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本音の賞味期限ー「紅の豚」


ポルコ・ロッソ
彼は飛行艇乗り

かつて空軍のエースパイロットとして活躍し、今は空賊相手の賞金稼ぎ

ブタの顔をして暮らしています




この映画

なぜ彼は豚なのか?とか
彼の魔法はどうやったら解けるのか?
・・・なんてところには
全く視点が向いてなくてw


ただ、思う通りに生きていく
彼の姿が描かれてる





例えば。
エンジン不調のままカーチスとやり合い
大破した愛機を持って
ポルコはミラノに向かう



銀行に立ち寄り
お金をおろし 飛行艇のローンを支払うと
カウンター越しに職員が言います

「うらやましい
 私もこのくらい稼いでみたいですな

 いかがでしょう
 愛国債権などお買い求めになって
 民族に貢献されては」



ポルコは切り返す

「そういうことはな
 人間同士でやんな」




続いて
下町の武器工場へ向かった彼

注文品を受け取ると
工場の下っ端が 他の商品も勧めます

「いつもの品だけでいいんですか?
 高性能焼夷弾とか徹甲弾も入荷してますよ」


「俺たちゃ
 戦争やってるんじゃねえんだよ」

ポルコの後ろ姿を見送り
若いボウズは
親方に問いかける

「戦争と賞金稼ぎと
 どう違うの?」




親方の答えがまたシンプル!
「ああ そりゃあ
 戦争で 稼ぐ奴は悪党さ

 賞金稼ぎで 稼げねえ奴は
 能ナシだ」




・・・俺は好きな飛行挺で稼いでる
あんたらのように
貯蓄や保険や年金で暮らす世界には生きちゃいない


・・・好きなことで稼げないヤツは
持てる能力を活かしてないだけさ




才能を活かし生きることを
知っている男たちの言葉ですね



ポルコは 何においても
人生に求めるものが明確
そしてシンプル。



軍を辞めた飛行挺乗り
・・・戦争じゃない 殺しはしない

オフは アジトの無人島で気ままに過ごす
ワインとラジオ
好みのタバコ(ジタン)があればOK



飛行挺を降りれば
・・・白い背広に赤いネクタイ
トレンチコートとボルサリーノのソフト帽




好きな時に飛び
好きな場所で過ごす自由

その自由を求める代わりに
派生するだろう不自由も
受け入れてる

(言い方を変えるなら
「気にしてない」
  ↑
究極のスルー、我が道を行く)

その不自由を象徴するのが
「豚」


た・だ・ね

彼が
魔法をかけられて、ではなく

自らに魔法をかけて 豚になったのです。
…と、言い切って映画を観ると
違う側面が見えてきます



仲間を助けられず
戦いに 人間に嫌気がさした男は
自ら豚になった

…いや、ニンゲン辞めたら
たまたま豚になった?(幽霊かw)




そんなポルコが 繰り返し口にする
「いい奴は死んだ奴らさ」

彼が 戦争で死んでいった友を思い 口にする言葉は
格好良さげだけれど
もれなく罪悪感付き



あれ?
本音で生きてる男の筈が?

豚になったら
生きたいように生きるようになれたのか?何とも切ないですね。

この「いい奴は死んだ奴らさ」を聞くにつけ

彼が豚の姿から戻らないのは
自身のネガティブ思考MAX超え(?)した姿にも見えてきます。




飛行艇になら
空飛ぶことになら

マジにも
必死にも
欲深にもなれるのに

…狂気の“テスト”本番飛行の
リスクも命も
何にも顧みない飛び込みっぷりたるや
狂気としか呼べません。

薄っぺらい情熱なんかじゃ
太刀打ちできないはず。



なのに。
そんだけ熱くなれるのに。

…いい年したおっさんが
「昔はよかった」と語るのは まぁ当然ですが

彼は死んだ友を上に
自身を下に観てる


仲間たちを持ち上げる様は まるで
ランチの後に
 「(会計は)私が」「いや、私が」と
譲って譲らない昭和オバちゃん達に見えてくるの🙄
(↑いやポルコはオジちゃんだけどね)



「いい奴は死んだ奴らさ」と
友と己を分けて観ている限り

豚のマスク?鎧?着ぐるみ?は
捨てられないのかも。





罪悪感はそれ自体、悪でも何でもなくて。
あってもOKなくてもOK

ただ無い方が身軽よね。

もう人殺しは嫌だ!とニンゲン辞めた男が
飛ぶには
豚になるしかなかったのか




そんなポルコの罪悪感を 真っ向否定するのが
束の間のパートナー

大破した愛機をミラノで甦らせ
アドリア海に戻ってきた
ポルコとピッコロ社の設計主任フィオ



アジトで待ち伏せ 地上でケリをつけようとする空賊共に
フィオは
「飛行艇乗りとは何ぞや」を語り
カーチスとポルコ
一騎討ちの決闘に持ち込みます



彼女の仕事に対する情熱と
飛行艇乗りへの愛情

そして“アドリア海のエース”マルコ・パゴット大尉への
尊敬の念溢れる告白で。
…自分自身と ポルコの飛行挺のローンを
掛け札にするのですね



その告白は 本人も後から
「本当はとっても怖かったの」とガクガク震えるほど、実は恐いことだったりして
若さ故の情熱、というより狂気?



ポルコは フィオの真っ直ぐさを好ましく思い
「おめえはいい子だ」と認めるけれど
住む世界が違うと知っている

ポルコはポルコで
己の人生で 大切なものを 本当に大切にしたいからこそ
フィオをジーナの船に放り込むのですね。

ジーナの一言が象徴してる
「ずるい人。いつもそうするのね」



その後、豚という「不自由」を
持ち続けたかどうかは
映画の中じゃ明かされないけれど
飛ぶ姿だけは描かれる


罪悪感は遅すぎる本音。
そして本音は
使用期限が決まっている。
一瞬。

その場で出せなきゃ、何年経っても同じ。
発酵させても旨味はないぜ。

ここまでくると
最高のこじらせ男じゃないの?マルコ君?



だからね。
相手や周りへの賞賛は ほどほどに。
自分を下にみるのもほどほどに。

だって、同じく空を飛べるのですから
豚だろうと人間だろうとね。


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