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パンとフィルムの歌詞解説記事


はじめに

つい先日、アイマス楽曲総選挙の動画にてこの曲を知りました。ミリシタ自体はサービス開始時からやってたのですが、如何せん音ゲーが時間泥棒過ぎて途中からプレイをやめてたのですが、この曲を知って電撃が走りました。
ゲームに実装されておらず、いわゆるB面曲にも拘らず総選挙にで3位につけるという偉業にふさわしいクオリティでした。今回はこの曲の歌詞について解説を書いていこうと思います。

なぜ解説を書こうと思ったのか?

端的に言うならば、既存のパンとフィルムの考察記事が幾つかありますが、そのどれもが解釈違いで、そうはならんやろ。と突っ込みたくなるような内容ばかりだったからです。まぁ解釈は人それぞれですので殊更否定するつもりはありませんが、とりあえず自分の解釈はこうだと主張したいがためにこの記事を作りました。ちなみにこの記事では解説を書いてます。考察と解説の違いは各自ググって調べてください

パンとフィルムのテーマ

皆さんもお分かりの通り、この曲は失恋ソングです。しかし普通の曲と違うのは恋の対象が「年の離れた兄」もしくは「親戚の年上の男」ということでしょう。もしかしたら「父親」という解釈も可能かもしれません。幼い女の子が抱いた恋を成長した今振り返るというのがこの曲のテーマとなっています。何故そういう解釈に至ったかは順番に歌詞を書いて説明していきます。

1. 金木犀だった~聞こえた気がした。まで

金木犀から始まる印象的なAメロです。金木犀というのは非常に匂いの強い花を咲かせる木として有名で、その匂いがした=金木犀が咲く秋の話ということになります。"左手は誰かをを探していた"と歌詞が続いているように既に失恋していることが示唆されています。またその直後に"桜だった"と時系列が桜が咲く春まで一気に飛んでいます。同じように失恋を思わせられる歌詞が続いてます。Aメロ内で季節が飛ぶのは失恋してからある程度の時間がたっているという演出かと思われます。日常を歩む上で過去に引きずられることもなく、時々思い出すくらいの失恋経験まで既に昇華してるのでしょう。

2.暮らしのなか~君がいて。まで

早速タイトルが出てきました。パンです、しかも”パンの湯気”です。しかしタイトルにもなってるのにパンが出てるのはこの一箇所だけです。それに"椅子の足に"という言葉もいまいち文意を掴めません。
実はこの節が非常に重要なのですが、歌詞の中核まで行ってしまうので後に回します。

3.サビ  嗚呼ありふれた~ サビ終了まで

そのまんまなので特に解説することはないと思います。重要なのは”幼いあたしを見つめる おとなの瞳が好きだった”  だけでそれだけ把握すれば十分です。この歌詞を見れば恋の相手は年上だということが分かります。

4.天気雨が~抱きしめればよかった

1番Aメロと同じように失恋を説明するパートなのですが”あと一度抱きしめればよかった” とあります。歌詞の一人称である女の子と恋の相手とこれまで複数回抱き合った経験があることが分かります。

5.暮らしの中~きみがいて

来ました。重要パートです。1番の歌詞と並行させるように始まりと終わりが一緒です。違いは”シャツの襟””靴の紐に” です。これらも歌詞の重要な要素でして、後でまとめるので覚えておいてください。

6.サビ 嗚呼くだらない ~サビ終わりまで

特にいうことない内容です。そのまんま読めばいいでしょう

7.Dメロ 時はいずれ~ 君を残してるまで

これも特にいうことないです。”最後の夜に交わした 最後の言葉は消えないままで” とある通り、別れの瞬間が夜だったと分かる程度でしょう
これ以降の歌詞は特に解説の材料にならないので省略します。

恋した相手は誰だったのか?

これまでの歌詞を読んだらある程度察せられるでしょう。年上の男性であり、何度か抱きしめあった仲であり、最後の夜に別れを告げる相手です。
学校の先輩というのも考えられなくないですが、それにしては随分と親しい仲だと思われます。"想い、すべて言葉に出来るわけないな"とある通り、そもそも告白すらしていないと思われます。
そもそも歌詞に暮らしの中とある通り、一緒に住んでる男性です。つまり最初に書いた通り「兄」「親戚の年上の男」もしかしたら「父親」が恋の相手だと解釈するとピタリと一致します。親類に叶わぬ恋をした女の子の歌詞なわけです。

主人公の女の子はどんな子だったのか?

おそらくですが歌詞の女の子は幼い女の子、それも未就学児の年齢の子になります。なぜその結論に至ったのかこれから書きます。
前述の歌詞で重要だといった個所を覚えているでしょうか?そう、暮らしの中で~という一説の中にある「椅子の足」「パンの湯気」「シャツの襟」「靴の紐」です。
これらは一見すると意味の分からない言葉が並んでるように思います。しかし幼い女の子の視点から見ると視点を変えれば歌詞の意味が分かります。
「椅子の足」ですが、普通の大人なら「椅子の上」もしくは「椅子に座っている」と表現するでしょう。しかし歌詞の女の子は小さい子供です。好きな人が椅子に座っているとき、立っていても子供の目線からでは目の前の椅子の足しか見えません。ですから「椅子の足」と歌詞で表現したわけです。「パンの湯気」も同じです。身長の低い女の子が食卓の椅子に座っても顔だけテーブルの上に出るような恰好になります。見上げなければ相手の顔は見えません。ですので目の前にあるパンの白い湯気越しに相手の顔を見るわけです。この些細な言葉の違いで幼い女の子の視点を表現してるのは非常に美しい詩的表現だと思います。
「シャツの襟」「靴の紐」も同じです。「靴の紐」は分かりやすいですが、子供は身長が引くので大人の足元がよく見えます。ですのでプラプラと動く靴の紐が印象に残ってるという歌詞でしょう。「シャツの襟」は子供が大人のシャツの襟を見る機会といえば一つです。おんぶです。おんぶしてもらい、目の前に見えるシャツの襟が幼い記憶に刻まれた思い出という表現です。手を引かれて一緒に歩いてる時に目の前に見えるのは靴の紐、紐を結べない子供にとって紐のある靴は大人の象徴かもしれません。そして歩き疲れたら背負ってもらい、シャツの襟を見ながら歩いてもらう。そんな情景が目に浮かびます。

どのようなストーリーだったのか

これ以降は思考材料が少ないため、個人的な解釈、妄想の類になると思いますが、親の実家や親戚の家などに一定期間主人公の女の子が暮らして、その時に一緒に住んでいた男の人に恋した。というのがこの歌詞の背景設定だと思っています。
なぜそう思うか?「金木犀」が大きな要素になってくると思います。
金木犀は庭木としてよく植えられている木ですが、近年ではあまり見なくなっています。理由は「臭いから」です。非常に匂いが強いので汲み取り式便所の近くに植えて消臭剤のような役割として使われてきたのですが、水洗式便所の普及により屎尿の臭いが消えて、金木犀の匂いが逆に臭く感じられるようになったからと言われています。
何らかの事情により、庭のある家で一定期間暮らしており、その庭木として金木犀が植えられていたから、失恋した後も歩いている時にふと漂ってくる金木犀の匂いを嗅いで、幼い頃好きだった人の思い出を呼び起こすのでしょう。今自分の住んでいる家に植えられていたら恋の思い出としては連想されないはずです。
Aメロに桜の花びらが思い出として出てきます。歌詞の解説でも言った通り、金木犀の開花する季節は秋、桜は春です。少なくとも半年以上の時間経過がある通り、比較的長い期間をその家で好きな人と暮らしてたのでしょう。しかし、「最後の夜に」というように別れの時が来ます。女の子が引っ越ししたのか、男が就職や進学で家を出たのか定かではありませんが、物理的に距離ができ失恋したというのがこの曲のストーリーでしょう。

追記 フィルムってなんだよ

回収し忘れてましたけど、タイトルのフィルムは写真のフィルム=思い出のことです。今はデジカメやスマホ全盛期ですが、昔はフィルムカメラだったので、当時のフィルム写真を見ながら思い出に浸ってたのかもしれません。一応設定上は10代後半の女の子が歌うので、10年前でも普通にフィルムカメラは衰退してたと思いますが、まぁ聞いてるのはおっさんしかいないのでカメラのフィルムってことでいいでしょう。

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