いらすとや三題噺「かめパン顛末記」
「いらすとや」のランダム表示機能を使って三題噺をしました。
お話の要所で「いらすとや」のイラストをランダムで引き、それに沿った筋書きで話を展開していきます。
あなたには「馴染みのパン屋」があるだろうか。私にはある。
初めてそのパン屋に足を踏み入れたのは中学生の頃。通学路に突如としてオープンしたパン屋の存在は校内の話題となり、部活終わりの時間はたちまち腹を空かせた中学生のたまり場となった。パンの値段もリーズナブルで、日々僅かな小遣いをやりくりする中学生にとってこのパン屋の存在は有り難かった。
私もその例に漏れず、毎週部活帰りにそのパン屋でパンを食べて帰るのが恒例となっていた。買うのは決まって「かめパン」。メロンパンを亀の甲羅に見立て、側面に頭と足がついたかわいいデザインのパンである。好んで食べていたのは私だけではない。メロンパンというカロリーの費用対効率の良さと亀というかわいいキャラクター性を兼ね備えた「かめパン」はこのパン屋において一番人気の商品で、毎日パン屋の前では中学生達が亀を貪り喰らう光景が見られたものだった。
やがて中学校を卒業した後も、私はそのパン屋に通い続けた。同級生達も同じだったようで、別の高校に進学した同級生ともパン屋でしょっちゅう顔を合わせるようになっていた。ここの味を知っちゃったら簡単には離れられないよね、なんて言い合いながら、それぞれの高校の近況を報告し合うのが常だった。
そしてやはり不動の人気は「かめパン」であった。バイトを始めたりお小遣いが増額されたりして金回りも少しだけ良くなった高校生だが、慣れ親しんだ味というのは中々に変えがたいものである。最初の頃こそ皆少し背伸びをして違うパンを食べたりもしたが、結局やがて「かめパン」に戻ってきてしまう。「かめパン」はそんなパンだった。
しかし私が高校2年生になった頃、「かめパン」は突如として姿を消した。
棚に「かめパン」が見当たらず、焼き上げ中かと思って待っていても一向に「かめパン」は現れない。しびれを切らした客が店員に尋ねると、店員からは衝撃的な一言が返ってきたという。
「かめパンはやめたんですよ、すみません」
一番人気商品の突然の販売停止。当然、パン屋の客は大混乱に陥った。しばらくの間、このパン屋では「かめパン」を求めて店内をウロウロした客がすごすごと違うパンを買っていく光景が日常となった。納得のいかない客が店員に理由を聞いたこともあったようだが、何度聞いても「理由は言えない」の一点張りだったそうだ。「かめパン」が無いなんて、としばらく客足が遠のいたりもしたが、このパン屋に「かめパン」以外にも美味しいパンが揃っていたこともあり、やがて客は各々のお気に入りを見つけていった。実際、かめパン廃止以降は以前よりもハイペースで新作パンが投入されるようになっていたようだ。こうして、このパン屋から次第に「かめパン」の影は薄れていった。
「かめパン」がなくなり、そもそも「かめパン」を知らないという世代が増えてきた頃。私は高校を卒業し、地元の私立大学に通う大学生になっていた。同級生達の多くは遠くの大学に進学したり就職したりでここを離れていってしまい、今でもこのパン屋に足を運ぶのは私くらいになった。とはいえ、パン屋は相変わらず地元の中高生から絶大な支持を得ていて、開店当時と変わらぬ賑わいを見せていた。
ある雨の日の早朝のこと。私はサークルの朝練に出るためにパン屋の前を通りかかった。当然パン屋はまだ開店前で、いつもはシャッターが閉まっている時間帯だ。
しかし、その日は違った。
パン屋の入り口で男と女がなにやらやり取りをしている。男はこのパン屋の店主で間違いないが、女の方は見知らぬ顔だ。店員として働いているところも見たことがない。店主の家族だろうか、と思って見ていると、店主が女に紙袋を握らせた。大きさからみて、中身はおそらくパンだろう。女は軽く頭を下げると、店から出てきた。私は慌てて目をそらした。
女は店の傘立てから傘を取り出して差すと、すたすたと歩き始めた。少し驚いたのは、その傘は星条旗の柄だったことだ。今まで生きてきた中で、こんな傘を差した人は見たことがない。おそらく余程の変わり者なのだろう。先程のパン屋でのやり取りを含めて、私の中でこの女に対する興味が膨れ上がっていくのを感じていた。
私は気がつくと、その女の後をつけていた。
なんたって大層目立つ星条旗傘だったので、女の尾行は容易だった。女はパン屋で受け取った紙袋を隠すように速歩きで進んでいく。そして街の外れにある数年前に潰れた薬局のひさしの下に入った。そして辺りを神経質に見回してから、紙袋の中身を大事そうに取り出した。
それはまさしく、「かめパン」だった。
私は思わず差していた傘を落としそうになった。見間違うはずがない。女が今手にしているパンは、私が、私達が愛し続けた、そして突如として幻と化した、あの「かめパン」だ。思わぬ再会に、私は一筋の涙が頬を伝うのを感じた。
しかしなぜ、あの女が「かめパン」を持っているのだろう。なぜ、あのパン屋から非売品の「かめパン」を手に入れることができたのだろう。女はパン屋の店主の関係者なのだろうか、それではなぜあんなに隠れて食べているのだろうか。もしかすると、何か後ろめたい手段を使って「かめパン」を手にしたのだろうか。
気がつくと私は、「かめパン」を頬張る女に向かって歩きだしていた。
私は近くの自動販売機で一本のコーヒー牛乳を購入し、女のもとへ一直線に歩いていった。私の動きにいち早く気がついた女は慌てて「かめパン」を紙袋にしまい、こちらの様子をちらちらと窺っている。やがて私の目的が自分であることに気がつくと、絶望的な表情を浮かべた。私は構わず近づくと、第一声を発した。
「あの、そのパン、『かめパン』ですよね」
それを聞いた女は咄嗟にその場から走り出そうとした。私が反射的に女の腕を掴むと、女はそのまま立ち止まった。こちらを振り返った顔は今にも泣き出しそうな表情をしている。街中でパンを食べていて見知らぬ人間に問い詰められたら誰だって怖いだろう。私は笑顔を取り繕いながら、女に弁解を試みた。
「別にどうこうしようってわけじゃないんです。その、どうしてあなたが『かめパン』を持っているのか、知りたいんです。えっと、コーヒー牛乳、これすごく『かめパン』に合うんですよ、あ、えっと、実は私も昔は『かめパン』をよく食べていたので、その」
こちらはこちらで動揺している私の発する言葉は全く要領を得ず、どう見ても不審者であるという誹りは免れない状態である。私が目と腕をくるくるさせていると、女は私の手を振りほどいて走り去ってしまった。私は雨に濡れたコーヒー牛乳の缶を握りながら、しばらく呆然と突っ立っていた。
ふと足元を見ると、例の星条旗傘が落ちていた。慌てて走り去ったので忘れてしまったのだろう。私はその傘を拾い上げると、パン屋のもとへ戻ることにした。女自身が走り去ってしまった以上、その傘と女を結びつけるものはあのパン屋しか存在しない。また、そのついでに「かめパン」の謎が聞けるのではないか、という思惑もあった。
パン屋に戻ると、シャッターは開いたままだった。入口のドアをノックすると、見慣れた店主が姿を現した。店主は私を見て会釈をした後、手元に握られた星条旗傘を見て目を丸くした。
「あの、これ、さっきの女の人が」
店主は怪訝な顔をしつつも、どうも、と言って傘を受け取る。私はすかさず店主に問いかけた。
「どうして、あの人に『かめパン』を渡したんですか」
店主はしばらく私を見つめた後、黙って店内に私を招きいれた。店内のイートインスペースに向かい合って座ると、店主は「かめパン」騒動の顛末を静かに語りだした。
「『かめパン』を考案したのはあの人なんです」
曰く、店主がこのパン屋を開く前にメニューについて悩んでいたとき、彼女がメロンパンに頭と手足をつけた「かめパン」を考案したらしい。彼女の言うとおりに作ってみたら思いの外うまく焼くことができたので開店と同時に売りはじめた所、たちまち一番の人気商品になったということだった。
しかし開店から3年近くが経った頃、突然彼女が店に現れて「かめパン」の販売停止を要求してきたという。あまりに唐突な要求だったため店主が理由を尋ねると、彼女は一言、飼っていた亀が死んだ、と言った。
おそらく「かめパン」は彼女が飼っていた亀から着想を得て提案したものだったのだろう。しかしその亀が死んでしまってから、「かめパン」を人々が齧る様子を見ていられなかったのではないか、と店主は推測していた。店の主力商品を手放すことはそう簡単ではないが、そもそも「かめパン」の発案をしたのは彼女であることもあり、店主は「かめパン」の販売停止を決断した。それ以降は積極的に新商品を投入し、なんとか「かめパン」目当ての常連客を繋ぎ止めることにした。
そして今日。その彼女がまたしても突然店に現れ、「かめパン」が食べたい、と言い出したのだという。店主は怪訝に思いながらも、数年ぶりに「かめパン」を焼き上げて彼女に渡した、ということだった。そしてその後の顛末は私が見たとおりだ。もっと丁寧に話を聞けばよかった、と私は今更ながら後悔した。
「あ」
話し終えた店主が唐突に声を上げ、店の外を見つめる。私が振り返ると、さっきの彼女がそこに立っていた。彼女は店内にズンズンと入ると、私のことは眼中にない様子で店主のもとに歩み寄り、こう告げた。
「『かめパン』、売ってください」
それ以降、そのパン屋には数年ぶりに「かめパン」が復活した。「かめパン」はまたたく間に再び店の主力商品となり、復活の噂を聞きつけたかつての客たちが遠くからわざわざ来店し、しばらく店は大変な騒ぎとなった。かつての同級生から「かめパン」復活の理由を聞かれもしたが、私は曖昧に笑うことしかできなかった。
それからというもの、例の星条旗傘の女の姿は見ていない。
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