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人生にもしも...なんてないけど ⑯母帰宅するも気配なし 非日常の日常

葬儀屋さんが病院に来て母の遺体は無事、家に帰ってきた。
が、仏壇の前に敷いた布団に寝かされた母は、亡骸だった。
病院の霊安室に行く、あの廊下の時点で自由になった母の意識はどこかに行っていたのかもしれない。
葬儀屋さんは、タオル数枚と、コップに水を入れたものと、団子の粉を練ってお団子を5,6個準備するように言った。
「こんな大きさでいいですか?」
「ええけど、もう少し固めに」
「はい」っと準備している間に、葬儀屋さんと男性陣でタオルで包んだドライアイスで遺体の保存対応?。
その後、お通夜や葬儀について打ち合わせ。
葬儀屋さんはお通夜を葬儀場で一緒にすることを勧めていたが、家に帰りたがっていた母なので家から送り出してやりたいと、家でお通夜をすることにした。

とりあえず置くスペースがある田舎家、このとりあえず置きを片づけなければ。
幸い、翌日は友引なのでお片付け日にすれば、いざとなれば、2階の空き部屋に置き換えればいい。
打ち合わせが終わったら23時近かった(葬儀屋さんも大変ですね...)。
不思議と空腹感はなかったけれど、何か食べないとという惰性で、残り物で軽く済ませた。
以前、祖母のお通夜の時には、死人が寂しがるからと親族がそばで一晩中起きていたようだが(子供はいいからと寝たけど)、今回は?もしかして2日徹夜?
父に「今夜は徹夜するん?」と聞くと
「そういや、あの時は起きとったよの~。けど、(普通に寝ても)ええじゃろう」と言った。
母の亡骸は、物のごとく、静かに、何の気配も放つことなく、ただそこにあった。
(連絡がつかなかった兄のところに呼びに行っていたのかもしれない)

そして、特に話すこともなく、
「ご飯できたよ」とか
「お風呂、次入る?」と必要な言葉だけを交わし、各自の日常を終えた。

約16か月前、コロナ禍の為、母がショートスティ利用から特別養護老人ホームの一時入居に切り替えた時、週末自宅で過ごす時用にレンタルしていた介護ベットを返却したのだが、広くなった部屋を見る度に母の存在がなくなった様で寂しかった。
今はまだ実感が伴わないだけなのか、非常に冷静な自分が意外だった。

日付変わって布団に入ったが、まんじりともせず、やっとうつらうつらした時に、ガタガタと父が2階に荷物を運ぼうとしている音で目が覚めた。
時計を見ると6時。
イラっとしながら物音のする方に行くと、父の背丈より高い”ぶら下がり健康器具”を1段1段運んでいる。
「なにしょうるんねっ、朝早くから...。」
「(見りゃわかろうが)片づけんと、どうするんやっ」とイラっとした口調の父。
「そんな大きな物運んだりは子供らでするよ。転げて怪我でもしたらどうするんっ(続けて父もなんて困るよ)」と言い返す。
「じゃが、明日(の通夜)までに片づけんといけんじゃろうがっ」と父。
「だったら、この出しっぱなしの自分の物の整理整頓とかすればいいでしょっ」

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