世の中にタダはあふれているけれど、それは本当にタダでいいの?
2回目のノート投稿にして結構ヘビーな気がする。そんな文章です。先に言っておきますと、似た境遇でもちゃんとしてくれる方々はたくさんいらっしゃいます。今回書いてるのはにがーい昔話。
思ったより長い昔話なので何が言いたかったかというと、人間はお得なものが好きだが、それ以上に損を嫌う。ということと、人に対して有料で施すことを無料でやれということは〇ねと言ってるようなものだなぁということです。
私はフリーランスの演奏者として演奏もするのですが一方でレッスンもしたりしています。主に吹奏楽部の子供たちに対して。コントラバスという名の弦バスという楽器の。
部活のレッスンというのは学校から直接雇われる場合もあれば顧問の先生やトレーナーの先生とアポとって単発レッスンとしていく場合があります。まぁこれはきっと吹奏楽部に何かしらかかわったことがある人はそだね~と分かってもらえると思います。いまから書き込む問題は後者の場合のレッスンです。
顧問:レッスン、タダにして~
初めて行った学校で言われた言葉。おまwwwwなにいうとんじゃwwwwwとまともな倫理観を持っている方々や何かしらのプロとして活動してる方々なら思うと思うんですけれど、これ言われること結構多かったりしました。特に音大生だったころは。話つけてくれる人は誰もいない、身一つ営業だものね。
なんでですか?と聞けばまー、長々つらつら言われましたが要約するとお金がないからと。学生だしタダでいいよね~!人助けは善行善行~と。
えっ?!おかしくない?
つまるところ私にはお金がないからお前が身削りして私のためにほかの人には有料で施すものをタダでやれ!って言われたわけです。なんというジャイアニズム…映画やたまにいい話のときのジャイアンはその限りではないけれど。
当時の私はとてもバカだった。えっおかしくない?と思いつつも当時ピヨピヨひよこのの音大生だった私。これ断ったら印象悪くて仕事なくなるのでは…?と思いやっちゃったんですよね~、タダレッスン。その結果はまぁだーーれも得しない、だーーれも幸せになれない結果でした。
お金は大事だよ
片道1時間半、レッスン時間2時間、事前準備もして現場入り。ギャラ無。もうメンタルゴリゴリ削られる。さぞレッスン受ける子は積極的だろ…と思ったらただただ無
真面目じゃないというか、無気力なかんじなんですよね。質問もなければ何の用意もない。やりたいこともないって感じの。な、な、なんでじゃ…なんでこんなにやる気がないんじゃ…
あんまりにもあんまりなんで聞いてみたんです。今日あんまりレッスン受けたくなかった?と。そうしたらゆるーくハイとうなずいてくれました。あちゃーー
このレッスン、本当だったらこれくらいの銭がかかるんよ?
弦バス。それは本人が積極的にやりたくて選ぶ楽器でないことが多い。私もそうだったし。(最近は結構希望してくる子が多くて時代の流れも感じるけれどね!)その子もあんまり積極的にやりたい楽器じゃなかったらしくそれこそ苦行以外の何物でもなかったわけです。
わかる。わかるよ~。でもこのレッスンね本当だったらウン千円するよ~やっとかないともったいなくない?というとちょっとやる気になってくれたんですよね。
人間は現金だけど…
その学校はそれっきり呼ばれることもなくなり行かなかったのですが、その年の吹奏楽コンクールの地区大会で演奏を聴く機会がありました。お久しぶりだな~レッスンでやったこと覚えてるかな??とワクワクしながら視聴しましたが…わ、わすれとるやんけーー!!!私そんな風に弾けっていったーーー!?
もちろんレッスン1回で劇的に変わることはなかなかないとも思います。それにしても…報われない…身削りした私もタダでレッスンを受けたその子も。私の5時間とは…
人間、身銭切らないと真面目にやらない説
ほかにもちゃんとした報酬をいただいたうえでレッスンをした学校の演奏も聴けたのですが、贔屓目なしでも言ったことを各々ものにしようと何かした跡がわかるものでした。何が違うのか…ふと、義務教育時代の空調のない最上階の音楽室で毎日立ちっぱなしで弾いていたころを思い返してみた。
レッスン代、自分で払ってたわ。
全額ではなかったけれど、英世さん1人くらい。残りは部費でなんとかしてたのかな?部費として月ワンコインほど。この部費は部活の経営費として楽譜かったりレッスンの講師を呼ぶために学校からの支給額では足りない分を使っていたと記憶している。
当時の私は今よりも超絶シャイのコミュ障であったので挨拶以外あんまり上手にしゃべれなかったと思うけれど、それでもレッスンに対しての熱意はそこそこあったように思う。それはなぜか。もちろんうまくなりたかったのもあるけれどお小遣いからレッスン代だしてたからそれだけ分絶対元取ろうと思ってた。
普通にレッスン受けようと思うと英世一人じゃ受けられないのだから当時グループでのレッスンとはいえなかなかお得であった。だがしかしそれは成人して収入があるから。当時の私からしたら1000円は大金だった!1000円あったら漫画も買えるし映画だって行ける。服は無理でもコスメだって買えたのだ。それらは楽器以外のことで魅力的な、もしかしたら楽器以上に魅力的な物。それらを我慢してレッスン受けるんだからそりゃ元取ろうと思うわけです。
まーただ、他の生徒たちが身銭切ってるかはわかりませんが、そうでないなら報酬払ってる顧問の先生がしっかりやる気にさせてたのではないかなぁっとも。
何かを得るには対価が必要
当たり前だけれど、欲しいものを得るためには対価が必要ってだけなんですね。物々交換なら目に見えるからわかりやすいけど。
目に見えないものを一人で何とかするならば時間が、人の知恵を借りるならばその人がその知恵を得るために費やした時間が。でも時間は払えないので代替品としてお金が。そしてモチベーションとしてもお金が。
前述の長くて苦い思い出でもでましたが、タダで施されるほうのモチベーションもですが、施す側も当たり前ですがダダか有料かでモチベーションが変わります。双方のモチベーションを上げる共通の物質がお金なんじゃないかなぁっと思う日々です。タダで施してたら生きていけないし。無報酬で仕事しろっていうのはつまりお前〇ねよと言ってるようなものです。これが普通の企業での出来事ならパワハラなんじゃないのかな。
そして私にレッスンや演奏を依頼してくれる方々、私の生活のためにもスキルを使ってお金を得るためにはスキルのクオリティは磨いていかなければいけないし、有料と無料はちゃんとわけないとだめだなぁ…と思った苦い思い出でした。
コロナでお仕事がなくなった、本来は有料のものを無償で提供している方々は本当に素晴らしいと思うし、とてもいいアピールになっているし素敵だかと思うけど、どうか受け取る側がそれを当たり前だと思わないでほしいなとは思う。