春季大祭の参拝を終えて
1月26日、天理教教会本部では春季大祭がつとめられました。
この日に向かって、自分なりに心を作ってきたつもり。今月はさまざまな場において、春季大祭の意味と意義を伝えることに専念し、伝えつつ、つとめて自分自身に言い聞かせました。
けど、全然足りてなかったことを痛感しました。タイトル「春季大祭の参拝を終えて」と書き出しのヒト段落目は、あらかじめ事前に用意していたものなんです。
しかし。。。。。
春季大祭が2日後に迫った1月24日。
その日、西日本は大雪に見舞われました。
下の子供2人は、朝の登校前に玄関先で
「雪だーー♪」
てはしゃいでましたよ。
車に降り積もった雪をかき集めては、雪だるまにしたり、投げ合ったり。
「ほらほら、早よ登校しないと遅刻するぞー」と追い払うように子供たちを見送って、やれやれ、と寒さから逃げるように小走りで玄関に向かった刹那。
「あっっ!!!」
左のサンダルが宙に浮いてるスローモーション。次の瞬間、背中からドテーーっと転倒。
「あかん、、、」
なんとか玄関にたどり着くも、背中と腰がヤバい。。。
妻に言うと大笑い、からの深刻顔で「おさづけするから横になっとき」と、私の悲痛を読み取ったんですね。
「はぁ、、、終わった」
もともと腰痛持ちの私にとって、今回の転倒は致命的でした。
春季大祭に向けて、今までで一番、心作りをしてきたつもりでいた。26日が待ち遠しかった。おやさまにお会いしたかった。
布団の中で、いろんなことを思い巡らせ、反省点を洗い出しました。
①高慢になっていなかったか?
おやさまお隠れ当日のおさしづと割書を引用して、人様に話したり、記事に書いたり、と様々なところでお伝えしてきた。
そして、自分自身で「どうだい?俺の思案が正しいだろ?」とばかりに高飛車になっていたフシがあった(かも知れない)。
②おやさまお隠れの思案は間違ってなかったか?
これについては、この先ももっと思案を深めなければならない、と反省点があります。
③春季大祭に人を誘ったか?
おぢば往路と復路に、あちこちとお訪ねする予定を詰め込んでいたので、当然のように私1人でのおぢばがえりを予定していました。こんな大切な大祭に、信者さんや家族にもなんとか一緒におぢばへ、と声がけを怠っていました。
④万事、陽気に思案していたか?
これもやはり疑問点があります。
あぁ忙しい。段取りがいっぱいある。おいおい、余計な事は俺に言わんといて、めんどうだ。自分ばかりがバタバタとしていて、周囲に陽気が伝わっていたか?自分勝手の陽気だったのでは?
まだまだ反省点は炙り出そうですが、大きくは上記のようなことがまず思い起こされました。
振り返ると、昨年の秋季大祭を目前にして、インフルエンザA型に罹患して苦しみ、ついに大祭への参拝を断念。そして、今回の大祭前には、転倒して身動きできずに、、、。
八方塞がりに遭遇しても、天への道は開けている。そこに心を繋ぐ。こちらから求めて心を繋ぐ。親神様への心の道をしっかりと繋ぐ。
そして。
⑤おぢばがえりできるのは当たり前じゃない。
地震被害を被った能登地方の方々の中にも、当然「おぢばへ帰りたい。かんろだいを拝したい。おやさまにお会いしたい。」と心に願いつつも、それが叶わない方々は多くいらっしゃる。
災害からの復興情報を発信しながらも、それがカタチだけで終わっていなかったか?復興地に心を寄り添わせていたか?
25日と大祭26日は、もう心が凹んで泣けてきましたが、こうして反省点を言語化するうちに冷静さを取り戻しました。
今はもう元通りに身体が動いています。
大難だったけど、派手に転倒したにも関わらず頭部は打ちつけることはなかったし、小難でお守りいただいたことにまず感謝したいと思います。
最後に、御礼を言わせてくださいね。
⑥Be+兄さんが、Twitter(現𝕏)で仰いました。「今日、奇跡的に参拝できたのは、きっと色んな方々の代参だったのだと思います。そう思えることが嬉しいな😊」と。この“色んな方々”の中に私も含まれていることを知り、感涙です😭。
そして、こう励ましてくれました。「陰暦正月二十六日に駆けつけようとして間に合わなかった先人もいたよね。その心境を味わわせていただけたんじゃないかな。それは得難い経験ですよ😌」と。ハッ!ドキッ!としました。完全に盲点でした。兄さんは、「土佐卯之助先生」の略歴を教えてくれました。
土佐先生の無念、それは大祭を参拝できなかった私に、実感としてひしひしと伝わってきました。
兄さん、いつも、そしてこのたびも、ありがとうございます🙇♂️
⑦また、調子に乗って、言わなくてもいいのに、Twitter(現𝕏)に、【悲報】背中と腰を強打、なんてpostしたらたくさんの励ましとご心配をおかけしてしまったこと、大変申し訳ありませんでした。ありがとうございました🙇♂️
その投稿に、ある友人からのひと言のリプライ、「良きように十分に身についてくるので、若干かかるけど、十分の理にはかえられないかも。よくわかるので、大丈夫!」との返信が身に沁みました。
しやハせをよきよふにとてじうぶんに
みについてくるこれをたのしめ
(おふでさき2号42)
やはり、いかなる事象も、親心を悟りとって全て陽気に思案せねばなるまい、と反省を繰り返すこの頃です。
次は、4月団参だっ❗️
頑張ろう❗️
〜追伸〜
今週もお付き合いいただきありがとうございました。
今週の記事は、計らずも大祭に参拝できなかったことに対する私なりの反省した事柄です。
念のため記しておきますが、〇〇ではないからこうなった、〇〇したからこうなった、〇〇な言動が元でこうなった、のような方程式的な(身上or事情さとし的な)思案ではなく、あくまでも私個人として、この先、明るく勇んで前進したいがための思案(反省)です。
そこのところを、誤解のないように解釈してくださいますようお願い致しますネ🙇♂️
要は、サラッと読んでいただければそれでけっこうなんです。 -拝-
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