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秋季大祭を参拝して
2024年(立教187年)10月26日、天理教教会本部にて秋季大祭が無事に勤め終えられました。
約1ヶ月間、Twitter(現𝕏)にて毎朝「ともに、おぢばへ」と呼びかけつつ、「で、当日はどうだったの?」とのご指摘もあり、今週は「秋季大祭に参拝して」となりました。
前日25日朝、マイクロバスを運転してみなさんとおぢばを目指して出発。
お昼におぢばに無事に到着。
暑い。
半袖一枚で充分な陽気☀️
昼食後、みなさんとお参拝。
そして、神殿にておさづけの取り次ぎ合い。
おやさまにご挨拶。ちょうど合殿の襖が閉じられていた。そこで、簡単に教祖殿の間取りやおやさまのご日常を説明させてもらった。
私の拙い説明にも「うんうん」と頷きながら聞いてくださり、そしてみなさんで、笑顔笑顔で、無事に帰ってきた報告を思い思いに祈念しました。
おやさまとの対話Timeですね。
続いてみたま様にも、ありがとうございます、とご挨拶。
この日は、詰所と東横インに分宿。
日没後、素敵な懇親会が華々しく開催された。が、これに関しては書くと長ぁ〜くなるので、やむなく割愛しますね。
26日朝を迎える。
ほどよいお天気☀️
秋季大祭の朝だ!
みなさんを北大路駐車場へお連れして、そこから神殿へ。
雅楽の音色に吸い寄せられるように西礼拝場へ。
車椅子席に数名を案内したのち私も息子と共に畳に陣取る。
厳かにかぐらづとめを拝す🙏
陽気なておどり(手踊り)🙏
12くだり目までおつとめが無事に勤め終えられるや、「ただいまから、真柱様のお言葉を頂戴いたします」とのアナウンス。
2年ぶりの直接のお言葉。
感動と感激と奮起。
さて、ここからが本題。
当日お聞かせいただいた真柱様のお言葉、毎日一度は録音を聞いています。
8分20数秒に込められた真柱様の思い。
切なる親の思いだなぁと感じ入りつつ、今のところ毎日聞いています。
親の思い。あ、「親の思案」については拙記事をご参照くださいませ。👇
(あくまでも私自身の信仰的価値観ですのでイチャモンは受け付けませぬ)
さてと。本題を。
まず、当日のお言葉全文をお載せしますね。
秋の大祭に全国各地より大勢お帰りくださりご苦労様でございます。
また、おやさまの年祭へ向かう中、道の上に心をかけていろいろとおつとめくださり、誠にありがとうございます。
ただいま、おつとめも滞りなく勤め終えることができまして、最後に一言ご挨拶させていただきます。
さて、2年前、この場で、私は、おやさま140年祭へ三年千日の歩みに入るにあたって諭達第4号を発表しました。
昨年は、三年千日の1年目、今年は2年目で、その年も終わりに近づいております。まだ少し早いかもしれませんが、振り返ってみますと、今年は元日から能登の大地震という、非常に厳しい姿をお見せいただいたのであります。
私は、年頭の挨拶の中で、「おふでさき」では天災を月日の残念立腹と仰られている。それは、この道を通るお互いの心の成人の鈍さに対する厳しいお仕込みだと思うので、どの点をお知らせくださっているのか思案し、気づいたところは改めて歩もう、というようなことをお話し致しました。そして、今年の歩みが始まったのであります。
今回の年祭活動は、年祭に向かって、各直属教会やそれぞれの教会で目標を定めて、成人の歩みを進めることとしたのであります。
年祭活動で、全教的にこのようなことをするのは初めてであって、今年は三年千日の折り返しの年でもあるので、年の半ばに目標の振り返りや見直しを行い、改めて目標を見据えた着実な歩みを進めようとしたのであります。
そして、後半の活動に入ったところで、今度は、また正月と同じ能登の地が豪雨に見舞われて大きな被害を受けたのであります。地震と大雨という、形は違えど、同じところに二度も厳しい姿を見せられた。
私は、これは、私たちの年祭に対する取り組みが、思し召しにお応えするにはまだまだだということなのだと思ったのであります。
私は、諭達の最後、「この道にお引き寄せ頂く道の子一同が、教祖の年祭を成人の節目として、世界たすけの歩みを一手一つに力強く推し進め、御存命でお働き下さる教祖にご安心頂き、お喜び頂きたい。」と締めくくりました。
道の子が一手一つになって力強く歩むまでには、もっとたくさんのよふぼくが年祭に心を向け、年祭へ向かっての動きに取り組むように働きかけ、丹精を続けなければ、おやさまに安心してはいただけないと思います。
三年千日の期間は、動かせていただくことが大切であります。
一所懸命取り組んで、年祭の当日、おぢばへ帰ってきても来なくても、その日を嬉しい心で迎えることができるように、まだ三分の一残っている三年千日は、勇み心を奮い起こしてお通りくださるようにお願いし、挨拶を終えたいと思います。
どうぞよろしくお願い致します。
2年ぶりの直接のお言葉です。
この点だけでも、すでに私は感激でした。
神苑内は、シーーーンと静まりかえっていました。一言一句、聞き漏らすまい、という参拝者の方々の姿勢による静寂です。
「2年前よりもはるかにお元気なお声だ!」
私は、真柱様の第一声を聞くや、感涙しそうでした。
しかし、お言葉の内容は、想像していた通り厳しいものでした。
『私たちの年祭に対する取り組みが、思し召しにお応えするにはまだまだだ』
あぁ、申し訳ない。。。
そして、
『年祭へ向かっての動きに取り組むように働きかけ、丹精を続けなければ、おやさまに安心してはいただけないと思います。』と。
そのためには、
『動かせていただくことが大切であります。』
と、私たちの更なる実働をお促しくださいました。
「わかりました!やりますっ!」
との思いがふつふつと湧いてくる感覚になったのは私だけではなかったはずです。
最後に真柱様は、
『その日を嬉しい心で迎えることができるように、まだ三分の一残っている三年千日は、勇み心を奮い起こしてお通りくださるように』
と仰せになり挨拶を終えられました。
わずか8分20数秒。
私はこれまで、自ら求めてこの道を歩むようになってから迎えたおやさま年祭は、今回で4回目。教会長になってからは2回目の年祭です。
これまでの年祭活動においても、折々の真柱様のお話は、おやさまお隠れ当時の史実や情景に想いを寄せられつつ話しが進められました。
そこには、おやさまのお隠れに対する悲しみや悲壮感が漂っていました。
したがって、10年に一度迎えるおやさまの年祭に際しての心持ちは、無意識のうちに、私も悲壮感だとかしんみりした気持ちを抱いていたのかもしれません。
しかし、この度の真柱様のお言葉の締めくくりには、
「嬉しい気持ちで迎えることができるよう」と仰られて、私は最初、「えっ!?」とビックリしたのが正直な気持ちです。
ですので、「えっ!?」という気持ちを整理するために、ここのところ毎日一度は秋季大祭のお言葉を再聴しているわけです。
で、「えっ!?」の解答は簡単でした。
すぐに見つかりました。
「年祭活動の残り三分の一をより一層勇み心で勤め切ったら、おやさまはご安心してくださって、お喜びくださるんだ」という希望が、ちゃーーんと諭達第4号に示されているんです。
御存命でお働き下さるおやさまに
ご安心いただき
お喜びいただきたい
おやさまがにっこり笑ってお喜びくださったら、私たち、道の信仰者はめちゃくちゃ嬉しいですやん!
「おやさまの年祭を嬉しい心持ちで迎える」
新しい気づきでした。
にこにこと、笑顔あふれるおやさまの年祭。
想像するだけでも嬉しくなりますよね。
まさに、陽気ぐらし‼️
そっか、『先を楽しむ』という究極が年祭活動なんや!
そんな晴れ晴れとした、「えっ!?」の解答に行き着きましたよ。
この度の、秋季大祭における真柱様のお言葉は、いわば、“諭達第4号version2”です!
心晴れやかに、いつも晴天の心で、年祭活動の残り三分の一を勤めたいと、改めておやさまにお誓いした秋の一日でした。
おぢばからの帰路も、無事に事故なく戻ることができました。
ありがたい、楽しい、嬉しい、感激の秋季大祭へのおぢばがえりでした。
ありがとうございました🙇♂️
今週も、拙い私の記事にお立ち寄りくださいまして、ありがとうございました🙇♂️
また来週👋