『うたのはじまり』を観て
映画の感想を書くのが、だんだん億劫になってきている。だいたい、日記や家計簿も3日坊主で続いた試しがない。だれも読んでないし、なんの義務もないんだから、負担に思うこともないのだけど、良い映画を観た時はなおさら、その感動を自分のつたない文章で汚してしまうことがひどく気が引けてしまう。
『うたのはじまり』は、コロナの直前に公開になり、楽しみしていたが、自粛期間にはいり、劇場で観ることが叶わず、想いは募るばかりだった。
大好きなミニシアター、ジャックアンドベティで再上映のスケジュールが発表になり、幸運にも初日の舞台挨拶のある日に観に行くことができた。
このドキュメンタリーは、河合監督とろう者のカメラマン齋藤陽道さんの交換日記のような、親密な信頼感の中で成り立っている。関わる登場人物もまた、厚い信頼のもと出演されていて、良い意味で、観る側の入りこむ余地があまりない。わたしはそういう映画が好きだし惹かれる。
奥様のマナミさんの出産の場面は、あまりにもプライベートなもので、観ていて苦しくなる自分に嫌気がさしたし、飴屋さんとの格闘シーンのあと、飴屋さんが息をきらしながら、「耳ついているじゃないか、なんで聴こえないんだよ」と強い口調で言い放つ。すると齋藤さんはきょとんとして、「なんと言っているの?」このシーンも乱暴な狂おしい愛情とも言おうか、少しつらくなる。
七尾旅人さんのうたとギターを、聴こえる子、樹くんがその音と振動を、大きな目で見つめるシーン。齋藤さんの激しめの子守唄に揺られ、すやすやと寝入る樹くんも齋藤さんもほんとに可愛い。
齋藤さんと樹くんがお風呂でジャブジャブする中、大丈夫〜と確かに樹くんの口から溢れ、それを齋藤さんにはわからないけれど、河合監督が気づいて静かに心を震わせるところは、1番好きな場面。
どのシーンも、齋藤さんの日常のささやかな哀しみだったり喜びだったりする。こちら側がいろんな感情が入り乱れ、収集がつかなくなっても、そこには特に答えなんかないんだよ、というメッセージが込められている。そこがほっとできるし救いでもある。
舞台挨拶も、河合監督、齋藤陽道さんの優しい人柄が伝わり、もう一度観たいと思える、良い映画でした。
ところで、なんでも三日坊主のわたしだけれど、何かの拍子に三日がすぎ、それが三カ月、三年と、、ここまでくると、今度はそれをやめる機会を逸してしまい、ダラダラとずっと続ける。
大きくなってから始めたバレエはかれこれ20年くらい続けたし、夜走ることも今のところ10年くらいやっている。それから500円貯金。500円をつくるために千円を崩しす日々なのが少し残念だけど、。映画や音楽はどちらかと言えば受動的なものなので数には入れないでおこう。まあ、それくらいかしらね。