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自己理解から多数派の人々との関わり〜子どもと進路の対話から

 土曜日に今年最後のギフ寺を終え,クリスマス休暇をとりマウレ山荘でのんびりしてきた。論文は棚の上にある隠し扉にしまっておいた。年明けまで封印しておきたい(笑)
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 ギフ寺には4名が参加していた。

 久しぶりに会った子どもはピカピカのメダルを見せてくれた。大会で優勝した。ある子はゲームでランカー1位になった画像を見せてくれた。つい道民としては,お墓に報告に行ってこいというと「面倒くさい」と。

ゲームの合間に子どもと世間話をする。

 最近勉強していると。昨日は何時間したと思うと・・・・4時間半。塾が勉強する場で家はゲームをする場なのか。

 進路の話では,最難関の進学校は友達が行かないから友達の行く高校かなと。
 もう一人は,クイズ研のある高校に行きたいと・・・自分で作るのは面倒くさいようだ。

 学校で勉強はしていないと思うが,学校に行くというよりも友達がいる場所がたまたま学校だった。

 何よりも「友達」という言葉が出てきのにはちょいと驚きだった。

 ギフテッド・2E学会でも社会性の獲得について触れたが,Silverman さんのいうように自己理解が進むことで多数派の人々と関わる土壌が形成された
 
 新たな仲間関係が生じ,コミュニティが形成されそこが居場所へと。
 
 ギフ寺がいつまでも居場所であっては行けないのだ。あくまでもトランジットであり社会への橋渡しの場と・・・。

 

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