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るなすぺ楽屋裏第3弾・直感を超えていけ。麻雀座学が持つ価値とは

認知の話を前回の楽屋裏で書いてから、どこかでヒューリスティクス(直感的判断)をネタにして記事を書こうとは決めていたのだが、差し込みで書きたいことが溜まってしまって筆が鈍ること2ヵ月。流石にいつまでも寝かせてると何を書きたかったのかも忘れそうなのでそろそろ観念して記事に起こしておこうと思う。

一応ネタ元は楽屋裏の雑談(昔の話過ぎてもはや記憶も定かではないが、とくらげちゃんとゆきさんが居た気がする)で、シンプルに言えば「麻雀の座学って、気持ちとしてはなんだか嫌になっちゃうけど、嫌な思いをするだけに相応しい意義はあるよね」という話から。

さて、まずは行動経済学的な前提から話をしよう。かなり説明を省略しながら進めるが、もし詳細が気になる人が居たらミシェル・バデリー著「行動経済学」エッセンシャル版の第4章「速い思考」を参照するとわかりやすいかもしれないので是非。

人間の認知行動は2系の処理システムをそれぞれ独立させて動かしており、どちらを使って判断するかを無意識化でスイッチさせている。これが何故かと言えば話は単純で、世界の全てを論理的に認知していたら、常人では脳のCPUもメモリも足りないからである。

認知システムはそれぞれ「直感的且つ情動的な判断」を行う系統(ここでは直感システムと呼ぶ)と、「理性的で論理的な判断」を行う系統(ここでは論理システムと呼ぶ)に分かれており、それぞれ下記のような特徴がある。

直感システム:動かしても全然疲れない、判断に時間が掛からない、並列処理可能、連想や反射的思いつきなどに依存する、前後の文脈に依存する。

論理システム:動かすと疲れる、判断に時間が掛かる、意識して直列的に思考する(ひとつずつ順番に考える)傾向がある、ゆっくり考えようと意識的に起動しなければ動作しない

この切り替えは実は麻雀における打牌判断にも使われていて、今日の主題はこの認知システムとの付き合い方である。さて、認知行動と行動経済学の話ばかりしていてもピンと来ないと思うので、みんな大好き何切る問題を使いながら説明していこうと思う。

東1局親番配牌

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さて何を切ろうか?恐らくほとんどの人は孤立の9sを選んだだろう。正解だ。

ではここでひとつ質問をしよう、打9sの時の有効牌は何種何牌あるだろうか?

正解は「わからない」である。そりゃわかるわけがない。数えてないのだから。これは「数える前に9sを切る」が正解なのだ。

これが直感システムである。論理的な判断を要するまでもなく、直感的に、脳の処理能力を割くまでもなく判断が出来るし、平易な処理においてはそう酷い間違いはしない。

「当たり前じゃない?」と感じた人もいるかもしれないが、これは実は相当複雑な処理を経ている。「どっちの系を使えばいいか」を無意識化でジャッジして、直感システムを起動した上で経験的に正しい選択を取る、という処理を行っているのだ。AIを全く同じルーチンで実装しようとしたらとんでもないプログラムになる。

しかし、直感的故に誤作動することもあって、座学というものはそういった「直感で判断したくなるが、実は論理的に考えると違う答えが出て来るパターン」を覚えるためにやる、という側面もある。

さて、ここで何切る第2問に行こう。

東1局親番3巡目 

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何を切ろうか。こちらはもしかしたら間違える人もいるかもしれないので、敢えて行間をたくさん空けておこうと思う。「ちょっと難しいぞ」と感じた人も一旦自分なりの答えを出して次に進んでほしい。







解けただろうか。正直言って、「こんなもん2pしかないだろう」と思った方もいるだろう。正解である。平面で考えれば答えは2pしかない。2mは3m引きテンパイのフォロー牌になっているが、2pは2手変化以外では何の役にも立たないヘッド横の過剰フォロー牌なので、ここは2pを切って2mを残すべきだという、いわゆる両面カンチャン形の見本のような牌姿である。

ただ、思い起こしてみてほしいのだが、麻雀覚えたての頃はこの牌姿から2mを選んでしまった、という経験がある人もいるのではないだろうか。これは「両面カンチャン」というライブラリを持たないが故に、直感システムを優先して一見孤立してそうな牌を選んでしまったという原因によって生じるミスだ。(敢えてミスと断定して進める)

この牌姿は、慣れるまでは論理システムを立ち上げた方がいい。一見して「何となく、どうにかなりそう」と感じてしまう233pの2pを切るのは直感システムで扱うのは難しい。受け入れの枚数をカウントして(これが論理システムの「直列的思考」に当たる部分である)、最も広いイーシャンテンに取るなら2p切りだ、と自分で納得して判断出来るようになるまではかなり疲弊はするが必ず論理システムを呼び出すように意識付け出来るとよい。

そして自力で考えながらこの形に何度か遭遇した後に、今度は「直感的に2pが切れる」領域に到達する。これで、直感システムで対応出来る牌姿が一つ増えたことになる。

もしかしたらこのnoteの読者層を考えると、「こんなもん数えきれないくらい経験して、もはや直感で2p切っとるわ!」という人口層が一番厚いかもしれないが、それは多くの経験と、具体的に何とは言わないが人によっては多大な犠牲を伴って得た知見から来ているのであって、実は後天的に体得したものなのだと考えてほしい。

話が逸れてしまったが、座学とはこうして少しずつ、「論理システムを起動すれば対応出来るレンジ」のものを「直感システムで対応出来るレンジ」へと移設する作業という側面も持っている。

先述した通り、論理システムはとてもコスパが悪い。麻雀を打ちながら毎巡絶え間なく「今私は受け入れ〇〇種△△牌」と言い続けられる人間を見たことがあるだろうか。そんな人間まず存在しないだろう。論理システムは常時起動してしまうと脳が耐えられないのだ。

だからこそ、こと麻雀においては直感システムのブラッシュアップと対応レンジを広げる作業が重要になる。特にネット麻雀の場合は持ち時間が決められており、長考自体が局中で1回程度しか出来ないレギュレーションの場合も多いので、これが生命線になったりもする。座学を通して様々な形に慣れておき、直感で対応出来るようにしておくことが成績に直結すると言っても過言ではないだろう。

さて、最後に何故こんな認知の仕組みの話にここまでの文字数を割いて記事にしたのか、という私の意図を記述してから終わろうと思う。ここまで書いた通り、この記事で言いたいことは「素早く判断するためには座学は大事」で終わりである。ただ、それだけを単純に言われても、なかなか実行できない、または「向いてない」と感じてしまう、そんな人たちのために書いている。

座学は、実際に取り組んでみるとかなり大きなストレスが掛かる。先述した内容を見てもらえば分かる通り、座学のメリットは、言い換えれば「自分の直感の否定」の連続である。

人間は、自分の直感が合っていると思い込むバイアスを元々持っている。それを否定する材料を見つけると、「相手の方が間違っているんじゃないか」と考えるように作られているのだ(行動経済学では自前主義バイアスと呼ばれている)。

その影響もあって、何切るで自分が間違えた場面は成長のチャンスのはずなのに、腹が立ったり「答えの方が間違えてるんじゃないか?」という心理が湧いて来たりする。これは正常な防衛反応で、当然のように受け入れられる方が稀だと思っていい。先に例に挙げた何切るの2問目は、実はわざとそこに引っ掻かる書き方をしている。

「2pしかない」なんて断定的で他を否定するような書き方、わざわざしなくてもいいじゃないか。

間違えてしまった人がもしいたら、ここにかなりの悪意を感じるはずだし、人によっては怒りにも繋がると思う。これこそが座学を妨げる悪魔の正体なのだ。

座学の正解は、万人が自由な打牌をすることを否定してはいないし、あなた自身を否定しているわけでもない。しかし、論理的に、統計的に見れば明確に勝負に優劣が出る選択に関しては、優れたものを「正解」として、劣るものを「誤り」と断じるしかない。ここが大きなポイントである。

先ほどの例に出した問題は、(場況的なイレギュラーが無く、長期的に同じ場面に遭遇した場合に何度も同じ打牌を繰り返し、その後の分岐も妥当な判断を行う前提のもとで、局収支を最大化する選択が最も優位なもの正解と呼ぶならば)という長ったらしい含意のもとに、「2p切りしかない」という正解が生じるのであり、もし仮に、「自分の直感通りに打つのが一番楽しいし、それが自分の価値観において一番大事だ」という人が先の牌姿から「これは三色以外ではあがらん!」と言いながら4sをぶった切ったりしたとしても、それはそれで、その人の価値基準から見たら最も合理的な「正解」である。

説明に随分回り道をしてしまった気がするが、座学は自分の直感の領域に、少しだけ論理の領域を譲ってあげる。そのくらいの気持ちで取り組めばいいのだ。

自分の直感は9割くらいは当たるし、大体の場面はそれで凌げる。しかし、直感だけでは凌げない場面はやってくるし、冷静に時間を使って、論理システムを起動すればなんとか正着が見出せる場面はたくさんあるが、その全てで熟考しようとすると時間が足りなくなることがある。そこを補うための座学だ。あくまでも自己の否定ではない。追加であり、補完なのだ。それを意識するだけで、座学に取り組む心理的なハードルはグッと下がるはずだ。

ここまで書いておいて何を言うか、という感じもするが、何を隠そう私自身が麻雀の座学が大嫌いだった。プライドが高過ぎる故だと自覚はあるのだが、若い頃は「正解とされている選択が妥当とは思えない何切る問題」を見つけては作者を晒し上げるといった最低なことをするくらいには嫌いだった。人格的にアウト過ぎる内容を書きまくっていた私の某アカウントが見つからないことを祈るばかりである(もうログインも出来ないので削除も出来ない)。

しかし一通り負けるだけ負けてきた今だから振り返って考えてみると、座学を起点にして自分の糧となった引き出しはたくさんある。「どうも苦手だな」と感じる人も、もし自分の力をまだ伸ばしていきたいという意識があるのであれば、「引き出しでも増やしてやるか」というくらいの気持ちで取り組んでみてほしい。

最後の最後におまけの何切るを一問だけ。麻雀では、長く座学を続けていると稀にある、「型」で対処出来る場面にいざ出会った時に、感動に近いような気持ちを覚えることがある。下の牌姿は私が雀魂で遭遇した中でも屈指の「THE・何切る」であるが、知ってる人は「おお!知ってるぞこれ!」となる牌姿であろう。

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実際は巡目と点数状況が煮詰まり過ぎているので判断がちょっと微妙になるのだが、もし東パツ序盤でこれをもらったら何を切るか、この形を知らない人は是非論理システムを起動してゆっくり考えてみてほしい。ちなみに答えは記事中には書かないが、DMなり引用RTなりで聞いてもらえたら「私が切った牌」は答えられるので気軽に聞いてほしい。

さて本当の最後の最後に、もしこの記事を読んで、麻雀ではなく行動経済学の方に興味が湧いてしまった人のために、おすすめの書籍を紹介して結びとしたい。紹介したいのはこちらだ。

ダン・アリエリー「不合理だからうまくいく」

もし、論理的にはそこそこ考えられる自信はあるし、麻雀そのものへの「慣れ」はあると自覚しているけど、ネット麻雀のルールに耐えられない、わけのわからない行動をしてくる第三者の動きに腹が立ってしまうなど、「メンタルゲーム」負けしがちな人には、自己のメンタリティ分析と抑制技術を磨くためにダン・アリエリーの著書をおすすめする。「予想通りに不合理」「不合理だからうまくいく」はどちらも人間が「損」な選択をしてしまう場面について具体例や実験を元に記述した名著であるが、なかでも「不合理だからうまくいく」の第5章「報復が正当化されるとき」、第10章「短期的な感情が長期的に及ぼす影響」はタイトルを見ただけで麻雀打ちには刺さるものがあるだろう。興味を持った方は是非読んでみてほしい。

麻雀打ちに限らず、自己の不合理な行動がストレスになってしまっている人、例えばダイエット中にファーストフードを食べてしまうとか、気が付いたら生活費をパチンコに突っ込んでいたとか、そういった衝動的な不合理に悩まされている人の役にも立つかもしれない。

人間は不合理の塊である。自分自身の行動原理でさえ、なかなか客観的に捉えるのは難しい。根が真面目な人ほど、自分自身がストレスになってしまうことも頻繁に有るだろう。この記事を読んで、打牌も人生も、少しでも気楽になる人が増えてくれたらうれしい限りである。

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