王になりたかった男3
「人龍だ!」
そう叫ぶと共に、タムは怪物に向かって矢を放った。ビュンッと勢いよく飛んだ矢は怪物の頭目掛けて目にも止まらぬ速さで向かっていく。しかし、人ではないから人龍と呼ばれるのだ。カッッと口を開き、人龍は地の底から轟くような、周囲をズシリと上から圧をかけるように低く、恐ろしい唸り声をあげて咆哮し、矢を吹き飛ばした。タムもカリムも一瞬動けなくなったが、人龍は今度はカリムに向かって突進していき、腕を振り上げ、その鋭利なかぎ爪で彼女の顔、いや、首を狙って引き裂く勢いだ。
いけない!
タムは彼らに駆け寄って、腰に提げていた短刀を素早く抜き、足に力をこめて人龍に跳びかかろうとした、その時。
「ギィヤァァァァ!」
耳を劈くような金力声が辺りに響き渡った。一瞬、カリムのものかと思ったが、人龍が両目を押さえて後ずさりをしている様子から、どうやら違うらしい。
一体、何が?
タムが不思議に思って足を止めると、どこからか何か、鳥の鳴き声のようなものが聞こえてくる。戦で焼け落ちた木々にこんなにも優しい、穏やかな声を持つ鳥など、とっくにいないはずなのに。もしいるとしたらそれは死者の遺骸を啄む烏くらいだろう。タムは、自分の空耳だと思った。しかし、耳を澄ませば澄ますほど、ますます明瞭になるその声。人龍の背で、その先にいるカリムの様子が分からないのが尚更焦りを誘う。
「カリム?大丈夫か!」
焦りと不安を、大声で呼びかけることで何とか打ち消そうとした。すると、ぐらり、と、人龍が目を押さえて屈みこんだ時に、カリムが傷一つ負わずに立っているのが見えた。その姿にタムは安堵すると同時に、どこか彼女が奇妙に思えた。ゆらり、ゆらり、と目を瞑って左右に体を揺らしながら、口を僅かに開けている。何か喋っているのか、と口元に注意して見ると、今聞こえている場違いな鳥の鳴き声が、どうやらカリムの所から聞こえてくるのだとわかった。なぜ、人間であるはずの彼女の口から鳥の鳴き声が聞こえるのか。そう疑問に思って、タムが尋ねようとした時。
「カリム、一体・・・」
「鎮まれ、人龍よ。お前はこれに指一本触れることはできない。私を傷つけることはできない。還りなさい、元の場所へ。」
カリムがタムの言葉を遮って、薄っすらと閉じた瞳を開け静かではっきりとした口調で人龍に語りかけた。彼女の首回りが、丁度あの銀の塊を中心に、先ほどのように白い光で輝いた。その眩い光に、人龍はウウ、と呻き声をあげて縮こまっていく。タムはこの光景を、口を開けて見ていた。信じられなかった。あの、血も涙も道理もない人龍を。追い払うのに村中の大人たちが総出にならなければならない、あの狂暴で手がつけられない人龍を。たった一人で大人しくさせてしまうなんて。
これが、巫女か。
カリムがスッと指さした方向ー人気のない小さな川とまだ焼き払われていない森ーを、人龍はのそのそと立ち上がって、じっとそこを見つめた。目には既に荒々しさがない。そして、くるり、とカリムを振り返って人龍はどこか安心したような顔をすると、今度はもう振り返ることはせずにその方角に向かって立ち去った。
「すごい・・・あの鳥の鳴き声のせいか?」
「鳥の鳴き声?貴方にはそう聴こえるの。ふうん。まあ、そういうこと。」
「傷一つ負わせることすら困難だというのに。あの方角を示したのには何か理由が?」
「いいえ。体が勝手に動いただけ。」
その時、遠くからガシャガシャと鎧のこすれる音が、しかも大人数でやってくるのがわかった。タムは顔色を変えて辺りを見回し、半分に折れた木に繋がれたままの、哀れな一頭の馬を見つけるとすぐさま飛び乗り、カリムに手を差し出した。
「早くここからでないと!ここを次の敵の隊が通る!」
カリムはタムの手をじい、と見つめたまま何か考え込んでいる。しびれを切らしたタムが怒鳴った。
「次の龍王を探している貴女がここにいたら、何をされるかわからない。早く!」
「・・・貴方は私に、危害を加えたりしない?」
タムの目を真っ直ぐに見つめてカリムが言った。真剣な表情にタムも冷静になる。
「危害を加えるつもりなら、さっきの人龍の時にどさくさに紛れて貴方を襲った。」
「その言葉を聞いて安心した。暫し道中を共にしましょう。」
カリムが腕を伸ばしてタムの手を力強く握ると、タムは自身の後ろに彼女を引き上げ、そのまま全力疾走をした。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?