自分と向き合って。
最近、自分と向き合う中で、
「私がいかに繊細なのか」を痛感します。
この「繊細さ」が、
伝えきれない、理解されにくい。
そんな体験が多かった、という事実かもしれない。
そう思います。
でも、それは、良い悪いではなくて、
ただ、この時代のペースに
合わないだけかもしれない。
周りの環境を整えていく事で、
繊細なままでも、
生きていけるのかもしれない。
そう思います。
わたしは、繊細さを否定する気持ちが、少ないです。
それは、
「あなたって、本当に優しいよね。」とか、
「もっと、わがままになっていいんだよ。」
と言われる事に、心底、納得できない事から
そうだと思っています。
それって、褒めてない。
それって、「時代に合ってない」という
ただの正論で、「あなたが間違っている」「あなたが合わせて」
という主張だと思うから。
なんで、普通に暮らしているだけで、
「間違っている。あなたが合わせて。」
なんて、言われなきゃいけないんだろう。
そりゃあ、仕事の生産性は低いかもしれない。
でも、完全に出来ない訳じゃない。
コミュニケーションも、独特かもしれない。
でも、拒絶している訳でもない。
それなのに、
身近な人は、わたしの事を「変」と言った。
家族や親戚、恋人や友人。
もちろん、みんながそうじゃない。
でも、そういう体験が、何だか普通になっていたと思う。
悲観的かもしれないけど、
でも、受け入れたい。
事実だと思う。
それを受入れて、
わたしは、そういう体験が多かったと、認めたい。
そして、これからは、
「変」「おかしい」という人に
「理解して欲しい」という事を、
諦めたいと思う。
身近な人に、多すぎたと思う。
でも、最近は、
「普通」として扱ってくれる人も増えた。
この感覚が、きっと、
わたしが望んでいた物じゃないかな。
そう思う。
本当は、
「わたしの事、おかしいと言わずに、
側に居てくれる人」
を求めていたのかもしれない。
そんな「愛情」に、飢えていたのかもしれない。
いまは、少し、そう思う。
幼過ぎる感情で、欲求まみれで、
かっこよくなければ、惨めでさえあるのかもしれない。
でも、それで「普通」と
素直に生きていたい。
繊細で、敏感で、臆病なわたし。
つよい言葉には、すぐに圧倒されて、萎縮するわたし。
でも、瑞々しい感性に出会った時、
とても感動するわたし。
綺麗な音を聴いた時、
涙が出てしまうわたし。
甥っ子と姪っ子が生まれて、
いのちを、素直に喜べたわたし。
ありがたい、そう思えたわたし。
この先、そうは思わなくなるかもしれない。
でも、いまは、このわたしでいい。
そして、そのままで良いし、
どっちでもいい。
ただ、心穏やかでありたい。
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