いやな気分よ、さようなら
感情に蓋をする、ということ。
わたしはこのことについてずっと考えている。考えているのは、自分の過去のことを、どう日本語の形にするか、である。わたしは、自分の時間が断絶するような体験をしたけれども、過去に一定のけじめをつけた。
感情に蓋をする。
人は過度なストレス環境に継続的に身をおくと、自らの考えでそのような行動を採ってしまうのではないか。少なくともわたしはそう考えている。他の人がどう考えているかはわからないし、それを知ろうとは思わない。
これから書き留めていくことは、わたしの独り言で、支離滅裂になる可能性があるけれども、人によっては、こういうサンプルとして何かしらのヒントになるかもしれない。
一方で、人によっては、嫌な気分になったり、心が疲れていて、今見るべきではない心理状態の方もいるかもしれないので、念の為お断りしておきます。
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苦しい、悲しい、悔しい、という感情の回路を自発的に断つ、ということをすると人はどうなってしまうのか。「どうなってしまうのか」という言い回しを使うのは、それがnegativeな結果につながるとわたしが考えているからである。
これらの感情に蓋をすることによって、それ以外の感情も外に出なくなる。外の世界からの刺激に対して、感覚が全体的に麻痺してしまうのである。自分が「負の感情を断ち切ろう」と考えた行動は、それ以外のものを道連れにした。
感覚が麻痺すると、自分が何をしているのか、よくわからなくなる。考えがまとまらなくなる。手のひらの上にある小銭が数えられない。二桁の計算ができない。ついさっきの自分の発言と今の発言との間の矛盾に気づかない。人としての平衡感覚・判断基準を失う。しかし、時間は過ぎる。時間は文字通りあっという間に過ぎる。朝からあっというまに夕方である。その間、何をしていたのか、全くといっていいほど覚えていない。しかし、たとえば仕事のやりとりや、ノートのメモは残っていて、何かしら人と意思疎通していたようである。
このままではいけない。
そう思っても、心の焦りをどう表現していいかわからず、周りの人間がわたしと同じ景色を見ているなどと考えられるはずもなかった。心の中に真っ暗な底無しの奈落があって、そこに自分の意識が引きずり込まれていく。
「考え過ぎだ」「大したことないよ」「誰だって悩むことくらいあるさ」
わたしのこころの表面を撫でもしない言葉ばかりが聞こえてきて、人を信じることができない。そうしているうちに、心の中の奈落へ自分の意識は落ち続けている。
そうしてある日、心の箍が外れる音がした。わたしは世界から断絶した。動物的な勘が「もう元には戻れない」と囁いた。とうとう奈落へ堕ちた。操り人形の糸を鋏で乱暴に切り落としたような感覚。これが現実のものとなった。
そこから文字通り、わたしは這い上がってきた。
他人が日常生活を新幹線のような速さでシステマティックに過ごしている。わたしもかつてはそうだったのだろうか。わたしは廃人のようになって、文字通り思考の焦点が合わせられないまま、虚空を見つめて日々を過ごした。考えようとして、集中しようとすると、考えようとする材料が集まってこない。散ってしまう。散らかったものを拾って歩こうとすると、その欠片が消えてしまう。わたしはただそこで立ち尽くす。何もないところへ行って、無いものを拾おうとしているような。これを外側から見たらどう感じるだろうか。ただ、愚かだ。もう、わたしは世の中から、友人から、人間から、置いていかれる、置いていかれた。役に立たず。穀潰し。歩く。何のために。役にも立たないのに。拾おうとするものさえ見つけられない。見つけられないから、自分の軸が持てない。人としての平衡感覚がまるでなくなってしまった。頼りにしようと杖を探して歩こうとしても、思考が散ってしまって、探す方向さえわからない。
そういう中、わたしは人の勧めで医者にかかった。医者は、日本においては(偏った見方ではあるが)勉強のできるエリートがなるものであるとされる。そのエリートに、わたしのような箍の外れた価値のない者を差し出して、どうするのだ。嘲り笑いたいのか。「その程度で医者にかかるのか」と指差されるのではないか。「誰だって悩みくらいあるよ」「気にしすぎじゃないか」「こっちだって忙しいんだから家で寝てなさい」そう鼻であしらわれるのではないかと怯えた。なじられて追い返されるのではないか。それに、医者に行けば、わたしは自分が片輪者に成り下がったと自認することになる。落伍者。ドロップアウト。人でなしのレッテル。
しかし、目を瞑っても涙は流れなかった。苦しい、悲しい、悔しい、という感情の回路を自発的に断ってしまったからである。
幸いにして、医者との相性は良かった。だからわたしはこの世界へ這い上がってきた。
感情を断つきっかけがどこにあったのか。
負の感情に蓋をして、自分を否定する、という行動を繰り返してきたことに気づいた。これまで、それしかやってこなかったために「自分を否定することはおかしい」とも思えなかったのである。自分を否定して、感情に蓋をして、それを続けるとどうなるか。
心理的な自傷行為を繰り返して、それは目に見える形の傷ではないために、自分を含めた誰もが、どういう状態になっているのか気づかなかったのであった。気づかない状態が続けば、自分が徐々に耐えられなくなっていく。
世間ではただ「自己肯定感が低い」という言葉で括られるものである。その言葉をみると「誰だってそういう面はあるよ」「気にしすぎだよ」「考え過ぎだよ」「もっと楽に考えればいいじゃない」。しかし、リストカットの生傷が絶えない相手に、他人が生傷を眺めて軽く「気にしすぎだよ」「もっと自信もてばいいじゃない」と言うはずがないだろう。
しかし一方でこれは「自己肯定の拒絶」による面は否定できない。程度の問題である。
それはどこから来るのか。対症療法を続けて、考えることができるようになったわたしは、自分の場合の原因にたどり着いた。
・どうしてこの程度のテストで100点が取れないんだ
・こんなバカな子供はうちには要らない
・お宅の子供さんはテストができていいですねって言われた
・大学に行けないなんて、人間じゃない
・親の望んだ職業になれないなんて親不孝も甚だしい
親から否定され、それを真に受けないために感情の蓋をしていたのであった。長い間それを通常の状態としていたがために、自分の心に過剰な負荷がかかっていることに気づくことさえできなかったのである。
わたしというサンプルにおいては、親からの「べき論」はこのような形で表に出た。
・わたしは現在、親の望んだ履歴書を書ける状態にはない。
・わたしは現在、親の望んだ職業に就いていない。
・わたしは現在、親の望んだ能力を持っていない。
・わたしは現在、・・・。
自分の立場で自分を肯定するという手段を持っていなかったのである。「自分でやりたいことはないのか」と詰問され、黙っているとなじられるので、適当な答えをすると「そんなことは望んでない!」という答えが飛んでくる。子供にとって、親のそれがどれほど恐ろしかったか。
親から押された烙印は、大人になってもわたしの見えるところにあり続けた。そうするとどうなるのか。それを根拠に、自分が自分を否定し始めるのである。
・こんな歳になって、こんなこともできないのか
・こんな歳になって、周りよりも劣っている
・こんな歳になって、自分を肯定できもしない
・こんな歳になって、・・・。
自分の考えは、自分の経験したことからしか出てこない。若者の狭い視野は、独りよがりというよりは経験の圧倒的な少なさから来る。経験して周りが見えて、それでもなおこだわるものがあれば、それは独りよがりというのかもしれない。
わたしは、そこから這い上がってきた。時間をかけて。周りはずっと遠くへ行ってしまった。もう閉じられた可能性を自分の手で確認しながら、それでも這い上がってきた。
わたしにとって、絵画が救いだった。
医師へ真顔で言った言葉を覚えている。
「絵は、どれだけ見ていてもわたしに危害を加えないですから」
そういう精神状態は、正常ではない。
絵画との対話を続けたことがわたしにとってはよかったのだ。それをきっかけに、本当に少しずつ、世界の流れがあるとすれば、それへ乗れるようになってきた。
絵画と対話するのは、わたしであった。わたしは、自分の思いを絵画とやりとりしていた。それは誰の価値観でもない。すでに完成した絵画は、ものを言わない。誰の干渉も受けず、静かな時間が流れた。どの絵がよい、誰の絵が好きだ、ということではない。ただそのときに、じゃまされない空間と、対話する相手と、過ぎていく時間とが必要だった。
そうしていくうちに、自分の価値観は、他人に否定されるものではないことに気づいて、学び始めたように思う。他人が走り去っていくような時間の流れで、わたしは地面の手触りを初めて確かめて、自分の足が地面についていることを確認したのだ。他人から見たら「当たり前のことを今更やっている」に過ぎない。しかしわたしにとってそれは当たり前ではないのだった。そうやって、ほんとうに少しずつ自分の存在を手のひらで確認していくうちに、わたしは、自分の足で、自分の心の底までたどりつく術を見つけた。
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いやな気分よ、さようなら。これは、わたしが実際に、信頼する医師から勧められた本であった(文章を負担なく読める、ということを確認したうえで)。書店で流し読みしたところ、わたしが下記の情報を元に考えていた過ごし方にとても近かったことと、網羅的に記載されている事柄が、そのときの自分に必要とは感じなかったことから、手元に置いてはいない。
しかし、なにかあると
「いやな気分よ、さようなら」
と言葉に出して言うことは、今でもある。
言葉には、そういう力がある。自分の中にあるいやなものを、実際に、音として外へ出してしまう。行動は人を変える。気持ちが乗らなくてもやるのである。いやな気分よ、さようなら。そうして、丸めて放り投げるのである。そして、散歩のコースを変える。気分が乗らなくても、遠回りする。いやな気分よ、さようなら。
これは人形(ひとがた)を用いた祓の儀式に似たところがあると思っている。
ヒトガタにその人の名前や年齢を書き、これで体をなで、息を吹きかけることで罪や穢れ、または病や災厄をヒトガタに移すことができるとされる。このヒトガタを持ち帰ることなく神社などに納め、最後は流したり、焼いたりして罪や穢れなどとともに処分するのである。罪や穢れ、病や災厄など招かれざるものを引き受け、いわば身代わりとなってくれるのがこのヒトガタである。白い紙を切って人を象った造形物にすぎないが、撫物として特別な意味を付与される人形なのである。
これを初めて体験したのは、高千穂神社であった。なにか、身が軽くなる気がしたのは、気のせいではなかったのだ、と思う。
昔から日本人は、既にこのことを知っていたのだ。わたしはそう思っている。
noteだから書けたことかもしれない。
人生と出会いに、感謝を。