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ヨーロッパを旅行して考えたこと−2

わたし、美術のこと、なんにもわかっていなかった。と言うか、好きで、人より詳しいつもりでいた文学のことも、映画のことも、音楽のことも、なんにもわかっていなかった。16世紀以降特に、ヨーロッパで脈々と受け継がれてきた「抵抗の歴史」、それと共に育まれた芸術を、全く結び付けて理解できていなかった。あんなに受験世界史頑張ったのに、世界史の先生が聞いたら泣くだろう。まじでごめん。

渡航を決める前の9月、完全な思いつきでバスキア展に行った。そこで、想像もしなかったような衝撃を受けた。色が、分厚く重ねられた絵具のかたまりが、線描が、手書きのアルファベットの連なりが、あんなに強く迫ってくるのは初めての経験だった。胸ぐらを掴まれているような感覚だった。バスキアは、はっきりと、鑑賞者の政治的立場を問いかけていた。不公正に対する憤りを類稀な芸術に昇華し、鑑賞者に「それはそれ」と逃げさせない、真っ直ぐな眼でこちらを見据えていた。これが芸術というものなのか。背骨に電流が走った。

バスキアは特に、政治的立場を作品に強く反映している画家だ。美術展なんて滅多に行かないわたしが、なぜかバスキア展は、日比谷線でポスターを見かけた時「今見なければ」と直感し、翌日には森美術館に向かった。ここのところ感じている政治的危機感が、潜在意識でわたしに働きかけたのだろうか。

政治と芸術。

そうだ、芸術は常に政治への意見表明であったのだ。

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33歳、新卒入社11年目にして、終わらない「自分探し」をする皮肉屋の冷笑家です。自嘲気味ながらも、墓場に自分を探しに行く、そのグダグダな軌…

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