NAGAREYAMA F.C.とは
〜はじめに〜
いつもNAGAREYAMA F.C.を応援してくださる皆さま、今季クラブは千葉県1部リーグで優勝を果たし、設立から3年連続で優勝することができました。これは日頃から皆様の多大なるサポートがあったからこその結果であり、この場を借りて改めて感謝いたします。本当にありがとうございます。ただクラブは今季関東昇格を掲げており、それを成し遂げられなかったことは本当に申し訳ございませんでした。
この1週間で自分の想いを改めてまとめていく中で、自分のこのクラブへの想いはさらに強くなっていることを再確認しました。そしてこれから共に歩むパートナーとして皆さまにも僕の想い、このクラブの理念を改めて理解していただき、これからさらに強くパートナーとして歩んでいけたら嬉しく思います。長くなりますが見ていただけると嬉しいです。
「私も頑張ろう!」そのエネルギーをあなたに届ける
〜NAGAREYAMA F.C.は関わる全ての人に夢や感動を届け、街に誇りと活力を与える〜
NAGAREYAMA F.C.は、関わる全ての人に夢・感動・勇気・活力・誇りのようなプラスのエネルギーを届け、クラブを応援してくれる人や同じように夢や目標に向かって頑張る人、何かにもがき苦しむ人に手を差し伸べられる応援者であり、道標となる存在でありたいと願っています。僕自身も、これまで自分の夢を応援してくれた人たちに対し、結果と行動で恩返ししていきたいと強く感じています。
プラスのエネルギーを届けるために
→街のインフラになる(vision)
プラスのエネルギーを届けるために
→10年以内のJリーグ参入を目指す(mission)
プラスのエネルギーを届けるために
→地域密着型のサッカークラブとして街の活性化に貢献する(mission)
プラスのエネルギーを届けるために
→パートナー企業の皆様と共に事業、組織の発展を目指す(mission)
この順番を間違えてはいけなくて、
全ての目的は関わる人にプラスのエネルギーを届けるためにNAGAREYAMA F.C.は存在しています。
勝つことが目的ではなくて、勝つことはエネルギーを届ける手段!というのが僕の考え方です。
では、なぜそのような目的でこのクラブができたのか?それは僕の生い立ちから全て来ています。
幼少期から高校時代
1994年、大阪で生まれた僕は、父の転勤で1歳半の時に千葉に引っ越しました。5歳の頃、仲の良い友人がサッカーをしている姿に刺激を受け、自分もサッカーを始めることにしました。そこからサッカーの魅力にどっぷりとハマり、「プロサッカー選手になる」という夢が生まれました。小・中・高はエースとしてチームの結果が求められるポジションを担い、高校の時には10番を背負い、怪我に苦しんだという事以外は、比較的順風満帆なサッカー生活を送ってきましたが、結果としてプロからのオファーは届きませんでした。
その経験から、高みを目指したいという思いが強まり、厳しい環境に身を置くことを決意。日本トップレベルの競争が繰り広げられる流通経済大学への進学を決めました。
大学時代 - 厳しい競争と成長の4年間
流通経済大学に進学した僕は、高校時代にエースやキャプテンとして活躍していた全国の強豪選手や、Jリーグの下部組織出身の選手たちと競い合うことになりました。1年生の時は、注目を浴びるどころか、1年生チームの2軍(全カテゴリーの中では1番下)の中でも試合に出られるかもわからないような立場からのスタートでした。しかし、その逆境の中で「チームに足りないものは何か」「どうすれば勝てるのか」と自問自答を続け、次第に自分を高めていきました。
2年生になる頃には努力が実を結び、7軍まである全カテゴリーの7軍のうち、一気に3軍まで昇格しました。しかし、3軍では公式戦がなく、モチベーションを保つのが難しい環境。それでも「どうやったらTOPチームで試合に出られるのか」を追求し続け、練習を重ねました。その結果、3軍の中でも試合に出られるようになり、ついにはTOPチームから声がかかり、公式戦デビューを果たすことができました。
3年生になると、メンタル的な疲弊や怪我で思うようにプレーできない時期が続きましたが、シーズン後半に自分を奮い立たせ、再び全力で取り組むことができました。そして4年生では、副キャプテンに任命され、チームの牽引役として全力を尽くしました。シーズン残り数試合で降格の危機に立たされたときには、「このチームを絶対に降格させたくない」という強い思いから、私生活やチーム内のルールにも厳しく目を光らせ、責任を持ってチームをまとめました。その結果、チームは降格を免れ、僕自身も死ぬ気で全力を出し切った経験となりました。
プロへの挑戦と挫折 - 日本からアイルランドへ
そんな激動な大学時代でしたが、どこからもオファーはありませんでしたが。しかし僕はプロの道を諦めきれず、Jリーグへの練習参加をコーチにお願いしました。努力の末、当時J3リーグのブラウブリッツ秋田(現J2)への内定を得ることができ、プロサッカー選手としての夢を実現しました。しかし、プロの世界でも順風満帆とはいかず、プロの壁の高さ、怪我に苦しむ日々が続きました。
その後、ラインメール青森に期限付き移籍しましたが、監督との戦術価値観のズレやそれを擦り合わせるための自分のコミュニケーション能力の低さを痛感しました。組織に属する以上、上の考えが絶対であり、チームとして勝つために戦っている中で、自分の正解に固執せず柔軟に対応しなければいけないこともあることを学びました。結果としても思うようなものも出せず契約満了を迎え、新たな選択肢として、アイルランドでの挑戦を決意。元プロサッカー選手として誰も歩んだことのない道を進むことで、自分に新たな可能性を見出したいと思いました。
アイルランドでの気づき - 人のために生きる喜び
アイルランドでは、最初は言葉も通じず、孤立することも多かったですが、ジェスチャーや映像を使って意思を伝えることで、次第にチームメイトとの信頼関係を築き、得点を重ねるようになりました。さらに、語学学習やイベント運営にも取り組み、現地での日本の文化イベントなどを主催しました。人々が「銀治ありがとう」「元気をもらった」と声をかけてくれることで、初めてサッカー以外の場でも自分が人の役に立てる喜びを実感しました。
この経験を通じて、「自分の幸せは、感動や勇気、夢や活力といったプラスのエネルギーを人に届けられること」という気づきを得ました。そして、この気持ちをサッカーと結びつけ、「サッカー経営」という新たな夢が生まれました。
NAGAREYAMA F.C.の創設と地域への貢献
2020年5月に日本へ帰国し、父の建設会社で働きながらビジネスを学び、翌年2021年6月に株式会社流山FCを設立しました。同年11月にはNAGAREYAMA F.C.を発足し、2022年2月、地域にプラスのエネルギーを届けるクラブとしての活動をスタートさせました。
クラブ設立以来、千葉県3部リーグと2部リーグで全勝で優勝し、2024年シーズンは千葉県1部リーグでも優勝を果たし、3年連続で優勝を果たしました。来年度は必ず関東リーグに参入するため、更なるクラブ強化に努めています。
クラブを通して、地域貢献活動としてのゴミ拾いや、パートナー企業とのWin-Winの関係構築にも力を入れ、「応援して良かった」と思ってもらえるような仕組み作りを目指しています。
祖母の死と「愛」についての学び
2020年、僕の大好きだった祖母が他界しました。祖母は生涯にわたって僕の夢を応援してくれた特別な存在で、祖母の死を通じて「愛する人に想いを伝えること」「悔いのない人生を送ること」の大切さを深く実感しました。そしてこの時、自分が死ぬ時に涙を流しながら「安芸銀治という人に出会えて本当によかった」と思ってくれる人がたくさんできるように人生を歩んでいこうと心に決めました。祖母が教えてくれた「愛を注ぎ続けることの価値」を胸に、僕はこれからも関わる人に愛とエネルギーを届ける存在でありたいと強く思っています。
これからの目標 - Jリーグ参入と地域へのさらなる貢献
NAGAREYAMA F.C.を通じて、僕はこれからも夢と活力を地域に届け続けたいと思っています。皆さんの応援が僕たちの力です。来年こそは皆さんと共に関東リーグ昇格を果たし、その先のJリーグ、そして日本一のクラブを共に目指していきたいです。
大きな夢を持つことは苦しく、大変なことが多いです。でも夢のある人生の方が充実するし楽しいと僕は思います。そして一度選手としての夢に終止符を打った僕ですが、今は違った立場で夢を追えて最高な人生を歩めているなと日々幸せを実感しています。
「流山からJリーグへ」という夢はもう僕だけの夢ではありません。NAGAREYAMA F.C.がもっと素晴らしいクラブになれば、関わる人が幸せになり、街がもっと良い街になることを僕は確信しています。「NAGAREYAMA F.C.に関わって良かった!」「NAGAREYAMA F.C.に関わって人生が楽しくなった!」そんなふうに言ってもらえることが僕にとって1番の幸せです。そしてそんなプラスのエネルギーを届けられるクラブづくりを引き続き目指していきます。
皆さん、これからもどうかNAGAREYAMA F.C.の応援を宜しくお願いします。
NAGAREYAMA F.C. 代表 安芸銀治