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#想像していなかった未来 現在、自由、に生き方をしている事です。 

職業を選ぶ時、迷いましたけども技術職を選びました。勉強が嫌いというより、学校が好きではなかったから、手に職です。

当時は、給料が安い、労働時間が長い、休みが少ない、人間関係のストレス、3Kとか言われていたような気がします、とにかく離職者が多かったのです。

それでも夢というか、外国で仕事をして暮らすと決めていたので、気持ちは耐えられたのです。

技術職なので、どんどんはまってもっと、上手くなりたい気持ちもすごく強くなってきました。

日本の極寒の北の大地から
日本の首都からの
アメリカ、NYへ。のはずでした

現在は日本の首都で暮らしています。

人生の軸がはっきりしていて
いつでも動けるように家族は作らないは、今も変わっていません。
流されて大きく変わっていったことはないけれど、その時はやむおえなくても、自分で決めて変えていった事はあります。

想像していなかったことは、アレルギー性の喘息持病になってしまった事でした。

40年ほど前、技術職について2年ぐらいで
発病、当時は医者もよくわからず、持病になってしまったのです。

世界的に、蔓延したコロナの症状によく似ていて、入院もしたりと厄介な病気です。
アメリカ行きを邪魔したのもこの病気でした。

病気の悪化により、アメリカ行きはいったん諦め
縁があって、猫を飼うことにしました。

人生において想像していなかったこと
しばらくはアメリカにも行けないし
猫は17年程生きました。
なんたって、お金もかかる

すこし無理なほうわまた選んだのでした。

後に、予定になかった
お店を経営することになりました。
そうです猫のためにです。
時間とお金が必要だったからです。

人は、誰かのためになら、大きな力は出せるものなのですね。

今は、自分のために力を出すことにしています。

7年程経営して閉店しました。
猫が旅立ってしまったから、続ける気持ちはなくなりました。

自身は、なんだか性格が変わったように感じました。
ふわふわしていて、何事も他人事だったのが
現実は現実として、集中して真剣に考えて乗り越えていけるようになっていました。

ふわふわには戻れ無いのは、ちょっと淋しい気もします…

今は、何があっても
乗り越えて行けているのは
猫のおかげでかもしれません。

その後は、フリーランスとし自己責任の元に
自由に生きています。

振り返ると、相当運にも恵まれていると感じます。
すこし、無理なほうを選んだ結果としては
どれも良い方向に流れてきています。

アメリカ行きは、ほぼ実現しないと思います。
それでも、最後の住処として日本の首都の外国
の雰囲気がする街へ引っ越しの予定です。
2年後の楽しみです。

これからも、ちょっと無理な方を選んでいきます。

それから、#想像していなかった未来が
これから起きるかもしれないと、すこし楽しみにもしています…



M33













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