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母親って、世界で一番近い他人だった
子どもの頃から母親に褒められた記憶がなかった。昨日、ふとした話の流れで母にそのことを告げると、本人は「そうだっけ?」と、首を傾げている。
「結構褒めてたつもりだったんだけどな」
そうだっけ?と、今度はわたしが首を傾げる。褒められた記憶なんて全然ないんだけどな
母との記憶は、喧嘩や、言われた暴言や、幼少期にしてもらえなかった沢山のことの方がよっぽど色濃く残っている。
酷い喧嘩はいくつもした。母は怒り狂うと、必ず相手のした事ではなく、相手自身を否定した
あんたはいつもそう
あんたはほんとに救いようがない
そして、話し合いもなく自分の怒りの熱りが冷めるまで、相手を徹底的に無視し続けた。わたしにだけではなく、父にも、滅多にないけど弟にも同じ接し方をした。
親に向かって、よくそんなこと
その言葉が、母にとっては自分の正当性を主張する唯一で、確固たるものだった。間違えようと、理不尽だろうと、親が親であるだけでそれをする権利がある。わたしにとってそれは暴力だったし、今こうして書いていると、何の生産性の欠片もない怒りだったと思う。
ただ一面の野原を焼き散らして、大きく傷つけて、そのまま素知らぬ顔で通りすぎる。何一つ母は顧みないで、忘れてしまう
そして、わたしも自分も母に言ったはずの言葉のほとんどを今では忘れてしまった。
ずっと後になって、
それは大好きな祖父が母にしてきた事だと分かった。認めず、一方的で、自分の基準から外れると取り合わない
そして母は未だに、そんな祖父からの承認を求めているように見える時があった。
ただ、それが叶っている姿をわたしは見たことがない。
「わたし、たぶんそれで、
ずっとママにとって出来損ないな娘なんだろうなって思ってたんだよね」
そう、自分から出た言葉に何故かどきっとする。
言葉自体じゃなくて、そこに含まれた何かに
「ふーん」
と母は言った後、
「別にそんなこと言ってないじゃない」
と言った。
そして少し経ったあとで
「みんなそんなもんじゃない?」と付け足した。
その時、わたしは自分が期待していた物を痛い程知った。
完璧で、誰が聞いてもはっきりとした承認の言葉。それをわたしは母に期待したのだ。
「そんなことないよ、あなたは自慢の娘だよ」
そんなこと、母が言っているところなんて想像もつかないはずなのに、それは私の母親じゃないのに、わたしはそんな言葉をずっとずっと母に期待していたのだ。
そのときに、本当に人生で遅すぎるくらいに、母とわたしは別の人間なんだと、彼女のお腹から生まれていたとしても、世界で一番近かったとしても他人なんだと知った
知っていたつもりで初めて理解した
わたしが求めるものは、彼女からは一生手に入らないのだと
そして手にする必要もないのだと、その時分かった
だってわたしは私として完結していて、それで良くて、彼女の承認がなくても生きていけるのだから
そして、母は母として生きていくのだから
「それでもわたしは、子どもを育てるとき自分がいいなって思えることを出来るだけしたつもりだよ、」
言い訳がましさなんて一ミリも感じない口調だった。
「あんたたちに、自分が親にされて嫌だったことはしなかったつもりだよ」
厳しく子どもを徹底して管理する祖父の元を、真夜中に母が飛び出して行ったのは、まだ学生の時だった
そして、その母に育てられた弟とわたしは門限なんて言葉を聞いたことも、勉強しなさいと言われたことも一度もなかった。
「あんたがどう思ってたかは知らないけどね」
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側にいる時に、ほとんど触れ合いというものをしない祖父が、大人になって一度頭を撫でてくれたことがあった
理由がないとプレゼントを受け取らない祖父に、「父の日だから」と無理に理由をつけて、新調しようとしていたバスローブを送ると言った時だった。
ふわっと、祖父の手が頭に乗ったとき、わたしはきっと、ぎょっとしたような顔をしていた。思わず、という言葉が似合う仕草だった。
祖父にしてはあまりにもあからさまな笑顔と、行動だった。わたしはただただ、あっけに取られた。
そして、そのあと困ったように笑う祖父の表情に、その行動に自分よりも驚いているのは祖父自身だと気付いた。
その時わたしは、この人はなんて不器用な人なんだろうと思った。
いつも皮肉と冗談ばかりの祖父の中には、言葉にも行動にも出来ない愛情が、一体どれだけ降り積もっては消えていったんだろうと、切なくなった。
それでも、それでも、頭を撫でられるずっと前から、わたしは自分が祖父に愛されていることを知っていた
わたしが誰かを愛する時と、
その愛し方が随分違っていたとしても、覚えていないくらい昔から、ずっと、
そしてそこから随分時間が経って、
わたしはその時、初めて母の人の愛し方を理解した。
それが、随分祖父と似ていたことをようやく理解した。
母と自分が他人だと理解することで、母とわたしの人の愛し方が違うことを初めて理解した。
そして、わたしがずっと母に求めていた愛情も言葉も、全てがわたしの愛し方であって、母の愛し方ではないことにようやく気付いた。
そしてそれを求める必要が、
何一つないことにも
それはわたしが誰かを愛した時にする行動で、彼女のものではないからだ。
わたしと母は違う人間なのだ。
それなのに自分と同じ愛し方を母に求め続けていた傲慢な人間は、ずっとわたしの方だったのだ。
実家からの帰り道
祖母が死んだときのことを思い出した。
母はボロボロで、食事を作る気力もなくて、適当なレトルトで食事をとると言い張った
わたしが買い物に行くと、
食事なんてどうでもいい余計な事をするなと、あんたはいつも余計なことをすると罵った。
わたしは無視して、買ってきた野菜と肉を台所で切り続けた
あんたは、あんたは、あんたは、とその間も母はわたしを罵り続けて、それに疲れると一切口をきかなくなった。
出来上がったのは豆乳鍋だった。
ほわほわとした湯気のなかから、やさしい色のスープを掬って口に運んだとき、あんなに大好きだった祖母が死んでもお腹が空くことを知った。
「ほんとにおいしい、あんたの料理のセンスは天才だね」
そう言ったのは、
聞いたこともない母の声だった。
何かを尊ぶような、祈るような声だった。聞いたこともないのに、心の底から彼女がそう言ったのがわたしには分かった。
ごめんも、ありがとうもなかった。
そこまで積み重ねた罵倒なんてまるでなかったように、ずっと降り積もった雪の合間に、春の日差しが差し込んだ日みたいに、ありがたがって母は鍋を食べ続けた。
それを思い出して、わたしは笑う
なんだあったじゃない。と、一人でそう笑った。