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「何もない」ことが一番の助け

 子供の頃から、私は身体が弱く、精神不安定だった。
 体調不良はしょっちゅうあって、ちょっとしたことでパニックになったり、癇癪を起したりした。
 随分と周りに迷惑をかけたものだ。

 

 一時はこのままだと社会生活も出来ないだろうと悲観的になっていたが、訓練しながら出来る限りのことをやり、何とか無事就職出来た。
 経済的にも安定し、身の回りの整理整頓や、自分自身の世話も出来るようになった。

 私は、自分を愛してくれた人々に恩返ししたいとずっと願っていた。
 そしてようやく独立出来たのだ。

 

 今こそ、その時だ。

 

 そう思った私は、家族や教会の仲間達に何か悩みがあれば積極的に相談にのり、また、何かあれば時間と体力を惜しまずに手伝った。

 

 けど、手伝えば手伝う程、限界があることを知った。
 それは立場上の問題だったり、距離的な訳であったり、金銭的な面であったりと、理由は様々だった。

 

 助けたくても、助けられない。
 そんな相手はいっぱいいた。

 

 とても悔しかった。

 

 そんな中、ある時になって、このようにも言われた。

 

「何もしなくて良いよ」
「心配しなくて大丈夫」

 

 正直、これを聞いてすごくガッカリした。
 せっかく成長したのに、もしかしたらまだ皆の足手まといになっているのか。

 

 これが悲しくて悲しくて、母と先輩に相談したところ、同じ答えが返ってきたーー

 

「『何もない』ことが一番の助けだよ」、と。

 

**

「あなたが何事もなく無事でいること、
それが一番大きな助けだよ」**

 

 最初は納得いかなかった。
 それじゃああまりにも冷たく、自己中心なのではと思ったからだ。

 

 でも考えれば考える程、徐々に飲み込めるようになった。

 

 確かにそうだ。

 

 私自身としても、別に愛する人達が特別何かしてくれなきゃならないなんて思っていない。
 時々近況を確認する時も、相手は日々無事に、幸せに楽しく過ごしていると知っていればそれで充分なのだ。

 

 私達は皆、一人一人の生活がある。
 それぞれの仕事や趣味、人間関係がある。
 人生の計画があって、一定のルールの沿って、日常が動いている。

 

 けど、この秩序を壊す事件が時々起こる。
 それを「事故」と呼ぶ。

 

 「事故」は自身に起こった場合のみならず、親しい人がそうなった場合も巻き込まれてしまう。

 

 だから「何もない」でいること。
 それだけで、実はお互いの何気ない日常をしっかりと支えているのだ。

 

 自分を大事にすることはとても重要だ。

 

 「相手の為に何も出来なくて悔しい」ーーそういう時こそ、身の回りのことをよりしっかりやるべきだろう。

 

**助けられるようになった瞬間

いつでも駆けつけるように出来る為に
コンディションを整えていることでもあるからだ。**

 

 

 こういった助け合いの形もあったのだ。

(はてなブログ同時掲載:https://www.gifteddecoboko.com/entry/2019/12/10/080000)

(画像素材元:https://pixabay.com/ja/)

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