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嫁姑の板挟みになった子どもは、人の顔色を伺うようになる

私が同居をするきっかけの一つが、自分自身が鍵っ子で寂しい思いをして育ったから、自分の子どもには寂しい思いをさせずに済む、ということ。

だけど、実際に自分が長男の嫁という立場で同居してみて、「失敗した」と思ったことばかりでした。


悪い意味で「空気を読む子ども」にさせてしまった

嫁姑の冷戦が繰り広げられていた我が家では、義母が「◯◯ちゃん(長女)、ママに回覧板回してって言っておいて」と、私がいる前で長女に謎の伝言をするという風景が当たり前になっていました。

こういう経験をすると、長女は薄々というか、明確に嫁姑は不仲だと認識しているようでした。

ある日、当時6歳だった長女が、

「ママ、今ならばあちゃんいないから、ママの好きなお歌歌えるよ!」

と言ってきたんです。


恥ずかしながら私は料理をするとき、歌を歌うのが好きでした。

でも、同居して、姑の「自分の家だと思って!」という言葉を鵜呑みにしていた私が歌ってしまったとき、明らかに義母が舌打ちしたんですよね。

なんだかんだ言って、私が家でのびのびしていることを、よしとしなかったんです。


6歳の子どもに、こんなことで気を遣わせてしまって、情けなくて、キッチンで泣いてしまったことをよく覚えています。


家庭内の「タブー」は、子どもの安全な居場所を奪う

嫁姑の不仲は、我が家では触れてはいけないタブーでした。

夫も義父も義妹もみんな見て見ぬふり。

もちろん私も姑も、この歪んだ関係を修復しようとしなかった、できなかったのが悪いんです。

でもそれが、長女の人格形成に影響を与えたと、とても後悔しています。


長女は、外では「よく気が利く子」「いやなことを率先してやってくれるいい子」と言われてきました。

きっと、歪んだ空気、不穏な空気に敏感になってしまって、それをなんとかできるのは自分しかいない、と思ってのことなのだと思います。

子どものため、と思って耐えてきた同居が、子どもにこんな形で悪影響を与えるなんて・・

もしも私と同じような理由で同居を承諾しようとしている人がいたら、こういうケースもある、と考えてみてください。

義両親が健康で元気なのに、本当に同居する必要はあるのか?

寂しさを感じない代わりに、空気を読んで我慢したり、不要な気遣いをする子どもにしてしまう可能性があることを考えてみてほしいです。




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