見出し画像

続「稿本中山眞之亮傳」

立教188年
令和7年
西暦2025年
皇紀2685年

本年もどうぞよろしくお願いいたします🙇‍♂️

さて、昨年12月から改めて「稿本中山眞之亮傳」を拝読していますが、随所にハッ!となる史実や、ウッ、、と心を打たれるような初代真柱様の心情などの描写に触れて感動の連続なんです。

中でも、やはり何度も読み返してしまう気持ちになるのは、明治20年陰暦正月26日の場面です。
先週の記事でも引用しましたが、もう一度引用しますね。

(46ページ中程から)
この時の心境を、眞之亮が後年述懐して、「あの時は、全く、泣いて居る暇も無かった。」
と述懐して居るが、全く、さこそと思われる。
こうして、神とも仰ぎ、親とも慕うて來た教祖は、忽然として御身をかくされた。人々の驚きの中にも、眞之亮は、いよいよ全面的に自分の双肩に掛かって來たたすけ一條の重任に、ひとしを身の引きしまる思いであった。人々は未だ泣き沈んで居るが、かくてはならじと、氣を取り直し、かねてより言上を許されて居た飯降伊藏を通して、親神様の思召を伺うと、
さあさあろっくの地にする。皆々揃うたか揃うたか。よう聞き分け。これまでに言うた事、實の箱へ入れて置いたが、神が扉開いて出たから、子供可愛い故、をやの命を二十五年先の命を縮めて、今からたすけするのやで。しっかり見て居よ。今までとこれから先としっかり見て居よ。扉開いてろっくの地にしようか、扉閉めてろっくの地に。扉開いて、ろっくの地にしてくれ、と、言うたやないか。思うようにしてやった。さあ、これまで子供にやりたいものもあった。なれども、ようやらなんだ。又々これから先だんだんに理が渡そう。よう聞いて置け。
とのお言葉である。このお言葉を聞いた時、眞之亮の胸中には、ああ、教祖は生きてお働き下さる。そのお働きを背に負うて、何でも彼でも御安心頂けるよう、御喜び頂けるよう、たすけ一條の道の發展をはからねば、との堅い決意が湧き起って來るのを覺えた。
こうして、教祖は、御身をおかくしになった。その御魂は生きてお働き下され、そのお言葉は、おさしづとして耳に聞く事は出來るものの、日常の小さな出來事から、世上世界との折衝に到るまで、内外大小の事柄は、悉く若い眞之亮の双肩にかかって來る事となった。

第2章より

今週の記事を進めるにあたって、まず私が注目したのは、上記の引用のなかにある、

『ああ、教祖は生きてお働き下さる。そのお働きを背に負うて、何でも彼でも御安心頂けるよう、御喜び頂けるよう、たすけ一條の道の發展をはからねば、との堅い決意が湧き起って來るのを覺えた。』

の部分。

何でも彼でも御安心頂けるよう、御喜び頂けるよう

はっ!!!となりました。
これって、諭達第四号の括りじゃないか!と。

そこで現真柱様の諭達第一号から第四号までの括り部分をまず列挙してみました。
以下です。

この門出の旬を吉祥として心機を一転し、全よふぼくが相呼応して世に働きかける時、世界は救われ、必ずや一れつの陽気ぐらしは実現されるものと信ずる。
ここに全教一手一つの奮起と実動を要望し、御存命の教祖のお導きを願い奉る。

         立教161年10月25日 真柱 中山善司

諭達第1号 末尾

この道を歩むお互いが心の向きを揃え、挙ってたすけ一条に邁進して、「今からたすけするのやで」と、やしろの扉を開いて、世界ろくぢに踏み均しに出られた教祖の大いなるお心にお応えしたい。
教祖の年祭を成人の節目として、真実を集め、力を尽された先人達の足跡の上に、更なる実を積み重ねるべく、全教が勇んで立ちあがり、一手一つに勤め切ることを切望する。

       立教165年10月26日 真柱 中山善司

諭達第2号 末尾

世の人々が元の親を知り、一れつ兄弟姉妹の真実に目覚めて、互いに睦み合い、たすけ合う神人和楽の陽気世界の実現を目指して、弛むことなく世界のふしんを進めよう。
教祖百三十年祭へ向けての三年千日、教祖の道具衆たるよふぼくお互いが、その使命を自覚し、任務(つとめ)に邁進して、御存命の教祖にお喜び頂きたいと願ってやまない。

          立教175年10月25日 真柱 中山善司

諭達第3号 末尾

教祖お一人から始まったこの道を、先人はひながたを心の頼りとして懸命に通り、私たちへとつないで下さった。
その信仰を受け継ぎ、親から子、子から孫へと引き継いでいく一歩一歩の積み重ねが、末代へと続く道となるのである。
この道にお引き寄せ頂く道の子一同が、教祖の年祭を成人の節目として、世界たすけの歩みを一手一つに力強く推し進め、御存命でお働き下さる教祖にご安心頂き、お喜び頂きたい。

     立教185年10月26日  真柱 中山善司

諭達第4号 末尾

第一号は継承奉告祭に臨んでの諭達でしたので、おやさま年祭に向かう諭達とはちょっと趣きが違いますね。
第二号は120年祭、第三号は130年祭、そして140年祭に向かうこのたびの第四号。

第四号の括りには、ズバリ、

御存命でお働き下さる教祖にご安心頂き、お喜び頂きたい。

とあります。
私は感動しました。
真柱様のお心は、初代真柱様のお心そのものなんだ。
第一号、二号、三号、四号。
全ての諭達に込められた真柱様の思いは、
「おやさまの御恩にお応えしたい一条」。

稿本「中山眞之亮傳」を読み進めると、それは教会史の骨子そのものではありますが、筆者(上田嘉成先生)は時折り、初代真柱様のその時々の心境を表現されている文章に触れることができます。

特に印象的な文章が、前述までに引用した
『御安心頂けるよう、御喜び頂けるよう』
の部分なんです。

おやさまを慕う初代真柱様のお心は、二代真柱様、三代真柱様、四代真柱様と、100数十年の時を経て継承されてきたんですね。
その導きの親である真柱様のお心。
私たちに、“全教の心を一つにしたい”と願う製本が諭達第四号なんだ!と、改めて「眞之亮傳」第2章で確認できたことが、私にとっての勇みの種となったのでした。
こうした情景を美しい日本語でものされた上田嘉成先生にも手を合わさずにはおれません。


切れ目のない真柱の理の継承。
それは、歴代真柱様のお心は、初代真柱様のお心そのままであり、全教を牽引するための揺るぎなき指針は、初代真柱様が片時も忘れずに内に秘められていた、

「御存命でお働き下さる教祖にご安心頂き、お喜び頂きたい。」

この一点にこそ真柱の理の継承があり、私たち全教よふぼくが心一つに勤めさせていただくべき道しるべなのだと、改めて心に誓った立教188年の新春でした。

おやさま140年祭まで、あと1年。
本年は、年祭活動仕上げの年。
イチ教会長として、親神様の御守護を存分に味わい、また少しでもおやさまと真柱様の思いにお応えさせて頂けるよう、いつも心は晴天に、自らを勇ませて、他をも勇ませて、嬉しい心で新たな本年を勤めたいと思います。

本年もどうぞよろしくお願い致します🙇‍♂️


さてと。
このあと、おぢばがえりします。
そして、明日、おせちをいただきます♪
🎍本年の初帰参です🤗🎍

来週の記事も「眞之亮傳」ですよ。
また来週👋

いいなと思ったら応援しよう!