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【#7】いまのわたしを探す記録

父が亡くなったのは、令和元年。
やっと4年か。


母は、父が亡くなる少し前に、
経営コンサルタントをしている男の人と、知り合ったらしい。


もともとは、母の職場に面接に来た男性。

結果は、ご縁がなかったようでしたが、
母が後日、連絡をとって、
「この度は、このような形になり、申し訳ない」
といったような話をしたそうだ。
(母は、その職場のマネジメントにも関わっていた)


わざわざ連絡してくれた母に、
男性は感激し、それからというもの、
友人として付き合いがある。(母の。)


そして、話していく内に、
父の自営業が、火の車という事を知り、
家計も心配し、何かと目を掛けるようになった。


母は、助かっていたようだったが、
同居していたわたしは、
不自然に思っていた。


父と会う回数よりも、その男性と会う頻度が
とても多かったから。


それに、会話の内容も、
ちょっと変わっていた。

一見、恋人同士がするような会話を
たまたま、母のスマホの画面に表示されたのを見て、
気持ち悪さを覚えた。
(SMSだったので、表示された内容が見えてしまった。)



もう、気持ち悪くて、しょうがなかった。


でも、新入社員の時に発症した「うつ病」が
わたしは、きちんと治療できずにいた為、
何度も就職するも、体調を崩して、退職を繰り返していた。


ちょうど、その頃も、体調を崩して、
金銭的に厳しかった。


だから、実家から出る事が出来なかった。

言い訳のようですが、一人暮らしはお金がかかるし、
その頃、母の監視下だったので、
逃げ出せなかった、というのもあります。



わたしは、いつか一人暮らしをすると決めて、
懸命に職を探し続けました。


治っていない、治療も出来ない、「うつ病」を抱えて、
ハローワークに通う日々でした。


母は、その男性と会ってから、
とても主張が強くなっていきました。


父が家にいないという事もあって、
母が実家では、何事も決定権を持っているような状態です。


母が言う事、する事は、少しでも否定的な態度を見せると、
母は激怒しました。


だから、その男性(以下は、母の友人)との会話を見た時、
感情が出てしまう前に、
自室に引きこもりました。


すると、母はすぐに異変を察知して、
根ほり、葉ほり、聴いてきました。


母は、納得するような事を言わないと、
ずっと疑い続ける性格なので、
わたしは、その男性との会話を見たと伝えました。


すると、
「違うのよ。友人は少し変わっているけど、
 これは、彼のスタンダードな挨拶のようなもの。
 気にすることないよ。
 気を遣わせて、ごめんね。」


と子供をあやす母親のように、
わたしの頭を撫でてきました。


正直、この「頭を撫でる」行為が、
とても嫌いなわたし。


それも、表に出せず、
30歳で実家を出るまで、ずっと続きました。


いびつな家庭内の中で、
「絶対にお金を貯めて、いつか一人暮らしをするんだ!」
と、心の中では、強く決意していました。


そんなわたしを、母は、
少しでも離れていく動きを察知すると、
すぐに阻止していました。


なんとか、強い意志で、実家を出れた30歳。
母は、内見は絶対に付いていくと言い張り、
契約したら、何度も遊びに来る。

しまいには、合鍵が欲しいとねだり、
渡すまで居座り、結局、一時的に渡して、
やっと帰したこともあります。
(現在は、なんとか取り戻しました。)



この母と友人。
2人の関係性は、わたしの人生に
土足で踏みこみ、大きく振り回していきました。




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ykky
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