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彼なりの、自由への道ー『僕と魔法の言葉たち』LIFE ANIMATED




確かにドキュメンタリー、だけど
よくある実録ドキュメントというより

言葉をなくした彼の
言葉を得るまでの間の
彼の頭の中を見せてもらったような感覚。


非言語に生きる人ほど
感じるものがあるねぇ、これは。



「ジヘイショウ」という区別は
一度取っ払って観て。

(あらすじ)
サスカインド家の次男オーウェンは、2歳から言葉を失い、6歳まで誰ともコミュニケーションを取れなくなってしまっていた。失意に暮れながら過ごす父と母は、ある日、オーウェンが発する意味をなさないモゴモゴとした言葉が、彼が毎日擦り切れるほど観ていたディズニー・アニメーション『リトル・マーメイド』に登場するセリフであることに気づく。
公式サイト
http://www.transformer.co.jp/m/bokutomahou/


…ずっと無口だった息子の口から
ディズニーアニメのセリフが飛び出した時の
パパのうろたえようが
泣ける(T ^ T)


オーウェンは
毎日のように繰り返し観た
ディズニーアニメで


世界を
目の前の現実を
認識していた。

ディズニー作品は、分かりやすい分だけ
「ヒーローって気分じゃない」
という彼の気持ちも
分かる気がする。

何もかも覚えてしまうほど観たから
主役より脇役に意識がいくのか…
…彼の話しぶりを見ていると、

主役と同じだけ、目に焼きついた
脇役たちに
自分自身を重ねているのかな、とも思う。



それは、現実世界で
相手が分かる言葉を話せない(だけの)自分が、
みんなが分かる言葉だけが飛び交う
メインストリートを歩く時に感じる
違和感のように


“ジヘイショウ”という言葉は
区別をするには便利だけど。

観てるこちら側からすると
限定されて、とても狭苦しく感じる。

父と母、そして兄は
それぞれに、想いがあり
してやれなかったことを悔やんでる

そんな想いを知ってか知らずか
…いや、きっと知っているのだろう。
周囲に分かる言葉で、それを伝えたりはできなくとも
彼だけの世界で。



オーウェンが一度失って、得た言葉は
彼なりの自由への道




彼が「脇役たちの守護者」となるのは
彼自身が、彼のままで“主役を張る”からなのよね。

脇役だって、それぞれ主役。

脇役たち自身が持つ、“我が言葉”でもって
我が道をいく!その過程を
私たちは見ているだけ。



劇中に登場する短編
オーウェンが紡いだ物語
「迷子の脇役たちの国」が、
見事なアニメーションになって
劇中にも登場します。


Youtubeでは
特別映像として公開されてる
(そこはかとなく、高畑勲テイスト♪)
彼の世界をよく表している。



音楽も素敵です。
新しい時代の「ファンタジア」を見るようだわ


…私にとって、ディズニーといったら
「バンビ」と「ダンボ」と
「ファンタジア」だけど
これ観たら「ノートルダムの鐘」と「ライオン・キング」が観たくなったわ笑

(画像はwebよりお借りしました)

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