スキージャンプを処刑からスポーツに押し上げた人に思いを馳せる
「スキージャンプ」というスポーツがある。
ルールはシンプルで、「ジャンパー」と呼ばれる選手が急勾配のジャンプ台をスキーで一気に滑り降り、最後の踏み切り台から勢いよく飛び上がる。そしてその飛距離や美しさを競うという種目だ。
1924年の第1回冬季オリンピック(シャモニー・モンブランオリンピック)からオリンピックの正式種目として認定されているらしく、歴史ある定番のウインタースポーツと言ってよいだろう。
そんなスキージャンプだが、ある説がまことしやかに囁かれている。
スキージャンプは、もともと処刑方法の一種だったという。
つまり、もともとどこかの雪国で処刑の一種として行われていたものに競技性が付加され、スポーツとして成立したものが現在のスキージャンプである、というものだ。
確かに、今でこそスポーツとして安全に行われているスキージャンプであるが、仮にその「原型」のようなものがあるとすれば、「雪山の急斜面を一気に滑り降り、そのまま踏み切り台から空の彼方へ吹っ飛ばされる」という危険な行為でしかないし、何の対策もせずにやったら死ぬだろう。そういう意味で、この説はもっともらしい。
しかし、にわかに信じがたいのも事実である。歴史上で「処刑がスポーツ化した例」なんてものはこれ以外に知らないし、多分ないと思う。「釜茹での刑」や「股裂きの刑」がスポーツとしてのポテンシャルを秘めているとは思えないし、そもそも心身ともに健全になるためのスポーツと苦痛を強いるための処刑では相性が悪い。
と思ったが、「罰として腕立て100回」「罰として校庭10周」なんて話もあることに気がついた。これらはスキージャンプとは逆にスポーツが刑罰化した例である
もしスキージャンプが処刑法だった頃の人々に「これ、未来ではスポーツになってるんですよ」と言っても信じないだろう。今の我々に未来人が「電気椅子って未来ではオリンピック競技になってるんですよ」などと言ってきても質の悪い冗談としか思えない。この説はそれくらい突飛なことを言っている。
もしこの突飛な説が真実であるとすると、「処刑方法に過ぎなかったスキージャンプがスポーツとして成立した瞬間」というものが歴史上のどこかに存在するはずである。
ここでは、(説の真偽は置いておいて)「スポーツとしてのスキージャンプが生まれた瞬間」について、勝手に想像して思いを馳せてみようと思う。
* * *
まず、スキージャンプをスポーツに押し上げた功労者、すなわち「大きく、かつ美しく空を飛んだ受刑者」がいたはずだ。仮に名前をジョゼフとする。ジョゼフはその国の司法制度の裁きにより、「スキージャンプの刑」を言い渡された。「スキージャンプの刑」とは雪山の急斜面でスキー板をくくりつけられ、急斜面を滑り落ちた後に空中に吹っ飛ばされるというもので、生還率はほぼゼロ。実質的な死刑宣告である。
ジョゼフの罪状はなんだったのだろう。「スキージャンプの刑」を言い渡されるほどであれば、相当な重罪であったと想像される。まず間違いなく死ぬし、さらにこの刑には公開処刑としてのエンターテイメント性もあるからだ。なにか国家に対して反乱を企てたとか、はたまた政治的な陰謀に巻き込まれて濡れ衣を着せられたのかもしれない。
それはともかくとして、刑は数日後に執行されるという。ジョゼフにとっては死ぬまでの最後のひとときとなる。親には会えただろうか、昔だとやはり面会なんてできないのだろうか。獄中で手紙を認めたかもしれない、「私はやっていない、私は嵌められたのだ」と。
… … …
刑の執行当日。ジョゼフは牢獄からその国随一の険しい山の斜面に連行された。ジョゼフの足にはスキー板が取り付けられ、両手は後ろ手に縛られている。そして刑の執行人は木々がきれいに刈り取られた滑走路の上にジョゼフを立たせ、後ろ手を掴む。この手が離されたとき、ジョゼフは目の前の斜面を滑り落ち、空を舞うだろう。
ジョゼフは眼下の光景を見つめる。天気は快晴で、滑走路に積もった雪は日光をギラギラと反射している。滑走路の先には木製の踏み切り台、そしてその先の麓には大勢の見物客。彼らの声はここまで届かないが、おそらくジョゼフに対する怒号が飛び交っているのだろう。
「やり残したことはあるか」
執行人がジョゼフに声を掛けた。
「祈りを、捧げます」
ジョゼフは短く答えると、目を閉じた。瞼の裏には、自分の幼少期の記憶が走馬灯となって巡ってくる。豊かではないが、美しかった故郷の村。牧場を営む両親との幸せな日々。もう涙は出てこない。涙はもう枯れてしまった。
ある春の日、幼きジョゼフは牧場の隅でうずくまる一羽の鳥を見つけた。よく見ると血を流しており、怪我をして飛べなくなってしまったようだ。ジョゼフは鳥を抱きかかえ、家に連れて帰ると両親に事情を説明した。すると父親が手当をしてくれ、鳥は幾分か楽そうな様子で横になった。
翌日になると鳥はすっかり回復し、元気に大空へ羽ばたいていった。その様子を見たジョゼフは父親に問うた。
「どうして鳥は空を飛べるのに、僕は飛べないの?」
父親はしばらく考え込んだ後、こう答えた。
「我々には翼がないんだ、ジョゼフ」
それ以上ジョゼフは何も聞かなかったが、どこか釈然としない思いを抱えていたことを覚えている。翼がない僕は、本当に空を飛ぶことができないのだろうか。これは、叶わぬ夢なのだろうか。
皮肉にも今、その夢は叶えられようとしている。ジョゼフはこれから、文字通り空を飛ぶのだ。ジョゼフは苦笑した。祈りは済んだか、とそろそろ腕の力が限界らしい執行人が聞くと、ジョゼフは黙って頷いた。そして、まっすぐ前を、これから自分が飛ぶことになる空を見つめた。
執行人が手を離した。ジョゼフの身体は急斜面を滑り始め、またたく間に急加速する。踏み切り台が迫ってくる。麓の歓声が聞こえる。
――どうせなら、美しく飛んでやろう。
そう決意したジョゼフは身体をぴんと伸ばし、あの日ジョゼフの手から羽ばたいていった鳥のように、踏み切り台を飛び立った。
… … …
それまで思い思いに怒声や歓声を上げていた見物人達は、皆一様に息を呑んだ。放物線を描いて大空を舞うジョゼフに目を奪われていた。彼の飛び方は今までの誰とも違う。美しい、と思わず誰かが口にした。
「スキージャンプの刑」では、受刑者が落下したのを確認すると麓に待機していた回収人が遺体を回収しに向かうことになっている。いつものように落下点を目算し、回収人達は森の中へ足を踏み入れた。
落下点にたどり着いた一行は、目を疑う光景を目の当たりにした。
ジョゼフが生きていたのだ。
ジョゼフは大怪我をしていたものの、回収人達の姿を見かけるとこちらをまっすぐ見つめてきた。そして一言、やったぞ、と言うと、その場に倒れた。
回収人達は慌ててジョゼフを担架に乗せ、麓の広場に運び出した。そして見物人達にジョゼフの生還を告げると、歓声が上がった。受刑者の生還はこの国で「スキージャンプの刑」が始まって以来、初めてのことだったという。
… … …
その後、ジョゼフは適切な治療を受けた後、釈放された。「スキージャンプの刑」はあくまでジャンプをさせる刑であり、そこから生還したジョゼフは刑を全うしたとみなされたのだ。彼は自由の身になった。
そしてジョゼフの飛翔はたまたま見物に来ていた一人の貴族の目に止まり、これ以降「スキージャンプ」は飛距離や飛び方の美しさを競うスポーツとして認められるようになっていく。そしてこの時のジョゼフの飛距離は彼の名字のイニシャルから「K点」と名付けられ、飛距離の基準となった。
その後ジョゼフは世界初のスキージャンププレイヤーとして活躍したが、着地時の事故により死亡。享年は32歳だった。
* * *
「スキージャンプ」のWikipediaによると、以下の記述がある。
かつて、日本の体育関係の書物に「この競技の起源は、ノルウェーの処刑法にある」などとされ、テレビ等でも紹介された。これは、ジャンプが、他のどのスポーツ競技と比較してもあまりにも恐怖感を伴うものであったため、重刑囚がこのジャンプをクリアできれば、その刑を軽減されるというものである。なお根拠は特に見当たらない俗説である。
ということで、「スキージャンプはもともと処刑方法だった」という説は俗説だったそうだ。上のジョゼフの物語もすべてこの俗説から作られた筆者の妄想なので(しかも俗説においてもあくまで「量刑の軽減」とされている)、併せて信じないようにしてほしい。
ちなみに「K点」はドイツ語のKonstruktionspunkt(建築基準点)が由来らしい。
おしまい。
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