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リトアニア"歌の祭典"と"歌&言葉"について Dainų šventė100year anniversary 2024年

Labas:)
2024年は、実はリトアニアにとって大事な年だそうです。
なぜなら、、、

【4年に1度の歌の祭典があるから!】
&
【それが100周年の記念すべき年だから!】


です。折角なので行ってきました。

「Dainų šventė=歌祭り」の意味です。
森の中に人人人
広場にも人人人

予約席で4万席、立ち見(僕も含めて)も倍以上なので
この日は10万人くらい集まっていたかもですね…ほぼリトアニア人の世界にぽつんと日本人。

一場面だけですがこの雰囲気で約4時間歌が続きました。壇上にいるのはすべて歌い手です。
リトアニア語での大合唱は、その場にいると圧倒されて感極まりそうに…

これは会場ではなく、旧市街で昼休みに散歩していたらみかけた光景です。
個人的にはこの雰囲気の方がアットホームで好きでした。

民族衣装、素敵ですよね。
勇気出してちょこっとだけ撮らせて頂きました。

リトアニア語で「綺麗ですね、写真を取っていいですか?」
と聞いたらこの素敵な笑顔で答えてくれました。
「可愛いね!写真撮らせて!」と聞いたらにっこりと。
でも後で「おいダイゴ、ナチュラルにナンパしてんじゃねぇ」
と旅してた日本の方に突っ込まれました。これナンパだったのか…
あとこの子、右手の先っちょには食べかけのアイスが…ごめんねぇ変な日本人に絡まれて

この他にもsutartinės(スタルティネス)という、リトアニア独自の不協和音合唱があったりと本当はしっかり観たかったのですが予定合わず残念。

この27分以降に流れるサムネイルにもある方々の合唱です。
これはいつか生で聞きたい。※中央の人とはなぜか仲良くなりました。日本が好きだそうで。

なぜこれほどまで歌にこだわるのか。
僕の調べた限りの個人的な見解ですが、ソ連の支配やキリスト教の圧政など度重なる侵略によってリトアニア語自体の存続が危ぶまれた歴史があったからだと思います。
ソ連時代は、リトアニア語を話すだけで処罰を受けたそうで、隠れて大事に大事に受け継いできたとか…
子どもたちにリトアニア語を伝えるためにも「歌」はきっと大事な要素だったのではと思います。
僕らも小さい頃は歌で日本語を覚えてましたから。

今当たり前に日本語を話しますが、
第二次世界大戦でアメリカに負けもしかしたら英語が公用語になっていた可能性もあります。
世界の人と話すには英語は楽でしょうが、きっと日本人としてのなにか大事なアイデンティティを失っていたかもしれません。
日本語の独特な表現、言い回しがあるからこそ産まれた数々の文化があり、それが世界の人々に今でも愛されているので。
欧州へ来て、日本の独自的な文化は尚更強く感じます。

そう思うと、過去に植民地として母国語を失った国の人々はどうなんだろうとふと考えてしまいます。
アフリカではフランス語やスペイン語などが公用語の国があります。それは旅行者やビジネスでは楽でしょう。でも、、、文化を感じるには物足りない気がします。
リトアニアの歌の祭典、ミッドサマーともに英語だったらここまで神秘的に感じなかったのと同様に。

色々と考えさせられる、素敵な祭典でした!
もし機会があればミッドサマーと歌の祭典を併せて楽しめる6月後半〜7月前半がオススメです。(次は2028年。)

来週はリトアニアの北の畑へ行く予定です。
いつもありがとうございます。

IKI:)

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