チヴィタ・ディ・バニョレージョ
2017年4月上旬、「天空の村」とも「死にゆく町」とも云われるイタリアのチヴィタ・ディ・バニョレージョに行った。ローマの北約130キロのところに在り、近くにオルヴィエートの町が在る。
朝8時半にローマのホテルを専用バスで出て、ティヴォリに在るハドリアヌス帝の別荘「ヴィッラ・アドリアーナ」を見学。その後北上し、途中アグリツーリズモで昼食を済ませ、午後3時ころバニョレージョの町に着いた。
ここでローカルミニバスに乗り換え、展望台近くの駐車場まで行く。展望台からの眺めは絶景だった(上掲の写真)。この景色を見るためにわざわざやってくる人も大勢いるらしい。
チヴィタ・ディ・バニョレージョは海抜443メートルの凝灰岩の台地上に在り、2500年以上も前に先住民族のエトルリア人によってつくられたという。以後、長い年月の間に起きた地震や風雨によって村は崩落を繰り返し、結果として現在見る姿になった。
写真に写っている橋を渡って村まで行く。昔は道が通じていたが、今ではこの橋が唯一のルートになっている。橋の長さは約300メートル。
村の入り口手前の坂は急こう配でかなりきつい。で、門の前で一息入れていると、爆音を轟かせ大型バイクが勢いよく駆け上がってきた。村の住民に食料品や生活用品を届けるバイクだ。車体を見ると「YAMAHA」と書いてある。日本のバイクはここでも活躍していた。
1504年に出来たという門をくぐり、村の中に入っていく。
門を通り抜けたところは小さな広場になっており、広場に面してレストランやプチホテル、みやげ物店が並んでいる。
すると、ガイドさんがある建物を指さして、” あそこに黒い扉が見えますが、扉の向こうは断崖絶壁です。建物は崩落して扉だけが残ったのです " と説明してくれた。
少し行くと村の中心である教会前の広場に出た。教会はサン・ドナート教会で、7世紀にロマネスク様式で建てられた。祭壇を含め全体が簡素な造りで、静寂が辺りを包む。
この後、自由解散となり、一人で村を見て回る。狭い村なので小一時間あれば十分だ。迷子になる恐れもない。以下は村の点描。
この写真の背後は行き止まりで、そこの石垣に腰を下ろして暫時休憩…。春の日差しが心地よい。人の姿は全く無い。耳を澄ましても物音ひとつ聞こえない。で、これが「死にゆく町」か、と思わず思った。
その後、村の入り口の広場まで戻った。
見学を終え、門を通って外に出る。と、すぐそこに崩落の跡が見え、一気に視界が開けた。「天空の村」と言われる訳がよく分かる。
橋を渡って駐車場まで戻ったが、最後の登りのだらだら坂が予想外にきつかった。十歩歩いて立ち止まり、また二十歩歩いて立ち止まるという調子で、やっとの思いで駐車場のある展望台の下まで戻って来た。最後に振り返りると、チヴィタ・ディ・バニョレージョが、最初に見た時とは違う感じで迫ってきた。