて食べることになった。
タレをほんの少しだけ付けるように気を付ければ僕も食べれる。ジンギスカン美味しい。羊のこのクセが美味しいのよ。クセがあるればあるほど美味しい。タレも美味しい。ジンギスカンの独特のタレ大好き。
しばらく美味しく食べてたら、鍋で焼いている肉や野菜に父がタレをジャバジャバと掛けだした。いつもやってる習慣でやってしまったのか。それとも、味が物足りなかったのか。でも今回はそういう食べ方をしないことにしたじゃん。忘れちゃったの?ボケちゃったの?何なの?
僕はそれで箸を置いて食べるのを辞めた。すると、父は「焼けてるぞ」と言いながら僕の小皿に勝手に肉や野菜を入れてきた。タレをジャバジャバと掛けて味の濃くなった肉や野菜。僕が「これは食べられない」と突っぱねると、そこで父さんはようやく気付いたようで、手を引っ込めて黙った。何も言わず、僕に謝ってくることもなく、ただ俯いて黙りこくった。
この人と一緒にご飯を食べるのがもう怖い。
ある日、母さんが晩御飯をテーブルに並べながら「今日の料理は塩を全く使わなかった。使ったのは出汁だけ。美味しい出汁を見つけた。美味しい」と自慢げに言ってきた。その料理を一口だけ食べてみると、確かに美味しい。でも、間違いなく塩味がある。本当に塩を使ってなくてこの味なら凄い大発明だな、と思ったけど、母さんの言うことがどうしても信じられなくて、その料理は食べずに残した。母さんは「せっかく作ったのに……」なんて悲しげに言ってる。
晩御飯が終わってから台所を見ると、母さんが使ったと言っていた出汁の調味料があった。パッケージに書かれている成分表を見てみると、しっかり塩分が含まれているし、むしろ塩分は高いほうだった。何これ?どういうこと?
もしかして塩を直接につまんで入れないと塩分がないと思ってるのだろうか。出汁という名称だから塩は入ってないはず、と思い込みで決め付けちゃっているのだろうか。市販の調味料にはほぼ必ず塩分があることを知らないのだろうか。成分表を見ていないのだろうか。そもそも成分表があることを知らないのだろうか。
この人が作る御飯を食べるのがもう怖い。
僕はそれから毎日、ご飯に出てきたものや使われた調味料の成分表を必ず自分で確認するようにした。そして塩分が高い物は絶対に食べないようにした。その度に母さんは「食べれるものを考えて作ってるのに……」なんて言ってくる。父さんは「母さんは頑張ってご飯作ってくれてるのに余計なことするな」と怒ってくる。でも絶対に僕は辞めない。こっちは自分の命が懸かってるんだよ。命懸けなんだよ。
僕と両親はだんだんとギクシャクしてきてしまい、両親の機嫌が露骨に悪くなる時もあった。僕が塩分を気にしていると、両親が「そんなの関係ない。気にし過ぎ」「塩分を取らな過ぎたら逆に病気になる。もっと塩分を取れ」なんて言い出した。
血圧のことも、「血圧が低いと全身に血が巡らなってしまい危険」「血圧はちょっと高いくらいのほうがいい」なんて言ってくることもあった。
母さんから「しばらく外食してないから、どこかに食べに行こう」なんて言われたこともあった。僕は行きたくない。父さんは「母さんが毎日ご飯を作るのも大変なんだ。たまには外で食べよう」なんて言ってる。だったら2人だけで行けばいい。僕は行かない。今日は御飯いらない。
外食のメニューはどれも塩分が高くて僕は食べられない。2人で行けばいいのに、3人で行こうとしつこく言ってくる。僕を誘うな。変なところで変な気を使うな。2人で行け。
僕が頑なに断り続けると、外食自体が中止になった。「久しぶりに外食したかったなぁ」とか何度も言ってくるけど、僕が行かなくても2人で行けばいいじゃん。2人が行かないのは僕が悪いの?どういうこと?
そういえば今更だけど、僕がリクエストした料理をほぼ全て却下したのは何だったのだろう。外食に行ってもいいなら僕がリクエストした料理もいいんじゃないの。却下したのは、塩分が高いからではなくて、自分達が食べたい物が入ってなかったからじゃないのか。自分達の好きな物を食べたいだけなんじゃないのか。
よく聞く話では、高血圧の人が塩分の高い濃い味のものを食べたがって、だけど周りの人がそれを止めて、どうにか頑張って塩分の低い薄味のものを食べさせるらしい。
でも僕の周りは違った。全く逆だった。僕は常に塩分を気にして味の薄いものを食べたいのに、周りの人が全く塩分を気にしないで、むしろ味の濃い塩分の高いものを食べさせようとしてくる。
何なんだこれは?
料理の味がだんだん濃くなっていったのは、わざとだったのか?
僕の血圧が上がって、脳出血を再発して、僕が死んでもいいと思ってるのか?
まさか、僕を殺そうとしてるのか?
両親から直接に言われたわけではないけど、両親の色んな言動や僕の周りの状況から察すると、両親は僕が倒れたまま死ぬと思っていたようだ。死なずに助かったとしても普通に日常生活を送るのは無理だから、障碍者の施設に入れることを考えていたようだ。僕が動けるようになって半年もせずに退院するのは意外だったようだ。
ここまではあくまでも僕の想像だ。
でも、僕が学校の部活で陸上競技をやっていた時に、両親はこんなことを僕に言ってきていた。
大会で優勝しても「運が良かっただけ」「強い選手が出てなかっただけ」
地域の予選大会を勝ち抜いて次の大会に進んでも、「どうせもう勝てない」「やるだけ無駄だからもう辞めたほうがいい」
これは僕が中学生や高校生の時に両親から直接に言われたこと。想像ではない事実だ。
そういう人達なのだ。両親から褒められたり励まされたりした記憶は全くない。だから僕が脳出血で倒れたのなら、回復するのはもう無理で、死ぬと思ったり、寝たきりになると思ったり、そんなことを考えても全く不思議ではない。そういう人達だったことを思い出した。思い出してしまった。
もうすっかり忘れかけていた昔の出来事まで思い出して、疑心暗鬼になってくる。
うちの両親はとても仲が良い。喧嘩してるのを見たことがない。お互いにお互いのことを思いやって考えてる。本当に仲が良い。
今回あらためて久々に実家で暮らしてみて物凄く感じたのだが、両親は何よりもお互いのことが最優先なのだ。僕が子供の頃から感じていたことでもあったのだが、子供の僕よりもお互いが最優先。今でも入院していた僕よりもお互いが最優先。
2人の仲が良いのは素晴らしいとこだと思う。それが悪いなんて思わない。仲が良いことは本当に素晴らしいことだ。夫婦としては最高だ。
以前は、僕にとって多少のマイナスになることがあっても、僕が我慢して妥協してあげればいいと思っていた。両親はこのままでいい。2人が仲良くいることが幸せだと思っていた。
でも今の僕は状況が違う。僕の世界は変わってしまったんだ。僕の体調や気持ちよりも優先することがある人達とは一緒にいられない。
両親の食べたい物が僕の体調に合うとは限らない。両親の面白い話が僕も笑えるとは限らない。両親の過ごしやすい家が僕にとっても過ごしやすいとは限らない。
程良く離れていて、頻繁には会わず、だけど用事がある時にはいつでもすぐ会える、そんな付かず離れずの適度な距離感が良かった。
入院する前は、両親との距離感を上手く保てていた。腹の立つようなことが起こっても、適度な距離感があれば、離れている間に気持ちが落ち着いて問題は自然に解消する。
近過ぎる距離感は良くない。問題が解消されないまま重なっていく。やっぱり両親との同居は無理だ。
ここは僕の居場所ではない。ここは両親の家。2人が仲良く暮らす家。
ここは僕が子供の頃に住んでいた家。実家。でも、今の僕が住む家ではない。僕の家ではない。
今の僕の家は、あのアパートの部屋。あそこが僕の帰るべき家。自宅。あそこが僕の家。
2023年3月。
僕は決めた。
さぁ、僕の家に帰ろうか。