映画感想「花束みたいな恋をした」

お久しぶりです。さっきアマプラで映画「花束みたいな恋をした」を2年ぶりくらいに見ましたので感想を改めて書かせてください。

私は大好きな映画ですね。あの映画ってすっごく人生なんですよ。

あ、ネタバレありますんで、ちょっと間あけますね











どうですか???







もうネタバレOKの人しかいない?







寿司打が仕事のおばさん?







よし、始めましょう。

そもそも、日本の恋愛映画へのアンチテーゼでもある作品なんですよね、この作品が。「君の膵臓をたべたい」だったり、「8年越しの花嫁」だったり、「僕は明日、昨日の君とデートする」だったり、日本の映画には「どうしようもない運命に引き裂かれてしまう男女の切ない恋」が描かれることが多いです。

そんな中で、この作品には「どうしようもない運命」はひとつもないんですよね、言い訳の要素がないというか、ちゃんと理由があって好きになって、ちゃんと理由があって別れたんですよね。

彼らの恋はリアルなんです。映画の主軸の要素として「サブカル」があるとは思うんですけど、正直それはなんでも良い要素だとは思うんですよね。テーマの一つとして「メインカルチャーに対するサブカル好きの目線の共有」みたいなところは「リアルな恋愛映画を作る」というところよりは優先されていないように感じるというか。

別に「サブカル」の要素が「スポーツ」でもいいというか、ここの部分で毛嫌いしちゃった人もいるのかなとは思うんですけど(サブカルの主人公たちの映画が売れて恋愛映画のメインストリートに乗ったのは皮肉ですね)。大切なところは「共通の趣味で仲良くなった2人が次第にすれ違っていき別れるけど、それを肯定できた話」を映画にし切ることができた。というところなのかな。と思います。

そうやって感情移入しながら見ていると、改めて「恋愛」の面白さに気づけるんじゃないかな。と思います。

恋愛って結局あの映画と似たような形なんですよ。最初はほぼ偶然みたいなところから始まるんです。そうじゃないですか?

で、仲良くなっていって、他の人には話せないようなことも話すわけなんですよ。彼らがサブカルだったように、皆さんも自分の趣味についての持論だったり人生哲学だったりを大切な人には話しませんか?

で、次第に仲良くなったからこそ見えるものだったり、時間が経つにつれての変化だったりで、見過ごせない部分が出てくるんですよね。若者の恋愛はその傾向が大きいです。

で、別れるんですよ。(すみません自分別れたことしかなかったんで知らなかったんですけど、この世には結婚というシステムもあってそれだと別れないらしいです)

閑話休題。ちなみに皆さんが別れ話したのってどこですか?あの映画ではジョナサンでしたけど。

自分はもっぱら公園ですね。2回ほどそれっぽい話をしたことがあったんですけど、1つ目は春の公園で、2つ目は夏の公園でしたね。皆さんのはどこなんでしょうか。気になります。

まあそんなこともあって、別れて、別れ話のあとは逆に清々しい気持ちで話すわけですよね。泣いてしまうタイミングもありますけど。

で、ここからが自分がこの映画でなんでこんなこと思いついたんだろうと感じたところなんですけど、これに「花束みたいな恋をした」ってタイトルつけてるんですよね、すごくないですかこれ。

いかにも大学生の、悲劇的な運命なんてひとつもないような、彼氏はモラハラ気味に叫ぶし、彼女は浮気するしでお互いに悪いところがあって、結局やってることは世界を変えるみたいなそんな大きなものじゃなくて、ただ、一つの町で、すごい人格者ってわけでもないような普通の人たちが、誰かに邪魔されるわけでもなく普通の恋愛をして、どちらかが悲劇的にいなくなってしまうわけでもなく普通に別れてるだけ。

それが「花束みたいな恋」なんです。

すごくないですか?

たまたま菅田将暉と有村架純が演じてるだけで、実際はどこにでもいるような若者の、ただの4年間の恋愛が「花束」なんです。

悲劇的な運命がなくてもいい。世界を変えるような使命がなくてもいい。

ただ、一生懸命に好きになって、頑張って、別れて、それが恋愛なんです。

インスタでキラキラした写真あげたから素敵とかじゃなくて、ただ、彼らが、一生懸命にやったもの、それが「花束みたいな恋」なんです。別れて終わってしまったものにも、「花束みたいな恋」と言えるのです。

ぜひ見直してみてください。恐ろしいほどに主観で、それでいて真っ直ぐと「若者の恋愛」を映した作品ですよ。

気狂いの人はお願いします。気を狂わせて何かします。