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教会に、「病の百貨店」と呼ばれる程、たくさんの病気を患っていた牧師先生がいた。 頭からつま先まで、健全な部分はほぼ何一つなく、挙げ句の果てには妻にも、家族にも見捨てられた。 その期間は何と7年。 病気が完全になるまで、7年もの寂しい日々を過ごしてきたのだ。 その後、すっかり健康になったその方は、今や聖徒さんの「心のカウンセラー」のような存在になった。 信仰の問題はもちろん、身体の具合等についての訴えも親身となってしっかりと聞き入れた。 過去にたく
「〇〇の恥にならぬよう頑張る」という言葉をよく聞くが、私の場合は「未来の自分の恥にならぬよう、今を一生懸命生きる」、だ。 未来の私が今の自分の姿を見て、「あの頃はよく頑張ったなぁ!」と言えるようにする為だ。 思えば、楽な日なんて、一日も無かった。 自分を追い込み過ぎて、死んでしまうのではないかでさえ感じた。 誰よりも努力し、誰よりも心を痛み、誰よりも涙を流し…… そんな風に生きてきた。 毎瞬毎瞬「自分はもうダメだ」と思った。 そう思いながら
力が出ない。 頭がくらくらして、何かを考えることですら出来ない。 特に眠いという訳ではなく、横になっても寝る気になれない。 やるべきことが残っているのにやれない。 早くこの状況から抜け出せないとーー そんな時は、焦らず、「何とかしよう」と思わず、 「何もしない」をしよう。 疲れている場合、大抵は「自分を構い過ぎ」ているからだ。 「○○をしなきゃ!」と自分を追いつめたり、 「早く○○をすまそう!」と自分をせきたてたり、 「何で○○が出来ないの」と自
「継続力がある人は、やる気が長続きしないことを知っている」という言葉を聞いたことがある。 やる気は頼りにならないものだ。 いざという時に限って出てきてくれない。 ようやく出てきたと思ったら、今度はすぐに切れる始末。 何度裏切られたことか。 でもそれもそうだーー 私達は四六時中元気ハツラツではいられない。 いわば「やる気」は非日常、不自然な状態だ。 不自然なことを維持するのは難しい。 しかも、それを強調しすぎると、通常状態に戻ったとき気が
頑固な人は、強そうだ。 芯があって、譲れない思いがある。そんな風に見えるかもしれない。 けど、そうではないーー その裏には怯えている心が隠れている。 一度決めたら誰がなんと言おうとそれを変えたくないのは、怖いからだ。 「未知」に怯えて、一歩踏み出す勇気が出せないのだ。 損するかもしれない。 傷つくかもしれない。 その道は、「みんな」に合っているかもしれないけど、自分には合わないかもしれない。 ...... あれこれ考えていくうちに
ツイッターで、こんなものを書いたことがある: 私を傷つけた人達は、その傷による私の人生の不調の責任を一切負わない、いや、負えない。 そう考えると、自分が傷つかないようにするのが如何に大事かが見えてくる。 考え過ぎないこと、辛い思いを忘れること。 難しいかもしれないけど、自分を守るスキルは是非とも身につけておきたいものだ。 他人をコントロールすることは出来ない。 誰かが私達にひどくすることも、止めることは出来ない。 それでもーー 私達は傷