英語講師一年目の現在地
今日は私にとって大きな節目の日となったと思う。
子どもに英語を教えたい、と思って動き始めてから3年、ある会社に拾ってもらって、今年度から幼稚園・保育園の課外レッスンの講師として子どもたちに英語を教える仕事をしている。
念願叶って英語講師になったものの…
研修を経て、意気込んで働き始めたものの、いざ現場に出るとうまく行かないことの連続。子どもが椅子に座って先生の話を聴いている想定なのに、はしゃぎまわって一時も座っていない子どもたち。雷が鳴って全員が号泣しレッスンが中断。英語のレッスンどころじゃない。それでも「せんせいだいすきー!」と言って抱きついてくるかと思ったら、次の瞬間にボール遊びを始めてそれが私の眼鏡に当たるなど。その園を任されて、出勤してから設営し、レッスンし、後片付けするまで一人なので、その場は全部自分でなんとかするしかない。毎回凹んで泣きそうになりながら帰途についていた。
レッスンの立て直し「なぜ子どもを座らせたいのか?」
二学期も後半、これではいけないと思って知り合いの先生に伴走してもらい、レッスンの見直しを始めた。先輩先生の問いはハッとさせられることの連続だった。まず、「どうして子どもを座らせる必要があるのか?」と。あれ?授業だからテーブルと椅子がセットしてあって、そこに子どもが座っている絵面しか見えていなかったけれど、そもそも私はどうして子どもを座らせようとしているんだろう?そんな感じで、ひとつひとつ、これは何のため、どうしてこれをやりたいか?を紐解いて行く。もちろん、行く先々の園で子どもの様子も教室環境も違うので、答えはひとつではない。
そうしてレッスンを見直していったら、見えていなかった景色がたくさん見えてきた。例えば子どもたちをどうやって静かにさせるか、座らせるかではなくて、元気が有り余っている子どもたちのエネルギーを発散させるために、一緒に思い切って走り回ってみる。その代わり「Stop!」 できっちり静止させる。それをゲームとして楽しむ。何度かやっていると、「ぴたっと綺麗に止まれたらカッコいいぞ」みたいな気持ちが子どもたちに芽生えてきて、WalkとかSkipとか他の指示を出してもきちんとやってくれるようになる。あるときは、本当に言うことを聞いてくれない子がいたので、その子のことは視界の隅に置きつつ他の子どもたちとレッスンを進めた。そうしたら仲間に加わりたいと思ったのか、「おれも参加しよぅーっと」といってその子が輪に戻ってきてくれた。あるときは、「なぜ英語が分かると超楽しいのか」を未就学児を前にガチで話す。年長さんくらいになると、そんな真面目ばなしも目をキラキラさせて聞いてくれる。
うまく言葉にできないが、とにかく、目の前にいる子ども一人ひとりがどんなコンディションなのかを観察して尊重すると、少しずつうまくいき始めた。
子どもを尊重する、というのも、最初ひとりで考えていたときはとても軸が不安定だった。ただ単に子どもの気分に左右されてブレブレになってしまったこともある。ここも先輩先生が一緒に立て直してくれた。子どもも人間だから、その日の気分のアップダウンはある。そこには寄り添いながら、英語の先生として、子どもの発話を引き出すという大きな目標は揺るがすことなく持ち続ける。どんな小道具も、アクティビティも、それをもとに考える。子どもにウケるかもというだけの準備は絶対にしない。逆に、英語のレッスン内に子どもからどれだけ英語の発話を引き出すかを考えたら、準備が楽しくて仕方ない。
子どもには複数の大人が関わったほうがいい
そうこうしていると、味方も現れた。教えに行っている園の先生がとても協力的で、子どもたちの様子を教えてくれたり、「レッスン頑張ろうねー!」と、私と一緒に子どもたちを励ましてくれたりした。その先生が一度私のレッスンを見学しにきてくれたことがあって、普段の姿と異なる子どもの無邪気な姿に新鮮な驚きを受けて、自分の保育を見直したいとまで言ってくれたことがあった。私にとってはレッスン中の様子がその子のすべてだったけれど、先生にとってはその子の知らなかった一面だったようだ。それを聞いたときに、ああ、子どもには複数の大人が関わったほうがいいんだな、とふと子育てのことを思った。子ども自身にとっても、大人にとっても。その先生の一言がなかったら、私だってその子のことをこんな子だって決めつけて、独りよがりなレッスンを続けていたかもしれない。
保護者がレッスンを見に来る日!
年度も後半になった11月、参観日が設定されていた。普段は母子分離のクラスでレッスンは保育時間内に行うので、保護者の方に会えないことも多々。緊張するし、この日は次年度のご案内をする機会でもあるので、来年度も継続してレッスンを受講してくれるかどうかと考えると、レッスンプランの作成に加えて胃が痛い毎日だった。
けれどもどこかで吹っ切れる瞬間があった。誰も私がうまくやるかなんて見ていない。見るのは我が子がどれだけ楽しく参加しているか、そして英語の定着度。どの保護者さんもこの日を楽しみにしているはず。私ひとりが「緊張する〜胃が痛い〜」ってマイナスのオーラを発して何か意味あるか?ないよな?楽しんでやるほうがいいに決まっている。そうしたら、「っしゃ〜!」って気持ちになってきた。
その日が今日だった。伴走してくれた先輩先生や園の先生という心の支えもあって、参観レッスンはめちゃくちゃ楽しくできた。みんなの前で発表するのが得意な子、発表は嫌だけどゲームが大好きな子がいて、保護者の方にはどちらの子のかっこいい姿も見てほしいからどうレッスンを組み立てたらいいかなと考えるなど、参観ならではの悩みも楽しい準備だった。もちろんレッスンの反省は今日もあるし、保護者の方がどういう感想を持ったかはわからない。けれど目の前の子どものキラキラした姿を見ていると、そんなことどうでもよくなる。(実際、ほぼすべての保護者が、今日その場で次年度の継続を決めてくれた!)
仕事って…日々向上するために努力することがめっちゃ楽しい
誰しも、仕事でいろいろと壁にぶち当たると思う。そのときに本を読んだり、先輩に教えてもらったりして、多くの人はトライ&エラーを繰り返してきちんと階段を登っていくのだと思う(違う?)。私は恥ずかしながら怠け者で、全然きちんと階段を登ってこなかった。業界の勉強や仕事術・思考の仕方の本なんかもきちんと読んで実践してくればよかったのに、とにかく自分に甘くて…(苦笑)
出産・子育てし始めて、引っ越しもあっていろいろ一旦リセットされたあとに志したこの仕事では、「できない、悔しい、次は魅力的なレッスンを作りたい、どうすればいいんだー!」って、向上したい気持ちが日々の糧になっている。そう思えるようになるまでも時間があって、自分がダメ過ぎて「決まったカリキュラムをなんとかこなすだけ…」と思ってしょんぼりしていたこともある。でもそんなこと全然なかった。できることは山程あるし、カイゼンはとても楽しい。そして子どもはみな素直だから、自分の試行錯誤が目の前で結果となって現れる醍醐味もある。
これまで、締切が数日後だったり、メール対応等で相手の顔が見えなかったりといった仕事が多かったので、出勤してから退勤までをひとりでテンポよくこなすライブ感ある仕事につくのが初めてだった。それも最初は慣れなかったが、今この場をなんとか楽しいものにするぜという意欲が湧いてきて、とても楽しい。
ということで、おそらく周りのみんながしっかり登ってきた階段を、ようやく登り始めたところ。仕事って楽しい。来週はどんなレッスンにしようかな。
※写真左上は学生のころの愛読書。専攻は認知言語学だったけれど、音声学・音韻論が大好きだったなあ。