バトル・オブ・カスミガセキ #最終日
7月5日 第5クール/官庁訪問最終日
東京で迎える最後の朝、予定より1時間早く目が覚めた。
いつもは時間がなくて慌ただしく朝の支度をしていたが、今日はせっかくなのでシャワーを浴びてから行くことにした。
ぬるま湯で頭を流しながら、霞ヶ関の日々を振り返る。
初日からいきなり切られたA省、なかなか露骨なことをしてきたB省、ここでの”現実”を実感させられたC省・・・そして今日この地獄を締めくくるX庁。我ながらよく第5クールまで残ったものだ、十分誇ってもいいだろう。
・・・? なぜ満足している そもそも、今の私は本当に官僚になりたいのだろうか。
なにも試しに受験してたまたま合格したわけではない。キャリアになるために時間をかけて努力を重ね、やっとの思いで最終合格するに至った。
ここに来るまでの”意志”は本物だったはずだ。
─────2週間で人間は変わってしまう。
上昇志向も、国を憂う気持ちも、矜恃もすべて消えてなくなった。
代わりに得られたものは虐げられても何も感じなくなった心と、他人を蹴落すことにかける情熱と、酷なほどの実力主義に染まった歪んだ思想だけである。
この十数日でこの変わりよう、入庁して何年も働くと本当に”人”でなくなってしまうのだろう。
これよりもっと酷い日々が数十年毎日続くのだから・・・
引き返すなら今日が最後だ。
だが今更引き返すことはできない、そんなことをすれば応援してくれた人たち、何より私が合格したせいでここに来ることさえ叶わなかった人たちに顔向けできない。
シャワーブースから部屋に戻り、支度をする。
彼は今日も昼からだ。正午に内々定をもらって、そのあと懇親会でもやるんだろう。
寝顔が最後の別れになるかもしれないのは悲しいが、挨拶するために起こすというのも無い話だ。
「じゃあ、いってきます。」
丸ノ内線に乗るのもこれっきりだ。
揺られている間、無意識に今日一日のイメージをするぐらいには慣れてしまった。
『次は霞ヶ関、霞ヶ関です。Next stop is・・・』
ホームに右足を降ろし、踏み出す。すべて終わりにしよう。
いつも通りの受付を済ませ、待機室に入る。開始時間まではあと30分といったところだ。
「おはよう」
「!・・・、おはよう国士くん。」
国士くんがひとりで座っていた。この時間なら他にいてもいいはずだが・・・
「なぁなぁ、他の人たちは?」
「来てねーよ、俺ら2人だけだ。」
「残り1枠かけて”一騎打ち”とかないよね?」
「そんな話あると思うか?」
「あるよねぇ・・・”ここ”なら!」
少し笑う。だが、本当にあり得る話だ。こういう時ほど嫌な予感は当たる。
「そうなったら嫌だよね~、せっかく一緒に頑張ってここまで残ったのにさぁ」
「お前まだそんな甘いこと言ってんの?」
「まだ染まりたくないなぁ。」
「・・・ところで、国士くんはなんでX庁に?」
「病気で第1クールひとつも回れなかったんだよ、だから第2クールからも受け入れてるここにきた。」
「なるほどねぇ、私を殺して”とる”自信ある?」
「当然・・・俺は”東大法学部”で国総も”■位”だからな。」
ふふん、と得意げに笑う。
ところで、上位の中の上位くせに私と一騎打ちさせられそうになっていることは疑問に思わないのだろうか。
「それは戦いたくないなぁ・・・全部投げ出してさ、今から遊びに行こうよ。」
「いいねぇ、俺あれ食べたいわ」
「?」
「デカいパフェ!」
ばん!!!
扉が開いた。”開戦”だ。
「お二人ともおはようございます、今日が最後の官庁訪問です。薄々気づいておられるかもしれませんが・・・・」
頼むぞ・・・
「X庁では残り1枠の採用枠についてあなた方2人のうち1人のみを採用する予定です。ま、簡単に言えば内々定解禁の正午まで可能な限りの数の面接を行い、雌雄を決していただきます。」
官庁訪問のゴミ加減を煮詰めたような最終日が始まった。
「ではまず、官庁訪問を通したご自身の”変化”をお話ください。」
入口面接は人事課の青柳さんだ。
「はい、私はこの2週間でさまざまなことを学び、変化しました。1つ目は将来のビジョンです。これまでは政策などについてもふわふわとした知識しかなく、なんとなく国や社会の役に立ちたいという思いで官僚を志していました。現は・・・」
「他にはありますか?」
「はい、もうひとつは能力面です。これまでインプットは得意でしたが、それを自分のものにして使いこなすには時間がかかっていました。官庁訪問では原課で学んだことを短い時間で吸収し、人事でアウトプットするというところが多くの場面で求められたため、このようなところを鍛えることが出来ました。」
「他は?」
「精神面です。官庁訪問では・・・」
「他は?」
準備していた回答以上に掘られる。子どもがなんでも疑問に思う年頃の世のお母さん方はこんな気持ちなんだろうか。
途中詰まりつつも、なんとか食い下がった。
「わかりました。では一旦待機室にお戻りください。」
待機室に戻るも、国士くんの姿はなかった。おそらく今日は2人とも常に面接に呼ばれる感じなのだろう。もう彼に会うことはできないかもしれない。
次に名前を呼ばれ向かったのは、西崎統括のところだ。
「やぁ某さん、まぁ座りなさい。」
「失礼します、よろしくお願いいたします。」
「では早速始めようか・・・官庁訪問中にX庁で最も気になった政策を”簡潔”に教えてもらえるかな?」
「!? はい、私が最も興味を持った政策は・・・」
X庁ではほとんど原課らしい原課をしていない。なぜなら、ここでの原課面接は人事の職員以外がやる人事面接のようなものだったからだ。
思い出せ・・・少しでも聞いた政策の話・・・こんなことならもっと準備を・・・いやそんなこと考えても・・・
いいのがあった!ここにきて一番最初・・・名前はたしか
「私が最も興味を持った政策は、上田係長から伺った○○についての政策です。理由は、実行に必要になる関係省庁との協力や議員への対応、そして国民の理解というどの政策にも共通する課題とともに、○○という分野ならではの~~~という課題があったからです。」
「なるほど、では次にそれについて詳しく教えてくれるかな?」
「はい、まずその政策についても求められるアカウンタビリティや根回しについては・・・・」
「それで?」
「そして、○○特有の課題に関しては専門家の意見も参考にし、より政策や課題解決を友好なものにしていくだけでなく、SNS等も活用することで・・・」
「・・・わかった。ところで某さん、昨日は帰ってからどのように過ごした?」
「はい、今日が第5クールとはいえ、”選別”されることも十分あり得ると思い、布団に入るまで入念にこれまでの振り返りや復習をしました。」
「それを聞いて私はどう思っているか予想してみてくれないか。」
「良く言うなら”真面目でぬかりがない”・・・悪く言うなら”自信がなく一発で完全に吸収できていない”ですかね。」
「なるほど、やはり君は”惜しい”な。」
「?」
「言うなら前半だけでいい・・・悪いところは言及しなくて”も”良かった」
「ご指導いただきありがとうございます・・・実際、どう評価していただけたのでしょうか。」
「大方、君の予想通りだよ。どちらかは言わないけどね。」
もやもやした気分で、待機室に戻る。時刻は10:30、正午までに結果を出すならば・・・残る面接はできてあと1回だろう。
もちろん相手は・・・・
「改めまして、人事課長の樋本です。ここまでよく頑張ったね、まぁ座りなさい。」
「失礼します。」
「ではまず・・・そうだな、これまで官庁訪問で聞かれた質問を挙げていってくれ。」
「はい、志望動機 自己PR 官僚になろうと思ったきっかけ 原課でどんな話を聞いたか やってみたい政策 学生生活について アルバイトについて 待機室での過ごし方 これまでの経験 卒業するまでにやっておきたいこと 他には・・・」
ひとつひとつ挙げていくごとに、官庁訪問での日々が思い出される。つらかった場面や挨拶も出来ずに”お別れ”になってしまった人たち、浴びせられた言葉、酷い仕打ち・・・目の奥に浮かんで、言葉が詰まる。
「大丈夫か?ゆっくりでいいよ。」
「すみません・・・他には、働く上で意識したいことなどを聞かれました。」
「なるほど、では挙げていってもらったものについてひとつひとつ答えていってくれるかな? まずは志望動機から。」
「!?・・・はい、私が国家公務員総合職を志望した理由は~~~で、中でもX庁を志望した理由は・・・」
「じゃあ次、自己PR」
「私の長所は・・・・」
これまで答えてきた質問とはいえ、やはり厳しい。
質問数の都合上深掘りはされないが、樋本課長の鋭い目つきが私の心を削っていく。
「じゃあ最後に、働く上で意識したいことを教えてくれ。」
「はい、私が働く上で意識したいことは、”相手の考えを読み取る”ことです。」
「なんで?」
「政策には、様々な関係者がいます。キャリアとして働くとして、政策を創っていくために他の職員と協力することはもちろん、政策の実行に携わる職員から現場のことをしっかり教えてもらわなければいけません。また事業を進めていく上で業者との付き合いは必須ですし、法を変えるなら議員に話を通さなくてはなりません。そしてなにより、実際に政策の影響を受ける国民にしっかりと意図が伝わらなければ、空回りしてしまうおそれがあります。」
「・・・各関係者が何を考え、どのような見通しを持って臨んでいるのか、何を望んでいるのかが理解できなければ、的外れな政策になってしまいます。なので、私は相手の考えを読み取る、しっかり傾聴を怠らないようにして仕事に臨みたいです。」
「なるほど、君の考えはよくわかった。」
「・・・ところで話は変わるが、君は”出世したい”という気持ちが強いね?」
「それは・・・」
「いや、悪いことではない。だいたいそうでなくてはこんな試験受けないだろう。」
「はぁ」
「そこで、だ。私はこの際はっきり言うが、君はどんなに頑張っても長官にはなれないよ。」
「そんなの」
「”やってみないとわからない”か? いや、君はわかっているはずだ。」
やめろ
「なぜなら・・・」
言うな!
「なぜなら君の大学は東大ではないからね。」
「・・・X庁は学歴や経歴にとらわれず人材を登用するとパンフレットで拝見しましたが」
「”X庁は学歴や経歴にとらわれず人材を登用”している。だから、君は今ここに残っている。申し分ないパフォーマンスだった。」
「だったら!」
「”登用”した後は、どうかな?・・・まぁキャリアとして扱うことには変わりない。ノンキャリアでは届かぬところまで”は”いけるだろう。」
頭の奥の奥ではわかっていた。仮に採用してもらって、その後それだけがんばって仕事に打ち込んでも”頂点”には至れないことぐらい。
だが納得したくなかった。同じ試験に受かったのに、大学の名前など些細なことでキャリアパスが決まってしまうことなんて受け入れたくなかった。
塵ほどの希望も、たった今ここで消え失せた。
「まぁ、そんな顔するな。私は君を買っているつもりだ。どの面接の評価シートでも君は褒められていたぞ。私も直接、面接をして君の長所はよく見たつもりだ。」
「ありがとうございます。」
「努力を継続できる根性、コミュニケーション能力、そして人柄・・・どれも官僚として”伸びていく”資質だ。特に、君は前回『至らぬところがございました』と自分の不足しているところを素直に認めた。結果がかかっている場面でこれをできる人間はそういない。」
「そこまでいっていただけるとは光栄です。」
「だが、足りないところもある・・・それは絶対的な”知”の不足だ。いや、勘違いしないでくれ。何も学力がどうこうといっている訳ではない。試験を突破した人間にそれを言うのはナンセンスだ。」
「ではどういう・・・」
「少しズレているかもしれないが、”教養”というかな。そういう年月を重ね少しずつ育っていく知や経験が乏しい。君は伸びる資質があるが”土台”が幾分不安定だ。」
「はぁ」
「その点国士くんは真逆だな。席次も高いだけでなく留学をはじめとした豊かな経験、高いレベルで育てられてきた知をもっている。頭の回転も抜群にはやい、文句なしに”優秀”な人材だ。すぐにでも活躍できるだろう・・・なにより”東大法学部”だ。一方、先に述べた”伸びる資質”はあまり良いとは言えない。君も話していて思うところがあったのではないか?」
「まぁ・・・」
「そこで、だ。最後の質問として、『君が人事課長ならどちらを選ぶか』を聞きたい。残る枠は1つ、そして正反対な器が2つ。君ならどちらを取る!」
私も”ここまで残った”人間だ。自分で言うのも恥ずかしいが、ここがX庁でなければ既に内定が約束されていてもおかしくはない・・・なので、この質問の”意図”がわからない訳ではない。
国士くんなら即答するだろう。
私は言葉が出なかった。
もう自分の中の意志も目標も気力も2週間かけて空っぽになってしまっていた。なにより、情けないが”やっていく”自信がなくなってしまったのだ。
怖くて仕方がなくなってしまった。
酷い環境が怖いわけではない、ここで働いていく内に全く別の人間に・・・いや、”人”でなくなってしまうことがなにより怖かった。
もったいないと言えば嘘になる。
だが・・・
「・・・、私ならば────────」
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「ホームは・・・合ってるな。お土産も買うたし、忘れ物もない。後は新幹線を待つだけか。」
スーツケースに腰をおろし、気長に待つ。東京ともあと15分ちょっとでおさらばだ。
「めりあちゃん!!!」
「!?」
「ぁえ・・・?なんで?」
「部屋に戻ったらきれいに荷物がなくなってたからびっくりしたよ!2週間も一緒に過ごしたのに、何も言わずに行くなんて酷いじゃないか!」
「懇親会とかないの?」
「うちの省はないんだよ!」
「・・・そうか、ご覧の通り私は帰るよ。内定おめでとう、ケーキは結局あげられへんかったなぁ。」
「国士から聞いたよ・・・なんであんな回答をしたんだ」
「国士くんはなんで私の受け答えを?」
「課長から言われたって・・・そんなことはいい、なんで」
「嫌になったんや、ここでやっていくのがな。」
「その裏にいろんな気持ちがあるのはわかる・・・でも」
「わからへんよ!!・・・わかってたまるか、非の打ち所がなくて、ガキん時からエリートとして育ってきて、東大も出て、それなのにいい人で・・・っ」
「でもあんなに意気込んでたじゃないか、落ちてしまった人の分もって」
「それが身の丈に合わん考えやった・・・私が落ちれば良かった、1次で点数足りんくて、2次すら届いてないのに『あと数点で受かってた』って思えるようなおめでたい頭ならよかったんかもしれん。」
「でも」
「・・・あんたは、官庁訪問で知り合った人間の名前全部覚えてるんか?」
「お、覚えて・・・ないや、全員は」
「私は覚えてるよ 栗木さん、佐藤くん、中瀬さん、森田さん、あいりちゃん、りなちゃん、みずなちゃん、伊野くん、大岡くん、国士くん・・・ダイキくん」
「めりあちゃんのことは忘れないよ」
「忘れるよ。1年、1ヶ月、1週間・・・いつかわからんけど、絶対に忘れる。その違いが、勝者と敗者の違いや。」
「もったいないとは思わないの?」
「もったいないのはこっちやってわかってんねん! でも、もう・・・ごめん、最後やのに・・・」
「・・・これからどうするの?」
「適当なとこに就職するか向こうで木っ端役人でもやるわ。どちらにしても・・・もう東京に来るつもりはない。」
「そっか、じゃあお別れかな」
「そうやなぁ」
「また会えるかな」
「もう会えへんよ、”東さん”」
お別れだ。
もう名前でなれなれしく呼ぶことはできない。来年から彼は”殿上人”、どう転んでもこれから一生”対等”になることはない。
「2週間ありがとう、さよなら」
「・・・さよなら、標準語上手だったよ。」
「あはっ、嫌みぃ」
『新幹線をご利用くださいまして、ありがとうございます。まもなく、■番線にのぞみ○号が到着いたします────』
荷物を全部持って、私は戦場を去った。