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「東洋のマチュピチュ」マイントピア別子〜東平ゾーン〜

世界企業の集合体「住友グループ」。
その発祥は、江戸時代元禄期、愛媛県新居浜市にある「別子ベッシ銅山」を祖とする。

元禄4年(1691年)の開坑から1973年(昭和48年)の閉山まで283年間、一貫して住友家が経営し(閉山時は住友金属鉱山)、関連事業を興すことで発展を続け、住友が日本を代表する巨大財閥となる礎となった。

Wikipedia「別子銅山」より

新居浜市内には別子銅山に関する遺構が数多く点在し、特に、別子山山麓にあった採鉱本部を中心とした一帯は観光整備され、今では「マイントピア別子」として多くの観光客が賑わい、或いは、旧社員やその家族が昔を偲んで訪れている。

マイントピア別子には、「端出場ハデバ」と「東平トウナル」の2つのエリアがあり、東平の産業遺跡は“東洋のマチュピチュ”との異名をもつ見学スポットとなっている。

東平(とうなる)地区は、1916年(大正5年)から1930年(昭和5年)まで別子銅山採鉱本部が置かれていた。このような山中に、かつて多くの人が鉱業に従事し、その家族共々生活し、小中学校や神社まである「街」があったのかと信じられないように現在は山中に静まり返っているが、閉鎖された坑道や鉱物輸送用の鉄道跡や当時使われていた機器や住居跡の石垣が残っている。付近は再整備され、歴史資科館、保安本部跡を利用したマイン工房、メインの遺跡となった貯鉱庫と索道停車場の跡、花木園などがある。旧東平中学校跡地の銅山の里自然の家は使命を終え廃止され更地になっている。なお、『東洋のマチュピチュ』と称し観光客を呼び込んでいる。

Wikipedia「別子銅山」より

👇マイントピア別子のホームページ👇


🔹今回は「東平ゾーン」を中心にご紹介しますね。

住友グループ広報委員会に詳しい沿革が掲載されていますのでよろしければご覧ください👇

先日、人を案内する機会がありましたので、久しぶりに“東洋のマチュピチュ”を訪れました。

そして、「そうだ、noteを読んでくださっている皆さんにもご紹介しよう」と思いつき、パシャパシャと撮ってきましたのでお楽しみください。

案内図です。
エリアはけっこう広いです。
駐車場から“マチュピチュ”を見下ろします。
“マチュピチュ”から新居浜市内と瀬戸内海を臨めます
“マチュピチュ”を下から見上げたい方は
こちらから階段をおりてください。
下まで220段💦
“マチュピチュ”、レンガ造の遺構です。

けっこう歩きます。
良きウォーキングになりましたよ。

そして、エリア内には記念館もあります。

記念館エントランス

そして、展示の一部をどうぞ👇


あ、そうそう。
東平ゾーンまでの道のり。
ポイントを画像と動画で紹介しますね。

道の駅「マイントピア別子」から10分ほど走ったあたりからのスタートです。

左折「東平 銅山の里」の表示
さぁどうぞ。

「そこを左折」すると、すぐ道路脇にこんな👇看板がありますので、ご確認ください👀

安心してください。
マイクロバスまでなら余裕です。
いきなり細道です
路面には山水が流れます
「火の用心」火気厳禁!
そして、この旗は履行ポイントでもあります
道中、最狭場所
ガチで狭いです
台風10号の爪痕
ちょっと崖崩れです⚠️
あと1キロ!
東平ゾーンのエントランス
エントランスも狭い、、、。
最後のヘアピンカーブ
職員さん誘導ありがとね😊
はい到着💨

スパルタンな山道でしたねぇ。

気が利くワタシは、なんと動画を撮りましたよ。
県道47号線を左折するところ→東平ゾーン駐車場までの動画です。では、動画をどうぞ。
約20分の道のりです。倍速でどうぞw

乗り物酔いしてませんか?


ざっと駆け足でご紹介しました。

国内には、日本の近代化を支えた産業遺跡がたくさんありますよね。
足尾銅山、石見銀山、佐渡金山などなど、訪れてみたい産業遺跡はまだまだいっぱいですよね。

訪れたら実感できるんです。
実は、尊い人命の積み重ねと、数々の不慮の落命の上に今の私たちの日本産業の隆盛があることを。
誇るべき、メイドインジャパンです。

今週もお付き合いくださりありがとうございました😊
また来週👋

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