悪夢、からの思案
ここんところ、雨が多いですね☔
なかなか晴れない、曇天の連続☁️
運転に差し支えるほどの雨に見舞われることもありますね。
火・水・風は森羅万象を司る神様のお働きが切れ目なく今日も遍く地球上にもたらされている証左であることは心に留め置いていて、それが私たちの信仰ですね。
けどねぇ〜
晴れない日に、やっぱり不足してしまうんよねぇ〜、雨空や曇天に。
6月26日のおぢばの空はスカッと快晴、ではありませんでした。
そしてその日の夜。
寝ついたのは深夜0時を少し回った時計を見たから、正確には27日の未明ですね。
悪夢を見たんですよ。
どんな?
空は昼間でもダークグレイ。
大雨。
雷。
帰宅したはずなのに、まだおぢばにいる風景。
たくさんの参拝者がいらっしゃるのが見えるけど、見える私の位置が建物の2階からの風景かな、という見え方。
参拝者たちの中心には甘露台があって、据えられている真座のグランドレベルが参拝者たちの傅く地面と同じ高さ。
おやさま時代の、まだお庭に据えられたままの甘露台でしょか。
大雨の中、一心不乱に何かを願っている人々の背後から、大水が押し寄せてきて、真座を含むあたり一面をあっという間に飲み込んでしまった。
その光景から間が空いて。
次に見えたときは、真座に大きなブルーシートのようなものが覆い被されていて、そして、、なんと甘露台がない!
洪水のために流されたか、流失を免れるために疎開したか。
私は依然として高い位置からその光景を見下ろしていて、甘露台がない真座のショッキングな光景を見つめているだけでした。
そして、再び間が空いて。
次の光景は、神座にはちゃんと甘露台が据えられている。その周囲で大勢の人々が歓談したり、土を耕したり、荷物を運んだり、走り回ったり、思い思いに楽しそうに過ごしているんです。
私は、というと、これがなんとも不思議だけど、目が覚めてもしっかりと記憶にある登場人物と何やら楽しい会話をしてるんです。敬愛するK大教会長さんと。
そこで夢から覚めて
6月27日の夜明け前、4時半ごろ。
タイトル「悪夢」は、
大雨の大洪水と甘露台のない真座の光景のこと。
私は、寝てる間に見る夢を、あまり思い出さない(記憶に残らない)タイプなようです。
よく子供達が、寝てる時に見た夢を話すんですよね。そして「パパはどんな夢を見たぁ?」て聞かれるんだけど、私はさっぱり思い出せない。
思い出したとしても、ほぼモノトーンで、なんの文脈も感じられない断片的な場面ばっかり。
ところが今回、久々に、目が覚めても記憶に残っている夢でした。
いやぁ〜怖かったです。
真座が大洪水て、やっぱり泥海古記ですよねぇ。そこだけはリンクできます。
が、夢は夢で終わらせるのではなく、これまたリンクするのが『おふでさき』のお歌。
『おふでさき』には、「ゆめ」の文字は8回出てきます。
『おふでさき』を理解する時、その歌1首だけを引用して、〇〇だから神意はこうなんだ、と断定する読み取り方は、間違いではないけど、その理解の仕方では神意に辿り着けない場合が多く、やはり、該当するお歌の前後数首、或いは区切り、或いは各号全体、ひいては1号から17号まで1711首全体(というと大袈裟かもしれんね)から伝わる親神様の神意をくみとる姿勢が大切だ、ということは分かっていても、この「ゆめ」お歌、なんだか身に迫るものがあります。
親神様への畏敬の念と親神様の万能。
そして、奮起、勇心、再起動、躍進、
といった前向きな心境になれます。
三代真柱様の10年祭がつとめられたこの節目は、おやさま年祭活動の折り返しの時期。
『おやさま140年祭、みんな頑張れっ』
と、優しくも力強く私たちを牽引してくださる三代真柱様の背中に続いて、私たちよふぼくは一手一つに、心一つに励みたいなと、そんな気持ちになれる“悪夢”でした。
件の悪夢からは、シンプルに、
・ぢばに心を繋ぎ、心を寄せる
・「元の理」の理解をさらに深める
というところに落ち着きました。
よって件の如し🟣
なんか小学生の日記みたいでしたね、失礼しましたー
今週もお付き合いくださりありがとうございましたっ🙇♂️
また来週👋